奥村 駿-Shun Okumura-の人生を変えた一本|あのショートターンがあったから

トップアスリートに尋ねた「人生を変えた一本」。あの一本があったから…そんな一本が描いた物語や、その一本に込められた思いを辿っていく。 

全日本スキー技術選手権で3年連続2位という成績を残し、いま最も注目を集めるアスリート奥村駿。その “人生を変えた一本”とは?

~人生の一本~
初出場した2022年第59回 全日本スキー技術選手権大会決勝「小回り スペース規制」の1本

かつてアルペン競技に打ち込み、オリンピックを夢見ていた青年は、ある一本のショートターンをきっかけに、技術選という舞台で人生の新たなフェーズを踏み出した。その滑りには、競技としての合理性と観客を惹きつける“美しさ”が融合している。奥村 駿の“人生を変えた一本”を軸に、スキー観、技術論、そしてスキーで生きていく覚悟を聞いた。

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競争心が拓いた道

高校3年生のインターハイGS

奥村 駿(おくむらしゅん)。1996年、京都府城陽市生まれ。雪とは縁遠い地で、スキーは年数回の家族旅行で楽しむレジャーだった。「スキーの始まり」は小学3年生のとき。ブランシュたかやまスキー場でちびっこレースに優勝したことをきっかけに「これから大会に出る」と自ら決め、アルペンの世界へと足を踏み入れる。

「その年に北志賀よませで、長野県のジュニアたちが競い合う大会があって、参加したけれど最下位になったのが悔しくて。本気でアルペンをやると決めました。海和俊宏さんのレーシングチームに入って、冬休みや春休みは合宿生活。そこからはもうスキーにどっぷり浸かって、6年生には長野県の大会でいい成績が出るようになりました。その頃のコーチが選手を何人か連れて、出身地の北海道・網走に帰ることになった。そこで僕も北海道に行く!って決めたんです」

京都の街の小学生が、どうしてスキーをやるために網走の中学校へ行くのか?  

「当時、滑ること以上に、誰に勝った、負けたっていうのがすごく楽しかったんです。僕、勝ち負けが好きで、こだわりがあって。長野県では強い気になっていても、北海道の大会ではいとも簡単に最下位。当時、北海道の選手たちは別次元で速かった。悔しさと、北海道への憧れもありました」

競争心がその道を切り拓いていった。

品のいいとんだ悪ガキ

奥村駿は、穏やかでとても落ち着いていて、身に纏う空気感や語りの調子にも、なんとも品の良さが滲み出ている。雪上でのアグレッシブな滑りを想像させるのが難しいほど。

「とんだクソガキでしたよ、生意気で!(笑)とにかくやんちゃでしたね。ただもう本当にスキーが大好きでした。小学生の頃は、よませスキー場で営業が終わっても、コース脇の倒れた木でレールライドをやったり、ジャンプ台を作って遊んだり。いまでもスキーで遊ぶのが大好きってことは変わらないんですけれどね。

網走ではひたすら練習に打ち込んで、成績も出始めて、全中で6位くらいまでいったんじゃないかな。高校1年生の途中で小樽北照高校に転校したんです」

北照スキー部といえば、かつての岡部哲也、そして佐々木明や皆川賢太郎を輩出した日本最強とも名高い名門校だ。そこから「ぜひ来てほしい」とオファーを受けたことからも、奥村駿の才能とポテンシャルを想像するのはたやすい。

「将来オリンピックに出て、有名になってピザ屋をやるのが夢だったんです(笑)。だからW-CUPレベルの選手もいた北照なら環境的にもいいと思って。でも練習はきつかった。メニューもなくて、これ続けていたら体が壊れるよなってくらい。それで、いい意味でサボる、というか手を抜くことも覚えていった。

最初で最後のZONE体験

高校2年インターハイ SL・ZONE(ゾーン)に入った1本

「高校2年のインターハイのスラローム2本目、今でも目を閉じればポールのセットを覚えていて滑れるくらい、初めて“ZONEゾーンに入った”体験をしました。1本目のスタートは55番目で、でも11番につけた。それで2本目、攻めようってスタートしたら、周りの景色が止まって見える。ポールをさばくにもすごく余裕があって、ゴールしたら一番だったんです。あの感覚はいまでも忘れられない」

