INTERVIEW 「フリースキーヤー下村雄太、27歳の現在地」|前編

Photo/Yoshiro Higai

INDEX


白馬のバックカントリーガイドサービスでテールガイドを続けながら、ライダーとして自らの滑りに磨きをかけてフリーライド大会に参戦しつつ、毎年海外に出かけて濃密な時間を過ごしている。驚かされるのは、高校2年以来、迷うことなくスキーガイドと滑り手の二刀流を目指してきたこと。ただの成り行きや現実逃避ではなく、非常に目的志向的で、建設的で、ポジティブなスキーバムライフを実践してきたのだ。そんな若手フリースキーヤー、下村雄太のこれまでとこれからに迫ってみた。

【Profile】

下村雄太●しもむらゆうた
1993年、北海道喜茂別町出身。2歳でスキーを始め、アルペンとクロカンの競技をスタート。中学高校ではクロカン選手として全国中学校スキー大会やインターハイに出場。倶知安高校2年時にバックカントリースキーに目覚め、妙高の国際自然環境アウトドア専門学校に進学。卒業後は白馬のカラースポーツクラブに所属してテールガイドを務めつつ、ライダーとして撮影やトリップ、フリーライド大会に出場を続けている。


この夏は大町で草刈りの仕事も

フルタイムスキーヤーの白馬暮らし、
夏はどうしてるの?

──今の時期、グリーンシーズンはどんな仕事をしているの?

今年の夏は農業でした。米農家です。田植えの後は仕事が一段落するので、6、7、8月は農家とは別に草刈りの仕事を請負いました。これからは稲刈りの時期なのでまた農家仕事が忙しくなるのですが、10月末でそうした仕事が一段落して、11月からは立山のスキーシーズン(※1)を迎えます。基本的にスキーシーズンとはまったくバッティングしない期間ですから、僕のライフスタイルにバッチリ合う仕事ですね(笑)。

──農家に週末はないと言われるけど、休日は取れるの?

基本的に週に1日。でも、草刈りの時期はたいへんでした。僕が担当したところはけっこう面積が広くて、しかも、今年は梅雨が長かったので作業が進まなかったんです。それで6、7月はほとんど休みなし。田んぼや畑の持ち主がご自身で管理しきれないんですね。それで僕が請け負うんですが、たいてい山の斜面とか石垣とか、機械じゃ刈れないところばかりなんですよ。毎日暑くて、しかも手作業で、つらかったです。

──それでどのくらいの収入になるの?

草刈りでいえば、僕が担当したのは20〜25町歩(一町歩=約10000㎡)という広さで、田んぼでいえば300枚分ちょっと。20日間ぶっ通しで働いて、1、2日ほど休んで、また20日間。それをトータルで3回やりました。それを仕事の先輩とふたりでやっていました。

海外の旅の資金を含め、冬の活動費は大体80万円くらいを目標にしています。草刈りの仕事は3回やればある程度の収入になりますが、それだけでは冬の活動費としては足りません。

──これまでも夏はずっとその仕事だった?

いいえ、去年までは山の仕事をしてました。白馬の山岳常駐隊(※2)を1シーズンやったり、夏だけキャニオニングのガイドをやったこともあります。あとは立山の仕事が多かったですね。

──立山の仕事は小屋番かなにか?

いえ、ホテル立山の写真部(※3)です。立山黒部アルペンルートの観光客相手に記念写真を撮る仕事なんですが、実は立山の仕事のなかでも、夕方前に仕事が終わる部署なんですよ。なので、仕事を済ませたら毎日のように滑りに行って、サンセットライドを楽しむという、まさにスキーヤーに打ってつけの仕事でした。

──それが今年は山に入らず、山麓で農業の仕事を選んだのは、コロナの影響かな?

いえ、山の仕事をしないことは、去年の秋頃には決めていました。まあ、結果的にコロナになっても仕事が途切れなかったから良かったんですけどね。そういうわけで、シーズン前の段階で今年の春以降のことは決めていて、それはスキーヤーとしてこれから先の自分の進む道をしっかり見つめ直そうと考えたからなんです。


※1 [立山のスキーシーズン]
立山黒部アルペンルートがクローズするのが11月末。雪が降り積もり始める11月上旬から月末までの2、3週間がパウダーシーズン。4月下旬に再びアルペンルートがオープンしてからが春のスキーシーズン

※2 [白馬山岳常駐隊]
夏の後立山連峰のパトロール隊。長野県の遭対協(山岳遭難防止対策協議会)から委託を受けた民間の人間が隊員を務める。各山小屋に常駐し、登山者へのアドバイスや登山道の整備、遭難事故の対処などに備える

※3 [ホテル立山写真部]
立山黒部アルペンルートの最高地点、標高2400mの室堂。そのターミナルに隣接したホテル立山が運営する記念写真サービス。立山に行ったことのある人は、ターミナルの室堂平出口で目にしているはず


Photo/Hiroya Nakata

映画『END OF THE LINE』で佐々木大輔に憧れ、
「Fall Line」でスキー人生を確信する

──もともと北海道生まれと聞いていたけど、雄太君が白馬に来たのはいつ頃?

