「障がい者スキースクール・ネージュ」は、今日も雪の上で 「できた!」の喜びの瞬間を生み出している。元気のなかった子が初めて笑顔になれた日、動けないと思っていた体でターンを刻めた日。そこには、スキーという手段を通して、その人の可能性を信じ、人生を自分の力で健やかに生きていくための気づきを育む現場がある。
湧き上がる思いを止められなかった
それは、一人のスキーヤー稲治大介(いなじだいすけ)さんの熱い思いから始まった。
「前に勤めていた電子機器の会社で、障がいのある方の劇団のボランティア募集があったんです。3日間も休めるなんてラッキーと不純な動機で応募したんですが、そのとき劇団の方に言われたんです。
『この子達がここに来るのはすごく大変で、何ヵ月も前から準備するんです。どうしてかわかりますか? ここ8階でしょ。重度障害の子のストレッチャーが上がれるのか、もし何かあったらどうするのか、あらゆることをチェックして結局、どんなに行きたくてもやっぱり無理だねって、あきらめることも多いんです』
これを聞いてすごくショックだった。
また、学生時代、長野のスキー場でインストラクターをやっていたとき、重度の知的障害の子を3日間担当しなくちゃいけなくなったことがありました。全然言葉が伝わらないしものすごく大変だったんです。後でご両親から『うちの子、人の名前が覚えられないんでよ。でもあなたの名前は憶えていて、またスキーに行きたいって言ってます。話をしてやってくれませんか?』って電話があったんです。すごく嬉しかった。
当時、僕は何もできなかったけど、思いは伝わっていたことが本当に嬉しかった。この体験とかつての劇団のショックがオーバーラップして、いてもたってもいられなくなって『こんなネクタイ締めての仕事、もうやってられるか!』って仕事辞めちゃってスキースクールの門を叩いて、半年後には雪の上に立っていました。自分のなかに沸き上がってくるものを止められなかった。今から25年前のことです。そこがネージュの始まりだったのかなと思う」

「障がい者スキースクール・ネージュ」は、年齢、性別、国籍、障がいのあるなしに関わらず、アイデアと工夫によって、誰もが心からスキーを楽しめるようサポートする支援NPOだ。
オリンピックだけでなく、パラリンピックも大きな注目を浴びるようになったり、いまでこそ世の中にはダイバーシティという言葉があふれているが、果たして25年前、「障がいの重いウチの子」を雪の上に連れていってくれる人や、雪の楽しさを教えてくれる場所があったろうか。
「僕の大好きな雪のすばらしさを障がいを持つ人にもなんとか伝えたい」。稲治さんの思いに火が付いた。
ネージュの背景と覚悟

スクールでのインストラクター経験を積み、2006年に独立した稲治さん。加山キャプテンコーストにネージュを立ち上げ、ようやく活動の場を得たものの…。
「資金繰りが本当に大変でした。チェアスキーとか機材がすごく高い。最初はシーズンレンタルで自分のお金も持ち出して少しずつ買い揃えていきました。でも、お客様のリストはない、パンフレットを作るお金もない、手作りのHPを作って、もう必死だった。収入は前職の半分以下になったし、周りの人には『バカじゃないか』って言われましたよ」
そんな苦労からか、2シーズン目に稲治さんは病気で倒れてしまう。
「お金のストレスからだったと思います。右半身が麻痺しちゃったんです。ごまかしながらシーズンに入ったけど1月末にドクターストップで入院。40日間、動けない体で病室の窓から遠くの雪山を見てました」
シーズン真っただ中、一番雪の上にいたいときにいられない。もどかしいし悔しいし、体が思うようにならないって、なんて不自由なんだろうって。そのとき、障がいがあって体が自由に動かない人たちのことを、少しだけわかった気がしたんです。障がいのある人を〝可哀想″という言い方は、僕はしない。体が動かないのは、ただとても面倒くさいんです。そんなことが少しでもわかったから、自分が病気になってよかったと思いました」
その経験が、ネージュの在り方を、いっそう深いものにしていった。
ネージュは、その後活動の場を湯沢中里へと移し、現在はスマイルリゾートの法人グループの一員として、安定して15年以上の実績を重ねている。
「続けるって、本当に大変。でも、だからこそ見える景色がある」
稲治さんの言葉には、たくさんの苦労と希望が込められている。
雪の上に人生を変える力がある