大学も強豪の北海道札幌の東海大学に進学したが、思うように成績が出ず、ナショナルチームから外れてしまう。

「大学2年生の時点でこの先、W-CUPやオリンピックが射程距離になかったら、競技は区切りをつけて社会人をやりたいと思っていました。学校の先生になってもいいなって思っていたけど、専門商社で働くことにしました。すると配属が大阪になってしまって、自然にスキーからは離れてしまった。でもカスタムフェアの大阪会場とかに顔を出すと『ライダーやらないか』とか基礎スキーへの誘いもあって。

けれどスキーで生活するってイメージが湧かなかった。でも、社会人2年目で転職の話が出たとき、あらためて基礎スキーや業界を考えたときに、ビジネスとしてスキーを仕事にするって可能性あるかも、いける、と思ったんです。それで仕事を辞めて。チャンスをモノにするためには、まず技術選だ、と」

ここから奥村駿の技術選への挑戦は始まった。25歳のことだ。

基礎スキーの道へ

Photo:松本達希

「実は基礎スキーって大学4年のときに1度見たことあっただけなんです(笑)。アルペンの技術とは違うことをやっているけど、何が凄いんだ? って思ってました。アルペン選手は基礎スキーを見たことない人のほうが圧倒的に多いんです。でも当時、学連のアルペンから技術選に出る仲間もいたので、ルスツでの技術選に応援に行ったことがあったんです。そのとき初めて栗山未来選手のショートターンのフリーを見たんですが、『やべぇ、基礎うまいじゃん』って、正直驚きましたね。それがちょっと頭のなかに残っていたんだと思います。だから自分が基礎スキーをやるってことへのギャップはあまりなかったです。

それに、こんな印象的なこともありました。

基礎を始めて最初のシーズン、コロナで技術選はなかったけれど、春先に雑誌社の撮影に呼んでもらった。僕だけが無名の新参者。アウェイだな~って感じていたら、リフトに乗り合わせた40代のトップ選手が技術についていろいろと質問してくれたんです。 “それどうやってやってるの?”って。プライドの高いアルペンでは、誰かに聞いたり教えてもらうなんて絶対にない文化で、衝撃でしたね。なんてフランクでオープンだろうって、基礎スキーってすごくいいスポーツだなって、強烈な印象でした」

基礎スキーに求められる技術

HEADと契約し、期待の新星アスリートとして絶賛売り出し中となったが…

「実は、最初は『うまく滑ればいいんでしょ』くらいにしか思ってなかったんですよね(笑)。
その頃、もう竜さん(武田竜)が技術選で優勝し始めていました。竜さんは北照の先輩で、僕が高校時代、北米のノーアムCUPで活躍していて、僕ら大騒ぎしてた。竜さんが一番うまいのはわかっていたので、そりゃ勝つじゃん!って思ってました。

ただ、いざやってみるとアルペンが速いから技術選が強い、というのはまったく別次元であることがわかりました。今でこそ技術選の評価軸がアルペン寄りになってきているといわれていますが、「魅せる滑り」とアルペンの純粋に速い滑りはまったく別。うまく見せるには横移動の速さが結構求められると僕は思うんですが、アルペン選手は縦は超速いですが、タイムをロスしないよう横に対しては意図して動きを作らないので、逆に「映え」がしない。見た目の美しさです。

いまの基礎スキーは、速く美しく見えるように工夫する。その違いをしっかり理解していないと結果は絶対に出てこないと思います。それがすごく難しい。アルペンが強くても基礎で結果が出ない選手も数多くいるのは、そこなんだと思います。

僕の考えでは、アルペンでは無駄なものを削ぎ落していって一つの技術にしていくんですが、基礎では、いろんな技術を持っていて、シチュエーションに応じてそれをチョイスして使い分けるのがうまい人が強い。と僕は思っていて、その差がすごくある。

僕は基礎スキーを始めるときに、まったく別の競技・スポーツと思って始めているから、アルペンはこうなのにどうしてだ? みたいな思いはまったくなくて、もうゼロ。なのでコーチから何か言われても「へぇ、基礎はこうなんだ」と素直に偏見なくやれたのがよかったのかな、と思ってます」

