かぐら BC(バックカントリー)環境を創った男|中澤 稔 Minoru Nakazawa |up close to THE MAN

構成:中川知世(編集部) 写真:中澤 稔、水谷たかひと、小野塚大悟、大和田 浩

Prologue

ここ10年でバックカントリー環境は大きく変化した。
ヘルメットやビーコンなどセーフティギアを身につけ、熱心にバックカントリーに通うスキーヤーは今や珍しくもない。
そんなムーブメントのなかで、近年たいへんな注目を集めているのが新潟県湯沢エリアの「かぐら」だ。

ゲレンデ内より、かぐらBC 通称「南斜面」を望む

かぐらでは、1月のトップシーズンを迎えると、スキー場最上部の第5ロマンスリフトが開き、ゲレンデ山頂部の先に別天地が広がる。

常連ユーザーから通称「ゴロマ」と呼ばれる、リフトを降りた先に設置されているゲートの先は、苗場山に続く神楽峰山系の広大なスノーフィールド。新雪が降ればもちろん極上のパウダーランドと化す。ガイドツアーに入れば、パウダー入門者でも広大なバックカントリーの世界を味わえるとあって、多くのパウダーフリークが足繁く通っているのだ。

かぐらは、古くは初滑りや春スキーのイメージが強かったスキー場。それを「トップシーズンのパウダーがおもしろい」と、環境を大きくシフトさせてきたのが、元かぐら支配人の中澤 稔さんだ。

中澤さん(左)と毎年かぐらを訪れる三浦雄一郎さん

中澤さんは、2005年から定年退職する2016年まで、(株式会社プリンスホテル)かぐらスキー場の支配人としてスキー場のマネジメントに従事。定年を迎えたのちも、特別処遇で営業部長としてスキー場に残り、バックカントリーの環境のさらなる発展に努めたが、今年2020年6月に会社を完全退職された。

トップとして指揮をとった15年の間、中澤さんが行ってきた革新的な取り組みは、数え上げたらきりがない。それらをもっと知りたくて、中澤さんにこれまでのかぐらバックカントリーの進化をめぐる話を聴いてみた。

そこには「かぐらを創った男」の軌跡があった。
(2020年8月インタビュー収録)

かぐらBCの最奥「雁が峰」からの展望

スキーブームが去って、コアな滑り手が中心客となった時期に、
かぐらでできることを考えました

中澤さん自らかぐら広告塔としてパウダーライディングを披露してきた

そのきっかけ

今やバックカントリー入門者からエキスパートまでを魅了してやまない大人気のフィールドとなった、かぐら。そもそも、かぐらがバックカントリーやパウダーのメッカともいえるほど、フリースキーヤーの信奉を集める場所になった背景は、どのようなものだったのだろう。

「まだパウダーっていう流れが来る前、地元のみつまたの観光協会で、このエリアでツアースキーをやっていたんですよね。ヘリスキーもやったり。私も苗場にいた頃から毎年参加していて、景色はいいし、かぐらはいい山だなぁと思っていたんです。北斜面を見ながら「ここ滑れば最高だろうな」と思っていました。

その頃からですね、かぐらは、春は雪も天候も安定するからいいんですが、冬になんとかいい形ができないかなぁと思っていました。2005年にかぐらの支配人になってから2年目くらいでしょうか」

右手の林間部、通称「北斜面」を望む

仕掛けの始まり

「背中を押してくれたきっかけのひとつにBLACKDIAMONDというショップを経営する芳澤秀雄君との出会いがありました。2006年に芳澤くんから、かぐらのパウダーを広めたい、かぐらに店を出したいって話があった。

当時、芳澤君はカナダのバックカントリーでのパウダーツアーをたくさん経験していたんですね。あるとき彼は、パウダーのツアーをかぐらでやってみたいという外人をかぐらに連れてきた。4人で一緒に北斜面に行ったことを今でもよく覚えています。

そして、これからは日本でも間違いなくパウダーブームにもなるし、海外じゃいろいろグッズも含めて出てきているって話を聞いて、“ああ、それもいいかもしれないな”って思ったんです」。

ちょうど中澤さんがスキー場のレンタルにファットスキーを取り入れたいと考えていた時だったという。芳澤さんに「ファットスキーをレンタルしてパウダーの楽しさを知ってもらうコンセプトで、ぜひショップをやらせて欲しい」と相談を受けた。お互いの考えが一致し、話がまとまり、2006年芳澤さんは「かぐらパウダーステーション」をオープンさせた。