6年前です。21歳からカラースポーツクラブ(※4)でお世話になっていて、今27歳なので、次の冬で7シーズン目になります。

──それ以前はなにをしていたの?

白馬に来る前は、妙高にあるアウトドア専門学校の学生でした。生まれは北海道の喜茂別町で、高校を卒業してi-nac(アイナック ※5)に入学したんです。高校2年でスキー競技をやめてからバックカントリースキーと出会い、はじめて買ったDVDが佐々木大輔さんの『END OF THE LINE』(※6)だったんです。

当時、ほかにも影響を受けた映像は多かったんです。マイティジャミング(※7)とか。でも自分で買った最初のDVDは『END OF THE LINE』。カッコいいなぁと思って、そこから佐々木大輔さんに憧れた結果、一度きりの人生なんだから、やはり好きなスキーを追求しよう。そう思って、大輔さんが講師を務めるi-nacに入学したんですよ。

──う〜ん、そうだったのかぁ。監督のヤーマン(山田博行※8)に聞かせてあげたい。

実は何年か前にアラスカのガードウッド(※9)でヤーマンさんとお会いしています。そのとき「山田さんですよね」ってご挨拶して、実は『END OF THE LINE』を買ってこの世界に憧れて……という話をしたら、「お〜、そうだったのかぁ」ってすごく喜んでいただき、それ以来アラスカに行くたびにかなりお世話になっています。僕がアラスカに行くのはたいていヤーマンさんも行ってる時期でしたからね。

──アラスカの、しかもガードウッドで初対面というのも、互いに「らしい」エピソードだね。

ガードウッドではローカルの友人宅に居候させてもらっていたんです。「YAMAって知ってるか?」って聞かれてたんですが、僕にはぜんぜんピンと来なくて……。で、たまたま「今夜は有名なライブがあるから」と飲みに誘われた先にヤーマンさんがいたんです。

──ヤーマンは責任を感じないといけないね。人ひとりの人生を大きく変えたことに。

すっかり人生変わっちゃいましたね(笑)。今年の3月もアラスカに行こうかどうしようかとギリギリまで悩んでいたときにヤーマンさんが連絡をくれて、いろいろ相談に乗っていただいたんですが、僕は結果的に今シーズンの旅は見送ることにしました。

──高校まではどんなスキー競技をしていたの?

競技は小学校低学年からですが、中学からはクロスカントリースキーに集中してました。僕が生まれ育った喜茂別はノルディックスキー、特にクロカンが盛んな土地で、喜茂別高校はインターハイで優勝するほどだったんです。でも、小学校時代はアルペン競技も並行していましたし、遊ぶときはアルペンスキー。自宅がルスツスキー場まで10分ほどのところだったこともあり、よくナイターに滑りに行ってましたよ。

──活発に活動する高校のその時期に、なぜスキー競技をやめたの?

高2の秋でした。このまま競技を続けることに単純に疑問を覚えたというか、お金も掛かるし、親に迷惑をかけるばかりだし……と。そうして悶々としていたある日、書店で「Fall Line」を見つけて立ち読みしたんです。あ、こういうスキーがあるんだなって。それがずっと頭の片隅にあって、シーズンが始まる前に競技はやめました。

──ヤーマンのことを言ってる場合じゃなくなってきたね。

かなり影響を受けましたよ。そのとき書店で手に取ったのが2011年の号で、羊蹄山の麓に住む大塚伸さん(※10)のライフスタイルにフォーカスした記事は今でも強烈に覚えています。こんな場所で、こんな生活を送って、こんな活動をしている人が、ウチのすぐ近くにいるんだと、高校生ながらに衝撃を受けましたから。

Fall Line 2011 

──責任を感じてきたよ。

家のなかでテント張ってる写真も印象的でした。好きなフレーズがあって、「自分の好きなことに人生を懸けるには、自分の行動にプライドを持っているかどうかが肝心だ」って。今でも僕の心のなかで生きている大切な言葉です。