その言葉通り、奥村駿は技術選初出場からいきなり舞台のトップに躍り出た。

ここで「全日本スキー技術選手権大会」とは、一体どんな場なのかを簡単に紹介しよう。

「全日本スキー技術選手権大会」のしくみ

まず、技術選を目指したいスキーヤーは、全国の都道府県のスキー連盟に所属し、県予選なるものに参加する。ここで上位選手のみが次はブロック(地区)予選に参加でき、北海道・東北・関東・北信越など、ブロックの上位20~30名が全日本技術選(本選)への出場権利を得ることができるが、これが例年約300名ほどだ。本選では、数日間の間、ナチュラルターン、大回り、小回り、不整地など複数の種目の戦いを経て、最終日の「スーパーファイナル」に残れるのは男子30名・女子15名のみ。その道のりを聞くだけでも、気が遠くなりそうだ。毎年、この技術選を目指して予選会に参加するスキーヤーはおおむね軽く3,000~4,000名はいるというから、驚きだ。

奥村駿のスキー人生を変えた「一本」

それは、技術選初年度の決勝。「小回り スペース規制」の1本だった。

「まずはスーパーファイナルに入るのが初年度の目標でもありました。コロナ禍で2年間大会が開催されなかったこともあり、メーカーからの期待感も大きいなか、予選を終えて50,60位だった。30位までかなり差があったから、これもう厳しくない?って、もう無理だよって、もうビールでも飲んじゃおうかって(笑)。でも最後、ショートターンの2組目でコースがまだきれいだし、楽しもう、と。

ショートターンで初めて5.5mという幅の規制があって、僕は“決められた幅をしっかり滑ろう”って、真面目に全部なぞって滑ったんです。僕、目が悪いので最初スコアが見えなくて、でも一拍したらギャラリーがドッと沸いたんです。よく見たら280点を超える高得点が出ていて「ワァーきたっ!」ってなった。観客の前で滑って会場が盛り上がるって、こんなに気持ちがいいものなんだって感動したんです。アルペンでは味わえない“観客と一つになる”という体験でした。あのとき、滑りで伝わるものがあると心から思えた。コーチと積み上げてきた練習通りの滑りをして、それに高得点がついたことも、コーチも僕もすごく嬉しかったし、この1本のおかげでスーパーファイナル圏内にポンと入れた。

それまでは幅の規制を守ったショートターンなんて誰もやっていなかった。ましてや5.5mという幅はショートターンには微妙な長さで、その幅で正確なトレースをするとなると、かなりカービング要素を強くしたターンでないと、5.5mは賄えない。スキーをズラすとターンが小さくなってしまうから。

ここからだと思います。ショートターンはカービングでやるものだという考え方が、基礎の流れの一つになった。この1本が基礎の滑りの概念を一つ変えたものになったと思うので、それも含めてよかったなって。なので人生を変えた一本として選ぶならば、やっぱりこれかなと思います」

1本のショートターンが、奥村駿の滑ることに対する価値観を変えた。「勝ち負け」とは違った意味を見出した瞬間、奥村駿は「表現の魅力」に惹き込まれ、観る人の心を躍らせるパフォーマンスを追い求めていくことを誓ったのだ。

問い続けたい滑りの在り方

Photo:松本達希

「僕にとって技術選は“表現の場”なんです。勝ち負けも大事だけど、観ている人に訴える・伝わる滑りをしたい」

以来、奥村駿は、競技と芸術性のバランスを大切にしながら、その滑りを進化させ続けている。魅せる滑りをするために、こだわっているのは「タイミング」と「見せ方」。

「 過重と抜重のタイミングを意図的にちょっと変えています。それによって横の動きが出せるので「映え」がよくなるんです。動きがないとつまらなく見えるので、しっかり動きを見せることは、一つ自分のテーマにしています。

あと僕がカッコいいと思うのは、佐々木明さんの滑り。僕がアルペンに夢中だった頃、明さんが世界で大活躍していて、僕、メチャ明世代です(笑)。あの、雪面に手がつくくらい傾いて滑るスタイルがすごくカッコよかった。あれがカッコよさの原点ですね。いまだに真似してやっています(笑)」

美しさとカッコよさ、そして観る人へ訴える力。その融合こそが奥村駿の滑りの核心だ。

「ショートターンの質は、すごく変わったと思います。以前の基礎スキーの、ずらすショートターンとは違う、アルペン要素が強くなった切れるショートターンがいまの主流になっているのは、ムーブメントとして面白いし、共感できる部分も大きい。