BLACKDIAMOND かぐらパウダーステーションのオーナーで、フリースタイル・プロスキーヤーだった芳澤秀雄氏。残念なことに2013年に急逝

そのシーズンから、中澤さんはフリースタイルスキーヤーの芳澤秀雄さんらと、かぐらの通称「北斜面」と呼ばれる林間斜面や、「反射板」と呼ばれる広大なオープンバーンを滑り、かぐらバックカントリーの奥深い魅力を再発見することになった。

広いオープンバーンの「反射板」エリア
通称「北斜面」はドライな雪が深く積もる

実は理由は3つ

「バックカントリーを意識的に仕掛けていった理由は、実は3つあるんです。芳澤君との出会いに続いて2つ目は、私自身が山が好きでパウダーも大好き、人より先に行ってガンガン滑るタイプなんで、自分の趣味的な部分もあって(笑)。自分が楽しくなる、これはいいなと。

3つ目は、やっぱりかぐらという土地柄。かぐらはだいたい2月いっぱいくらいまで天候が悪いんですよね。雪はたくさん降るけれど、トップシーズンはお客さんが圧倒的に少なかったんです。どちらかというと、12月のシーズンインと3月以降の春のスキー場だったんで、1月、2月をいかに誘客するかってことで、いろいろ考えたんです。

結果、せっかくパウダーがたくさん積もって雪のコンディションがいい時期なので、ゴロマを営業しながら、上のパウダーも滑ってもらっていいのかな、と。まるで思いつきなんですけど、そんなことが最初の始まりでした」。

ゴロマ

かぐらのバックカントリーを語るとき、必ず出てくるのが「ゴロマ」だ。標高2,020mの神楽ヶ峰の山頂に向かって、標高1,845mのゲレンデトップまでアクセスする第5ロマンスリフト、それがゴロマ。

ゴロマの乗客はこんなスタイルの人ばかり(右手は中澤さん)

「ゴロマは、2006年の4月1日からオープンはしていたんです。ツアースキーなんかはあったのでね。で、2007年からは3月の頭から運行し、その翌年はもう少し早くから開始と、徐々にオープンを早めていきました。

実はゴロマは昭和63年(1988年)に建設したんですが、雪が多く雪崩があったりで2年くらいでリフト営業を止めちゃったんです。

あの頃はまだパウダー滑る人もあんまりいなかったですからね。2006年から再び運行するようになって、ファットスキーも出てきて、2011年頃からはパウダーが好きな人たちが山の上に行くようになりましたね」。

週末のゴロマにはパウダーを求めて、こんな列ができるように・・・


このゴロマを営業再開させた2006年は、トップシーズンを避け3月下旬から営業を開始。数年後から営業開始を少しずつ早め、2月下旬、2月上旬、1月始まりと、年を追うごとに繰り上げていき、2015年からはついに元旦から営業開始とした、これもまさに中澤さんの裁量だった。

ゲートをめぐって

元旦からゴロマが動くようになった2015年からバックカントリーへの入り口にはゲートが設置され、係員も配置されるようになった。

これが別天地への入口、かぐらゲート 

「ゲートそのものを最初につけたのは2012年なんです。お客さんにホームページで案内したんですけど、警察から指導が入った。勝手にそんなことやられては困る、あたかも山に誘発しているではないか、という話でした。

結果、ゲートは閉めて、翌年はまたロープに戻したんです。それでもお客さんはどんどん入っていきましたけどね。みんな勝手にロープの間を抜けて入っていたのが当時の現状でした」。

そのような状況を鑑みてか、2013年からバックカントリーへ入る際には登山届けを提出、山から戻ったら事務所へ連絡することを義務付けた。

「それでも2014年はバックカントリーの事故がすごく多くて、死亡事故もあったんです。それでマスコミがバックカントリーの危険や事故を意識し始めて、山のスキーの遭難となると必ずテレビ局が追いかけて騒ぎ立て、ニュースになっていました。

逆風を受けた時期でしたが、その頃の南魚沼警察署の副署長がすごく応援してくたんですよ。“やめるのは簡単だけど、なんとかやれないか協議しよう”って。それで関係者と協議を重ねていろいろなアイデアを出して、もう一度ゲートを造って人を置いて出入りをチェックする今のシステムになった。2年くらいかかりましたが、それが2015年の1月でした」。