──参ったね。

そんなときに、倶知安の駅前に「スプラウトoutdoor espresso」というコーヒーショップに通うようになりました。オーナーの峠さんもスキーとカヤックが好きで、奥の棚には「Fall Line」が過去の号からずらりと並んでいて読み漁りました。もしかして、この店なら新しいきっかけが生まれたり、誰かと出会えるんじゃないか。そう思って通い詰めたんです。

──なるほどね。

最初のバックカントリーもスプラウトの峠さんに連れて行ってもらったんです。ウエアとブーツ、バックパック以外の道具を全部お借りして、2月の羊蹄山に登りました。天気予報は良くはなかったんですが、滑る時にはピカッと晴れて、眼下にニセコのスキー場から遠く倶知安の街までが見渡せました。しかも、沈降した極上のパウダー(※11)を滑ることができたんです。今思い返しても、あれだけのコンディションを滑れたのは奇跡的でしたね。初めてのバックカントリーにしては強烈で、最高の洗礼を受けたように思います。


※4 [カラースポーツクラブ]
2000年に舎川朋弘が設立した白馬初のバックカントリーツアーサービス。従来の山スキーではなく、滑りに徹底フォーカスしたガイドサービスとしてはニセコの「パウダーカンパニー」と並んで国内でも草分け的存在

※5 [i-nac(アイナック)=国際自然環境アウトドア専門学校]
新潟県妙高市にあるアウトドアに特化した専門学校。アウトドアのガイドやインストラクター、野外教育などの学科があり、専任講師のほかに、佐々木大輔のような現場のスペシャリストによる特別講師の顔ぶれも豪華で多彩

※6 [『END OF THE LINE』]
2009年秋公開。フォトグラファーの山田博行が監督した佐々木大輔の長編ドキュメンタリームービー。16mmフィルムの映像美にこだわり、多数の関係者からのコメントも特徴的。ちなみにインタビューはワタクシ、寺倉が担当

※7 [マイティジャミング]
「jackie」こと西尾裕之が撮影&ディレクション。楠泰輔や川口徹、浦田義哉らをメインライダーに、パウダーからフリーラン、パーク、ストリートジブなどジャンルにこだわらないフリースキームービーレーベル

※8 [山田博行]
スノーボードフォトグラファーとしてキャリアをスタートし、PanasonicやTOYOTAなどトップブランドのCM撮影監督を務める。Japan Photo Award 2013 受賞。現在、写真家として活動しつつ、長岡造形大学准教授

※9 [ガードウッド]
アラスカの州都アンカレッジからクルマで南に小一時間ほど。奥まった湾に面した美しい町。アリエスカリゾートのベースタウンで、チュガッチヘリの拠点もあり、ヴァルディーズと人気を二分するスキー&スノーボードタウン

※10 [大塚 伸]
スノーボードフォトグラファー。2010年「Fall Line」のカバーフォトでデビュー。冬は羊蹄山の麓の真狩村、夏は立山をベースに活動を続ける。数年前から夏は立山室堂に常駐し、雷鳥観察員を務めている

※11[沈降した極上のパウダー]
降雪後、時間の経過とともに積雪は落ち着いてくるが、その分、板はよく走るようになる。どこまでも踏み込めそうなフレッシュパウダーもいいが、時間が経って雪が沈降し、一段とスキーの走りが増したパウダーも極上である


アウトドア専門学校 i-nac時代のライディング  Photo/石川蒼

妙高で憧れの佐々木大輔に師事し、
白馬で北アルプスに衝撃を受ける

──アウトドア専門学校のi-nacに入学して、憧れの佐々木大輔に会ったときの第一印象は?

大輔さんの授業が始まるのが2学年からだったんですが、僕は1年の冬に大輔さんの妙高ツアーのお手伝いをさせていただく機会があったんです。以前に大輔さんから『THE END OF LINE』にサインをもらったことがあって、それで覚えていて声を掛けてくれたようです。

そのときに初めて大輔さんのナマの滑りを見たんですが、衝撃的でしたね。人間離れしているというか、動物的というか。近くで滑りを見ると想像以上の迫力がありました。ああ、やっぱりすごいなって。

──この学校では何を勉強するの?

僕が入ったのは山岳プロ学科という登山ガイド資格を取得できる3年制のコースです。ほかにはMTBやクライミング、自然保全や野外教育などのコースもありました。講師は、大輔さんのほかに、黒田誠さん、加藤直之さん、花谷泰広さん、中野豊和さん、増本亮さんといった現役のガイドやクライマーで、講義も実技もかなり濃かったです。

──卒業するとガイド資格を取得出来る?