「いまだによく覚えています。筋ジストロフィーの中学生の子で、予後(病気の治療後の回復の見通し)があまり良くない状態でした。会ったときも一切笑わない。表情がまったくないんです。スキーを滑り始めてもやっぱり笑わない。「手が痛い」と言って午前中はほんの少し滑って終わり。午後、どうしようかな…と思ったけれど、もう一度やっているうちにだんだん笑顔になってきたんです。それで午後は何回もリフト乗って一緒に滑りました。
その後、お母さんから手紙が届いたんです。『行かせようかすごく迷ったけれど、帰ってきて瞳をキラキラさせて〝すごく楽しかった″と話してくれました。あんな顔で帰ってきてくれて、とても嬉しかった』と綴られていた。本人からもお手紙をもらいました。
そのとき、現場で引率の先生が言ったんですよね。『この子が中学に入って初めて笑った』って。それは僕にとってものすごくインパクトがありました。筋ジストロフィーは進行性の難病で、中学2年生だと将来も見えにくくなってる。そんな子にどんなふうに声をかけたらいいかすごく悩んだし、正直つらくて嫌だったんです。でも、教えてもらった。僕らがやるべきことは同情することじゃない。めいっぱい、自分ができることを目の前の人に一生懸命やることだって。伝え続けること、それだけなんです」
その体験が、稲治さんにとって大きな転機となった。
「こんなふうに、笑わない人が笑ってくれる。スキーっていいなぁって心から思ったし、これをやっていきたいって思いました」
ネージュが生み出す〝できた″の瞬間は、ただ滑れた、という以上の意味を持っている。笑顔を失っていた子が笑い、動けないと思っていた体で雪の上を滑り、ターンを描く。そんな驚きや喜びの積み重ねが、その人や家族のなかに眠っていた力を呼び覚まし、前に進む勇気を与えるのだ。
スキーは手段 ― 本当に伝えたいもの

「障がいのある人にとって一番難しそうで、できないであろうスキーが、『やってみたらできた・頑張って続けていったらできるようになった!』そんな体験を通じて、もしかしたら他のこともできるかもしれない、と思えることって、ものすごく大きなことなんですよね。
スキーが、家族がその人の持っている力をもう一度よく見直す機会になればいい、本人にも自分の力や新たな可能性がわかるようにしてあげたい。そこから自分らしく生きる力を持てるように、その気づきやモチベーションアップのために、僕らやっているんです。
このことで、とても印象深いゲストを紹介させてください。
冬和くん(高校3年)。彼は小学生のときに、自動車事故で脊髄損傷、左目失明、左腕機能全廃という大怪我をし、電動車椅子常用になりました。事故の前日まで健常児として何不自由なく生活してきていたのに、事故ですべてが一転してしまった。奇跡的に一命を取り留めましたが、約1年の入院生活中は、一歩も病室を出ず、カーテンも一切開けないという状態。周りの人に変わってしまった自分を見せたくないから、学校にも行きたくないという状態でした。
怪我の前からリゾートマンションを拠点に家族でスキーを楽しんでいたので、おじいちゃん、おばあちゃんが仕事の関連からネージュを知り、スキーの相談に来られ、座位のスキーを体験することになりました。最初は一切笑わなかった彼でしたが、何本もスキーは滑って楽しかったようです。
事故で怪我をしてから、その夜、初めて家族で外食をしたそうです。そこから、すべてが変わった、とおじいちゃんはおっしゃいます。後日、このエピソードを知りました。
いまでは、冬和くんは華麗な攻めの爆走でスキーを毎年楽しんでいます。もちろん家族も一緒に。
そして、何より嬉しいのは、いまでは学校ももちろん普通に通学し、吹奏楽をやったり射撃を始めたりと、とても能動的な生活をしてくれていることです。
先天障がいではなく中途障がいで、しかも本当にに大変な状態からの復活なので、本人、ご家族の努力はすごいですし、そこに至るご苦労は我々には想像できないことだったはずですが、同時にスキーにはこんなにもパワーがあるんだと再認識させられたゲストの一人です」
スキーは、その人の勇気や可能性を引き出す「手段」にすぎない。
そして、「Yes, you can do it!」雪は誰もが楽しむことができる。
「障がいのある人にスキーを教えている」のではなく、スキーの楽しさを伝えようとしている人がたまたま障がいを持っているだけ」
稲治さんの、この思いと考えはネージュの方向性を明確に示している。
“待つ”技術と100通りの向き合い方
稲治さんとともにネージュの大黒柱である若手スタッフ半沢輝(はんざわひかる)さんは湯沢生まれ。高校卒業後、東京の専門学校に通いトレーナーやマッサージ、スポーツに関わる学びを修めた。Uターン就職で湯沢の地元で仕事を探していたとき、スクールのイントラだったお母さんから「スキー場にこんな人がいるよ」と聞いて「なんだそれ。そんな仕事があるんだ」と思ったという。
「最初、稲治さんから最初話を聴いたとき、障がいのある人とスキーなんてできるはずないでしょうって思った。一方で、自分が知らない世界にワクワクして魅力を感じたんです。実際に取り組んでみると、想像もしていなかった新たな世界が自分のなかで開いた。それもこんなに近いところにあったことが驚きだった。
最初は自信あったんですよ。滑れるし、技術もあるし、何とかなるだろうって。でも実際にゲストと向き合ったとき、難しいというより、ただ自分が無力というか、何も通じなかった。この気持ちはなんといえばいいのか。何も響かなくて、どうしたらいいかわからなくなったんです」半沢さんは言う。
「でも、大事なのはそんなことじゃなかったんです。一般的には、障がいのある人に対して、どうしても腫れ物に触るように接したり、気の毒とか怖いといった見方になりがちじゃないでしょうか。僕らネージュのキャストは障がいのあるなしに関係なく、誰でもまったく同じに接します。だって自分がスキーを好きなこと、スキーって楽しいんだよってことを伝えるのは、相手に障がいがあるないは関係ないんですよね。僕らにとって大事なのは、それをどう伝えるか、なので」
ネージュのゲストの約3〜4割は、知的障がいや発達障がいを持つ人たちだ。他にもダウン症、視覚障がい、脳性麻痺による車椅子ユーザー、体幹機能の著しい障がいなど、そのバリエーションは実に幅広い。
「目が見えない人には、僕らが『目』になってあげればいい。でも、必要以上に手を貸す必要はない。たとえば荷物を全部持ってあげることが親切だとは僕らは思っていません。スキー場で自分の力で動けるっていうのも、彼らにとってはすごく大きなことなんです」と稲治さん。
「本当に、100人いれば100通り。僕らはドクターでもないし、何かを『治す』ことなんてできない。でも、『できないところ』を見つけるんじゃなくて、その人が『できること』を、一緒に見つけて、伸ばしていく。それが僕らの仕事だと思ってます。

