かつてW-CUPを転戦し、全日本アルペンチームのヘッドコーチも経験。2019年にオーストリア・インスブルックに移住し、「ケスレ」の日本総代理店として、4年間ブランド復活を牽引し、2026年に代理店事業を譲渡。現在も日欧のスノー&リゾートビジネスを繋いでいる浦木健太(うらきけんた)。海外からのグローバルな視点で、ヨーロッパのスノーカルチャーやギア・技術など、最新情報や興味深い話題を届けている。
オーストリア・インスブルックより

オーストリア・インスブルックでの生活が始まって7年。家族との営みも、ずっとこの山とともにある。
だが正直に言うと、暮らし始めるまでの僕は、オーストリアの“夏の山”のことをまるで知らなかった。冬にあれだけ賑わうリゾートは、雪解けとともにただ眠っているだけの場所 だと思い込んでいたのだ。
しかし、実際に住んでみると、それは大きな勘違いだったことを実感する。夏のインスブルックは、家族連れやシニアの夫婦、普段は山に縁のない人たちで、冬とは違う賑わいを見せているのだ。この7年間、その景色を見るたびに「日本の人たちにも知ってほしい」と思い続けてきた。今回はその話から始めたい。
汗をかかずに、絶景の中に立つ
インスブルック中心部から歩いてすぐのところに、市街の北に位置するノルトケッテへ向かうケーブルカーの乗り場がある。乗り継ぎを重ねること20分あまりで、標高2000mを超える展望台に着いてしまう。汗ひとつかかずに、眼下に街を、正面には氷河を抱いた峰々を見渡せる。平日の午前中でも、家族連れやシニアの夫婦でゴンドラは満員だ。そこから先に広がるのは「登山」ではなく、子供から年配の方まで自分のペースで歩ける「ハイキング山歩き」の世界だ。

インスブルックから車で20分ほど南にあるアクサマーリズムは、ゴンドラを降りると目の前に岩山の絶景が広がり、定番の郷土料理ケーゼシュペッツレと冷えたビールで乾杯できる。険しい岩場に挑む必要はなく、スニーカーさえ履いていればまったく問題なく歩ける。この体験は、地元の人にとっては週末の当たり前の景色なのだが、都会から来た人にとっては非日常そのもの。
実はこの「見慣れた景色」と「特別な景色」のギャップこそ、日本のゲレンデが一番活かせていない資源だと思う。冬にリフトやゴンドラを使い慣れている日本のスキーヤーやスノーボーダーなら、なおさらこの感覚はわかるはずだ。


パッチャーコーフェルからグルンゲッツァーへの稜線
自宅から一番近い山は、市街の南にあるパッチャーコーフェル。1964年と1976年、インスブルック冬季五輪で男子滑降が開かれた由緒ある斜面だ。夏はゴンドラで登った先に展望ベンチが点在する、のんびりとした山に姿を変える。先日、息子を誘って、このパッチャーコーフェルから隣のグルンゲッツァーまで、稜線をつないで歩いてみた。

この区間は「ツィルベンヴェーク(Zirbenweg)」と呼ばれるハイキングコースだ。パッチャーコーフェルの山頂駅(標高1952m)から、コース最高点の2060m付近を通り、グルンゲッツァー側のトゥルフェインアルム(グルンゲッツァー山麓駅の近く) まで、距離にして約7km、およそ2時間半の散歩道。
危険な岩場はほとんどなく、樹林限界に沿ってなだらかにアップダウンする、初心者でも歩き通せるルートに分類されている。名前の由来にもなっているズィルベ(ヨーロッパハイマツ)は、ヨーロッパでも有数の規模を誇る原生林で、樹齢数百年という木々が連なる区間もある。片道だけ歩いて、あとはロープウェーで下ることもできるので、日帰りハイキングとしてはかなり手軽な部類に入る。

歩き始めてすぐ、放牧された牛が牧草地でのんびりと過ごす姿に出会う。眼下にはインスブルックの街並みが広がっていて、歩み進めるごとに視界がどんどん開けていく。息子とはあまり多くを話さなくても、並んで歩いているだけで十分だった。余計なことは忘れて、ただ足元の道と正面の山だけに集中できる時間だ。

グルンゲッツァー側に降りると、地元の人たちで賑わう山小屋テラスが待っていた。歩き終えたあとのビール一杯のために、また山に登りたくなる。こういう時間の使い方ができるのも、夏山の大きな魅力だと思う。

山を「面」で使い倒す、ヨーロッパの発想
ヨーロッパのリゾートが夏に本気を出すのは、ひとつのゴンドラやホテルだけでは目的地になりにくいことを知っているからだ。
ハイキングコース、マウンテンバイク、山岳レストラン、周辺の村々までを一体化させ、「山全体」をひとつの観光プロダクトとして磨き上げる。冬に磨いた知名度とインフラを、そのまま夏に転用してしまう発想が徹底しているのだ。
サンクト・アントンのように、初心者向けの散策路から山頂を目指す本格的なルートまで、レベル別に整備されたトレイルが数百キロ単位で広がるリゾートもある。ガスに巻かれながら岩稜を登るような本格志向のハイカーも、家族連れも、同じ山のなかでそれぞれの目的地を見つけられる。