最終的には日本山岳ガイド協会(※12)の試験を受けますが、3年生のときに筆記試験や、実際のフィールドでのガイディング試験もあるので、そうした学校のカリキュラムでカバーしているところは免除されます。それに合格していれば、卒業と同時にJMGA認定登山ガイドステージII資格をもらえます。

──専門学校を卒業してガイドになろうと思っていたの?

僕は専門学校に入ったときから、やるならバックカントリースキーガイドになりたいと思っていたんです。でも、その前に、スキーヤーとして生きていくには、自分の滑りを突き詰める必要があると考えました。正式なガイドになるのはもう少し先でも間に合うけれど、でも、自分の滑りを高める時間は今しかない。そこで白馬のカラースポーツクラブでスタッフとして働きながら、白馬を滑り込むことにしたんです。

──北海道に戻って滑ろうとは思わなかった? 北海道にもガイドサービスはあるし。

まったく考えませんでした。専門学校1年生のサマーシーズンに初めて白馬に遊びに来たんですが、そのとき、生まれて初めて北アルプスを目の当たりにして衝撃を受けたんです。こんなすごい山が日本にあったのかと。もうココしかないって思って、シーズンに入ったら迷わずシーズン券を買って白馬のスキー場に通ってました。

──なるほどね。

2年生の春にはカラースポーツクラブで研修させてもらいました。まずは事前にカラーのツアーにゲストとして参加して、そのときトネさん(※13)に「ここで研修させてください」と。その後、熱い思いを書いた作文を持っていって正式にお願いしました。で、白馬に車中泊しながらツアーのある日はもれなくカラースポーツに通ったんです。

──役割はテールガイド?

いいえ、テールガイドのテールくらいです。もちろん無給でしたけど、ゴンドラやリフト代はスタッフ券をお借りできました。今思い出すと若さというか……(笑)。とりあえず、あとで後悔するくらいなら、思い切ってやったほうがいいってノリでしたね。

──なぜ、カラースポーツクラブだったの?

雑誌を読んだときにカラースポーツクラブの記事が目に留まって、トネさんのこれまでの活動を知ってからですね。あ、こういう人がいるなら、ここに行ったほうがいいなと思ったんです。

それと、高校2年の冬にニセコでヴェクターグライドの試乗会があったんですが、そのとき小学校時代の先生から譲り受けたコルドヴァを履いていったんです。コルドヴァを履いた高校生が珍しかったようで、秋庭さん(※14)に声をかけられ、いろいろ話をしているうちに「妙高の専門学校に入るなら、白馬に古瀬和哉(※15)ってのがいるから、機会があったら一緒に滑ったほうがいいよ」と言われたことも覚えていました。

で、白馬で活動するとなったときに、トネさんもいて和哉さんもいるカラースポーツクラブで決まりだなって。

Photo/石川蒼

後編」はコチラから


※12 [公益社団法人日本山岳ガイド協会]
「JMGA」と呼ばれる日本最大の山岳ガイド協会。国家資格ではないが、実質的に国内でもっとも通用しているガイド資格制度で、国際山岳ガイドを筆頭にさまざまな資格があり、有資格ガイドを選ぶ目安にもなっている

※13 [トネさん=舎川朋弘]
カラースポーツクラブ代表。春ではなく厳冬期の後立山連峰に数多くのラインを開拓した白馬バックカントリーのパイオニア。不帰II峰などスキー史に残る初滑降記録も多数ある。現在の定番的ツアーコースの多くは彼のラインだ

※14 [秋庭さん=秋庭将之]
「レーシングスペックのファットスキー」で知られるヴェクターグライドのプロデューサーにして開発者。「コルドヴァ」はヴェクターグライド最初のモデルで、登場から15年以上経った現在も基本デザインに変化はない

※15 [古瀬和哉]
夏はニュージーランドのクラブフィールド、冬はジャクソンホールなど海外での長いスキーバム歴を経て、白馬に定住し、カラースポーツクラブでスキーガイドに。2020年から独立し「Locus Guide Servis」を立ち上げている


【編集者+ライター】
寺倉 力 Chikara Terakura
三浦雄一郎が主宰するミウラ・ドルフィンズに10年間勤した後、BRAVOSKI編集部員としてモーグル、フリースキーに30年近く携わる。現在、編集長として「Fall Line」を手がけつつ、フリーランスとして各メディアで活動中。登山誌「PEAKS」で10年以上インタビュー連載を続けている。

協力/sputnik inc.

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