特に知的障がいのあるゲストの場合、スキーに慣れるまでに時間がかかることが多いんです。僕らが5分でできることが、その子には1年かかる。だから『待つ』ってことがすごく大事なんです。焦らず、慌てず、じっと見守りながら少しずつ積み上げていく。『自分(きみ)はこれで大丈夫なんだ』ってことを接するなかで伝えていく」
どう伝えるか。そこには、技術や理論だけでは計れない「人としての力」が必要とされる。
「たとえば知的障がいのある子には、難しい言葉は一切使いません。『足を開いて!』『手を出して!』って、1日中ずーっと言い続けてます。何があっても絶対に黙らない。伝え続けるって、それだけで大きな意味があるんです。そして、いつかきっと届くから」
半沢さんが特に印象に残っているのは、車椅子のゲストTさんとの3年間。脳性麻痺による下肢および体幹機能障がいがあり、車椅子常用。
「最初はチェアスキーに挑戦しようとしたけど、体幹がきかなくてほとんど転倒ばかり。難しくて断念。脳性麻痺の人にとって1本スキーのチェアスキーは非常にバランス保持が難しいため、より安定性のある道具で滑っていたんです。でも、3年も通ってくれて練習に練習を積み重ねたところ、先シーズン『もう一回チャレンジしたい』って言われて。一瞬ためらったし、正直、厳しいかもって思いました。だけど本人の意思が強かったので、リベンジでチェアやってみよう!って。そしたら、なんと滑れたんですよ! ターンも上手にできて、一人で距離を滑れた。スタッフもみんな『すげぇ! できちゃった!』って大騒ぎでした」
それは半沢さんにとっても忘れられない瞬間になった。
「今までやってきたことは無駄じゃなかったって思いました。自分も一緒に育ててもらっているんだなって、ほんとにそう思いました。ゲストに感謝しかないです」
そのときのTさんの笑顔と滑走映像がコチラ。
この他、ゲストの様子も以下のチャンネルで日々公開している。こんな障がいがあってもできるんだよ!ということを伝えたいという思い、そしてゲスト本人やご家族が自慢できるようにかっこいい映像を世間に公開しよう!ということで始めた手作りの取組みだ。
https://www.youtube.com/@障がい者スキースクールネージュ
“卒業”がゴール