冬の聖地が夏はゴルフの舞台に
アルペンスキーで伝説の滑降コース「ハーネンカム」で有名なキッツビューエルは、夏のハイキングシーズンにもたくさんの観光客が訪れる。

そのキッツビューエルで、今年初めて欧州男子ゴルフの大会(DPワールドツアー)が「オーストリアン・アルパイン・オープン」として5月末に開催された。ワイルダーカイザーの山々を背景にしたコースは、この大会のために大規模な改修まで施され、現地では早くも「夏のハーネンカム」と呼ばれ始めている。
今年はゴルファーとして活動する息子が、この大会の最終出場権をかけた予選会に参戦。出場はならなかったが、父はアルペンスキー、息子はゴルフ。畑違いに見える二つの競技の接点が、キッツビューエルという同じ町にあるというのは、家族としても不思議な感慨があった。

このイベント開催の背景には、近年のスキー場経営に共通する懸念がある。それが雪不足によるリスクだ。
冬の収益だけに依存しない安定した収益源として、あえて5月末というタイミングにゴルフのメガイベントを据えた。しかもアルペンワールドカップで培った大規模な交通誘導やVIPホスピタリティの運営ノウハウを、そのまま夏のゴルフ大会に転用。スキーとゴルフは顧客層の親和性が高く、冬に訪れたゲストを夏にもつなぎ止められれば、長期滞在や別荘としての資産価値向上にも直結してくる。
実際この大会には、地元のキッツビューエルスキークラブやオーストリアの伝説的スキーヤーたちも数多く関わっており、冬季産業にとっても無視できない動きになっている。通年型リゾートへの挑戦として、日本のウィンターリゾートにも参考になる部分は多いはずだ。

日本でも動き出した夏のスキー場営業

日本のスキー場もこの流れと無縁ではない。白馬岩岳、野沢温泉、びわ湖バレイ、グランデコなど、夏のグリーンシーズン営業に力を入れる場所は年々増えているし、白馬八方尾根のように、持続可能なリゾート運営を掲げる国際的なアライアンスに加盟し、通年での価値づくりに動き出している場所もある。
ひとつのゲレンデが「冬の数ヵ月だけ稼ぐ場所」から「一年を通じて地域と関わり続ける場所」へと姿を変えようとしている、その移行期を、僕たちはいままさに目撃しているのだと思う。
都心から近い、絶景の山々

僕が中学まで育った新潟の石打丸山も、この夏はゴンドラ「サンライズエクスプレス」で登った先のグランドテラスから、魚沼平野を一望できる。5〜6月は水を張った田んぼが鏡のようになり、夏は青緑、秋には黄金色へと表情を変えていく。ガーラ湯沢に至っては東京駅から新幹線で70分ほど。都心から日帰りで、汗をかかずに山の上まで行けてしまう距離感だ。
必要なのは、ヨーロッパの正解をそのまま持ち込むことではなく、こうした日本各地の取り組みに、もっと多くの人が気づき、実際に足を運ぶことだと思う。豊かな森、名水と呼ばれる水、標高が上がれば涼しい気候、土地ごとの食文化。日本の山はヨーロッパのアルプスに引けを取らない資産を持っている。その上、都心からのアクセスが良いという圧倒的な強みまである。
そもそも日本は、国土の7割近くを山地・丘陵地が占め、森林率も先進国のなかでトップクラスという、世界的に見てもかなり特殊な国だ。電車や車で足を伸ばすと 少し走れば、標高2000m級の稜線にまで手が届いてしまう。これほど日常の延長線上に本格的な山があり、しかもそこに温泉や郷土料理まで根付いている国は、世界を見渡してもそう多くない。
ヨーロッパに7年間住んでみて、むしろ「日本人は自分たちの山の豊かさに気づいていないのではないか」と感じることが増えた。
夏のスキー場を体験してほしい

冬のあの斜面が、夏はハイキングコースになり、夜はビアガーデンになり、時にはゴルフやマウンテンバイクの舞台にもなる。山は冬だけの場所じゃない。それを知らずに毎年夏を過ごしてしまうのは、本当にもったいない。
大掛かりな装備も、特別な体力も、海外に飛ぶ必要すらいらない。新幹線や車で行ける距離に、汗をかかずに絶景へ連れて行ってくれるゴンドラが、もう動いている。「知らなかった」と思った人にこそ、冬になる前に、近くのスキー場の名前を一度調べてみてほしい。きっと、冬とはまった違う顔をした山が、あなたを待っている。