ただ、僕は技術選とアルペンはイコールじゃないと思うし、そう言い続けてる。いま技術がアルペン寄りになってきているのは確かだけれど、本当にそれだけでいいのかっていう疑問はずっと持ち続けています。ウェーデルンのような「THE基礎」っていう種目や、いってしまえばパウダーや非圧雪、自然コブとか、もっと別の種目もあっていいと思うし、いろんな技術が総合的にうまい人が技術選で〝うまくて強い人″になってもらいたいと思うんです。

僕もフルカービングで滑っていると思われがちなんですが、実は全然そうじゃなくて、超ずらしているんです。自分の技術としては。だから一見、僕の滑りは幅が狭いと思われやすいんですが、自分のなかでは、ずらしもカービングもトレーニングしているので、どちらも魅せられると思っているんですが、いまはカービングだけでも点数が出るような流れになってきてしまっているから、目の肥えたお客さんには「これは古いとか違う」みたいな論争になったりする。そういうことも含めて技術選の面白さだと思うんですが、いろんなシチュエーションで滑る競技を大会としてやって欲しいなとは願っています」

奥村 駿のこれから

Photo:松本達希

「まだ優勝してない。このまま負け続けるわけにはいきません。必ず勝ちます」

そう、この過去3年間、惜しいところで優勝に手が届かず、技術選総合2位に甘んじてきた。先輩・武田竜からトップの座を奪うことは「勝ち負けにこだわる自分」としては必ず成し遂げたいミッションだ。しかし、奥村駿はそれだけを目標にしているのでは、まるでない。

「 “スキーじゃ食えない”っていう業界の空気を変えたいんです。スキー人口を増やすことも大事ですが、まずはスキーでプロスキーヤーが生活できる土台を作っていくこともすごく大事。ちゃんと稼げる業界にしていきたいと思っているので、僕はお金を稼ぐためにスキーをやるってことも、あえて隠さずに言っています」

ビジネスマンの経験を経て、スキーを生業のビジネスとして捉える視点を持つようになった。実際に現在、会社組織「スぺーレン」に所属し、独自のポール「SILVERRATIOO(シルバーラティオ)」の開発販売や、移動教室スタイルのスクール事業、子どもたちへの初めてのスキー体験の機会創出、一般企業にスポーツリラクゼーションを提供する福利厚生プログラムなど、スキーを軸にした多面的な事業展開に関わっている。

「スキーって完全に別世界で、非日常の世界に行ける特別なもの。自分がどれだけスキーをやってきても、トンネルを抜けたときに目に飛び込んでくる雪景色には感動するし、高揚感を覚えます。現実世界から離れて、大自然を全身で感じられるというのは、スキーの一番の魅力だと僕は思うんです。それは大人への癒しだけじゃなく、教育にも繋がっていて、子どもたちがそういう経験をするだけでも、社会がすごくいい方向にいくなって思うんです」

ビジョンはどこまでも広がっていく。

「少しでも早く全日本で優勝して、影響力を持ったなかで大会運営のことも一つかもしれないし、スキーヤーの在り方みたいなところも繋げていきたい。さまざまなアイデアや思いを形にしていきたい。次世代のスキーヤーに、好きなスキーで生きていけるんだという一つの道筋を作っていきたい、というのがすごくあります。だから絶対に勝ちたいんです」

その瞳には、この冬の勝負への並々ならぬ決意が宿っていた。

一本の滑りが、生きる道を切り拓いていく。
奥村駿は、これからもそれを証明し続けていくに違いない。

Profile

奥村 駿  SHUN OKUMURA

Photo:松本達希

1996年2月2日生まれ。京都府出身。
スペーレン株式会社/SPALANT.ATHLETE所属。アルペンスキーに出会い、全国高等学校スキー大会 SL 2位、全日本学生チャンピオンスキー大会 GS 2位など上位入賞を果たす。ナショナルチームも経験し国内外を転戦、大学卒業後、ビジネスマンを経て基礎スキー界へ。

2022年に第59回全日本スキー技術選手権に初出場し、以後3年連続で準優勝。大胆かつフォトジェニックな滑りで、日本基礎スキー界を背負って立つ実力派。

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