「うちは『卒業』を目指しているんです。できることなら、うちに来なくて済むようになってほしい。家族と、友達と、当たり前にスキーを楽しめるようになる。それが僕らのゴールなんですよ」
ネージュでは、レッスンを通して本人だけでなく、家族が自立のサポートができるようになるための講習も行っている。リフトの乗り降りや、チェアスキーの操作、補助のタイミングなどを一緒に練習し、いずれは家族だけでも滑りに来られるように。
「卒業が見えてきた人には、ビブをプレゼントするんです。ネージュの反転カラーの白いビブ。『もう自分で滑れるね、うちに来なくていいね』っていう、おめでとうの卒業証書みたいな意味を込めて。
そうやって卒業していったゲストたちは、今でも湯沢中里スノーリゾートに通ってくれていますね。『おー、来てたの? 後でスクール寄ってな』って声をかけたりね。家族と一緒に楽しそうに滑ってる姿を見るのが、本当に嬉しい」
子どもたちの小さな「できた」が、本人だけでなく、家族の可能性をも大きく広げていく。
「お母さんがスキー大好きだったけれど、子どもが心臓の疾患を持って生まれてから、もう滑れないって諦めてた。でも、酸素ボンベをつけたチェアスキーで子どもが滑れるようになったら、また家族でスキーができるようになった。スキーができるってことが、家族の時間そのものを取り戻すことにもなるんです」
ネージュの掲げる卒業とは、単に技術が身についた結果ではない。スキーという手段を通して自分の力や可能性に気づき、本人はその人らしく、家族は家族のありたい形で暮らしていけるよう、一歩を踏み出せたことなのだ。
次の世代へ、スキーのチカラをつなぐ

「半沢みたいな若い人間が、わざわざこういうことを選んでやってるってことを、ぜひ知ってほしいんですよ」
そう語る稲治さんの目は、次世代をしっかりと見つめている。
「カッコよくはないかもしれないけど、こういう仕事にちょっとでも興味ある人に出会いたい。僕ら福祉の人と思われがちだけど、福祉活動をしている気はまったくないんです。僕らはスキーヤーであること、この観点はズレないようにしていたい。なぜかというと、僕らが障がいのある人を福祉の眼鏡で社会的弱者、立場の弱い人、のように見るのはおかしいと思っているからです。
同時に、 『障がい者の面倒をみている人』と見られるのが嫌なんですよ。面倒をみてもらう、みてあげるという関係性も疑問だし、『ただチェアスキーを押してるだけ、お世話してるだけでしょ?』って。でも違う。僕らはスキーヤーであり、指導者としての技術も気持ちも全部使って、全力で関わっているんです」

半沢さんも、自身の成長を通じて実感している。
「最初は教えるのなんて全然得意じゃなかった。むしろ下手でした。でも、毎年会いに来てくれるゲストと一緒に僕も成長してきたと思います。響く言葉の使い方や伝え方、自分なりの指導のやり方が、やっとできてきたかな。
スキーが好きな人、人と関わることに興味のある人にもっと知ってほしい。〝関係ない″って思わないで、一度この現場を見てほしいです。雪が・スキーが誰をも笑顔にする、そのシンプルな真実を。
その笑顔を僕らと一緒に増やしていきませんか?」

教えてくれた人

稲治大介さん Daisuke Inaji
・カナダ身体障害者スキー協会公認指導員/S-B-B認定整備技術者
・SPRデュアルスキートレーニングディレクター
・ユニバーサルフィールド・コンシェルジュ
・全日本ノルディック・ウォーク連盟 指導部 専門技術委員
・新潟県ノルディック・ウォーク連盟 副会長
サラリーマンからのキャリアチェンジ、ゼロから障がい者スキースクールを立ち上げ情熱と努力でここまでに発展させてきた「ネージュ」ファウンダー。

半沢 輝さん Hikaru Hanzawa
・インクルーシブ野外活動指導員上級/S-B-B認定整備技術者
地元湯沢町出身の地ガキ。夏はSUP・カヤック指導、リフト整備。冬はスキー指導と年中肉体労働をこなすエース。
Information

障がい者スキースクール・ネージュ