止まらない進化

2015年にゲートと係員を設置したことを皮切りに、バックカントリーへの取り組みが一層加速し始めたのは、中澤さんが支配人という立場から営業部長になってからだった。

翌年、K2ジャパンの協力を得て、BCAのビーコンチェッカーをゲートに導入、ゲレンデ内にBCAビーコントレーニング場を設置し、ビーコンの使い方を教える研修会も開催するようになった。                   

パトロールやボランティアにより、稜線に張られた遭難防止ポール
ゲートに設置される、注意を促す看板

さらに、バックカントリーエリアの巡回、リスク回避喚起の看板の設置、神楽峰稜線へ遭難防止ポールやガイドリボンの設置、遭難対応GPS機 TREK TRAKのレンタルを開始と、次々と安全啓蒙の取り組みを推進。かぐらのバックカントリーは、中澤さんの手によってどんどん広がり、進化していった。

和田小屋を貸し切って毎年開催されるK2イベント

「K2さんが試乗会やイベントなどで、かぐらを利用してくれたおかげで、三浦雄一郎先生や、ニセコの新谷暁生さん(※1)や、いろんな専門家の方々と知り合いになれて、アドバイスやサポートをもらえるようになりました。

最初はゲートも何もないところから始まって、ロープで外に行かないようにしたけれど、みんなロープをくぐっていくので、なんとかしないとまずいよなって。ロープの間を抜けて、お客さんの自己責任でBCへ入っていたのが当時の現状でしたから。ただ、それから徐々にバックカントリーという認識が世間一般に広がってきて、変わっていきましたね」。

通称「ニセ神楽ピーク」方面へハイクアップ。トップ部は樹氷が美しい

どんどんやったほうがいい

それでもプリンスホテルという著名企業で、さらにはMt.苗場という日本のトップスキー場にダイレクトにつながっている立場で、ゲレンデ外のバックカントリーを積極的に開拓していく、などということは、一般的に考えると「やめておけよ」と警告されそうだが、当時は経営陣からの反対はなかったのだろうか。

「それが不思議なことに、何か言われたことは、一度もないんですよ(笑)。当時の社長は、逆に“どんどんやったほうがいいよ”って。もちろん最初からそうではなくて、ゲートを設けて安全管理できるようになってからですけどね。

苗場はコースから出ちゃうと雪崩に巻き込まれる中斜面も多いですから厳しいですが、かぐらは苗場に比べると比較的危険度が低いから、滑ってもいいという考えだったのでしょうか。それもあったかもしれませんけれど、どっちにしても結局パトロールが間に合わない。一人が入ればみんな入っていくので、もう注意しきれないんです。

だったらもう放っておいて、お客さんが入るのは自己の責任でやることだから、もう注意するなって。もし救助要請があったら、そのときに出て行けばいいんだよって。携帯も通じるんだから。要請してきた人からはしっかり救助費用をもらえばいいんだよって。

あくまでコース外はスキー場管理の外。いくら注意しても好きな人は行くので、あんまりガミガミ言うとかえって反発してエスカレートするお客さんもたくさんいるので、自己責任で滑ってもらったらいい。

つまり、お客さんに、“行ってもいいよ、その代わり安全を確保するためにルールを守ろう”というスタンスです。「自分の身は自分で守れ」という方向性に導いていった感じですね。うちだけのやり方ですが、登山計画書をきちんと出して自分の責任で楽しんで滑走してもらう、という状況にしたんです」。

かぐらは湯沢町が作った登山計画書を利用

登山ルート図。危険箇所が詳細にわかるクオリティの高さ

実際のところ

「今も少なからず事故はありますが、警察や消防から何か言われたりということもなく、応援してもらっています。もうあきらめているのか、わからないけど(笑)。

事故があれば人命救助なので、救助隊のヘリもすぐ飛んできてくれるし。警察も言っていますが、事故はないにこしたことはないけれど、山はやっぱり冬でも夏でも事故はある。みんなでコミュニケーションを取り合って、事故を減らすようにできるだけのことをやっていれば、それはそれでいいんじゃないかって。

ニセコのように、ああいう形で安全を重視したルールを決めてやっているのはいいことだと思います。行ってはいけないところについては厳しく注意をすることが一番です。

かぐらは、ニセコほど雪崩のリスクは高くないですけど、ニセコと違うのは、どうしても山が大きい分だけ道迷いがある。遭難の90%以上が道迷いですから。今、ポール設置とかいろいろやってはいますが、そのあたりをもうちょっと強化しないといけない。

ただ、あまり過保護にしすぎるのは違うと思うし、でも、行ってはいけないよ、という部分はもうちょっと明確に示して、その上でしっかり自分で安全意識を持って楽しんでもらうのがいいと思うんですね。夏山登山と同じで、自分の技量に適した山を選んで滑ってもらうのがいいんじゃないかな。

あとは、ガイドさんについてツアーに参加して、安全に滑ってもらう。それがバックカントリーの基本じゃないかと思います。かぐらは、ガイド業務が許可制ではないので、バックカントリーガイドさんたちもたくさん入ってきています。基本的には誰がきても歓迎ですから、かぐらのすばらしいバックカントリーを安全に、自由に滑って自由に楽しんでもらえればいいなと思います」。

ガイドツアーに参加するのが入門者にとってBCの基本

かぐらBC環境が活性化されて

2005年の頃は天気がよくても山スキーをしている人は一人、二人しかいなかった。それが現在は、条件がいいと100人を超える人がゲートの外で滑っている。このようなかぐらを創り上げた中澤さんは、この現状をどう見ているのだろうか。

「振り返って思うことは、やっぱり実際にやってみないと結果が出ないということ。そういう意味では、いろいろな取り組みをやってきたことで今の姿があります。まだまだ100%じゃないんですが、確かに人は増えましたね。特に正月明けから2月のお客様は着実に増えてきました。

ゲート設置後は、登山計画書を全部チェックして入山者数をカウントしているのですが、近年、山へ上がるお客さんは、シーズン累計で6000~7000人くらい。7000を越えたときに“ビーコンつけてください”と規制をかけたら、それ以後は6000の前半から半ばくらいに落ち着いています。

でも、もっと山で遊ぶ人が増えてもいいと思います。山スキーを本格的にやっている人は、かぐらのようにスキー場から入るバックカントリーではなくて、ダイレクトに山に登っています。上級者はそんなスタイルだと思うので、ゲレンデスキーを楽しんで、パウダーも楽しみたいって人は、ぜひかぐらに来て、上まで行って遊んでもらえたらと思います。

天気がいいとき、特に2月の下旬から3月末まで、雪をかぶった苗場山がとてもきれいなので、山を眺めて帰ってくるだけでも、とても気持ちがいい。全然違うんですよね。滑りが目的も、もちろんいいけれど、山の雄大な自然の中でいろんな景色を見ながら楽しく滑って、家に帰ったら「今日、楽しかったよ~」と笑顔で会話が弾む、そういうのもいいな、と思いますね」。

2月~3月の苗場山の展望

手がけた仕事

先日、かぐらのバックカントリーでの安全啓蒙と、救助活動への貢献が評価されて、新潟県警から遭難防止対策への功労で感謝状が贈られたという中澤さん。

「私はそんなものもらう資格ないんですよね。自分でバックカントリーが好きだったからここまでいろいろ広めてきたわけで、広めなければ山に上がるお客さんも増えていなかっただろうし、事故もおきなかったかもしれない。人が増えれば事故は多くなる。バックカントリーを推奨している当事者が、事故の救助活動で表彰されるって変なもんですよね」。

と苦笑いする中澤さんだが、実際に2005年から2020年までの15年間の間に、実にさまざまな革新的な取り組みを実践し、かぐらのバックカントリーを盛り上げてきた。

週末は予約が取りづらいほどの人気になった和田小屋
和田小屋のラウンジ、昼間はレストハウスとして活用されている

先述した取り組みの他、ゴンドラにファットスキー用ラックを設置した他、冬の宿泊利用者が少なかった和田小屋を改修。宿泊者にファーストトラックサービスを提供するなどの施策で、現在和田小屋は「週末の予約が取りづらい超人気のパウダーロッジ」へと変貌を遂げた。また、バックカントリーガイドクラブを積極的に誘致し、ガイド業の雇用も生み出した。

自ら滑り手モデルとしてかぐらスキー場のパンフレットやポスターにも登場し、フォトジェニックなパウダーライディングを披露。その姿は強いメッセージとなって業界や一般スキーヤーに影響を与えてきた。さまざまな手腕でかぐらのスノービジネスを拡大してきた。

Mt.Naebaのパンフレットの表紙を飾る中澤さん

「そういう見方もあるかもしれないですが、半分は自分が遊んでましたからね(笑)。実はバックカントリーは本来は私の本職じゃないんで、あくまでかぐらのスキー場を生かすための一つの手段でした。

それ以外のところで、新しいレストハウスを作ったり、リフトを架けかえたり、ピスラボマットを使ったサマーゲレンデを作ったり、駐車場や更衣室を改修したりと、いろいろなプロジェクトにチャレンジしました。

その点、西武ホールディングスのトップと一緒に滑ったり、仕事以外でもかかわるなかで、スキー場をああしたい、こうしたいんだ、と自分の考えや思いを気軽に話せる機会がありました。さまざまな実現に際しても、すごく恵まれていたのかなと思います。

バックカントリーより、むしろそういった取り組みのほうが、スキー場全体には貢献できたのかな、と思います」。

これからの風景

新しいことをやりづらい時代の流れの中で、さまざまな革新的なことを実現した中澤さん、濃密な15年間に区切りをつけたこの先は、どのような風景を見ていくのだろう。

「“中澤さんが引退したら、滑るモデルがいなくなっちゃうよ”、といわれると困っちゃうんですが(笑)、定年を迎えて立場も変わったら、あとは安全にかぐらの山を守っていってもらえたらいいのかなって。誰に、ということではないのですが…。

そう、ヘルメットの装着はしてもらうようにするといいかなとは思います。まだヘルメットつけずにバックカントリーに出ている人もいるのでね。

この先ですか? 適当に働きますよ(笑)。そうだな、妙高の山はいいですね。標高も高いし、しっかりやればおもしろいと思う。今、けっこうバックカントリーの動きが盛んになってきていますし、興味ありますね」。

かぐらのパウダー、バックカントリー志向者は今後もますます増えていくはずだ。ここまでの改革は、止まることなく進化していってほしいし、安全に滑れる環境が守られて行ってほしい。

そして、中澤さんにはこれで終わりとならず、引き続き経験を生かした活動を期待せずにはいられない。

最後にコッソリ教えます・一番いい場所

最後に、誰よりもかぐらのバックカントリーを知り尽くしている中澤さんに、「一番気持ちのいい、いい場所」を聞いてみた。

「条件が揃えばすべていいですよね。北斜面もいいし、三角方面も長い距離を滑れる。みんな北・北というけれど、北は帰りトラバースをするのがちょっと大変なので、あそこはやっぱりスキーのうまい上級者向けかな。斜度もあるし、ツリーランもあるので上級者は楽しめますね。

稜線からオープンバーンが広がる。右手が北斜面
通称「三角」も人気


中級者なら、やっぱり反射板の広い斜面を長く気持ちよく滑って、沢伝いにいかないで田代の第8ロマンス上部のほうに逃げるのが楽しいと思うな。

楽しいところがいっぱいありますけど、実は一番いいな~と思うのは……、うーむやっぱ詳しくはいえないです。いろいろ楽しいとこあるんですがねぇ。1時間くらいハイクしないといけないし、登り返しもあるすごくいい斜面があるんですよ。知る人ぞ知るスポットですが、まぁ内緒です。

天気がよければどこも楽しいですよ!」。

※1 )北海道ニセコ在住の登山家。なだれ防止協議会ニセコなだれ調査所所長


[ 中澤さんのBCへの取り組みの軌跡 ] 

1988年 ゴロマ(第5ロマンスリフト)新設・営業開始~2季で休止
2006年 ゴロマ再稼動・かぐらパウダーステーション誘致
2012年 山頂部にBCゲート制作
2012年 ゴロマ営業日を徐々に早めていく
2013年 パトロールを設置し登山届けの義務付け
2013年 バックカントリーガイドクラブを誘致
2014年 和田小屋改修、宿泊者にファーストトラックサービス
2015年 ゴロマ元日より営業・ゲートに人員配置
2015年 コース上にリボン設置
2016年 K2ジャパンの協力でBCAのビーコンチェックをゲートに導入
2016年 ゲレンデ内にBCAビーコントレーニング場設置
2016年 神楽峰稜線へ遭難防止ポール設置
2018年 遭難対応GPS機 TREKTRAKのレンタル開始
2018年 ゴンドラにファットスキー用ラック設置
2020年 新潟県警より遭難防止対策への功労で表彰を受ける

Profile

中澤 稔 Minoru Nakazawa

2005年~2016年 株式会社プリンスホテル かぐらスキー場支配人、2016~2020年 営業部長として従事。かぐらバックカントリー開拓を通じて、かぐらスキー場にパウダーという新たな価値を創造。ほかスキー場内の施設の拡充やプロモーションなど、スキー場の発展に寄与するさまざまな革新的な取り組みを行った。

[使用ギア&ウエア]
・K2
・NORRONA
・HESTRA
・BCA



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