五輪スキークロス・須貝 龍-Ryo Sugai-|北京での悔しさを強さに変えて

Photo: Aflo

「あとは一番になるだけなので」。4年前の北京五輪で呑み込んだ悔しさを強さに変えて、須貝龍は、在りたい自分であり続けるために、ミラノ・コルティナオリンピックの舞台で自身の限界に挑む。

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須貝 龍の現在地

2025 世界選手権@St.Moritz(SUI) で日本スキークロス史上初となる銅メダルを獲得。

2026年ミラノ・コルティナ五輪、スキークロス日本代表・須貝龍(すがい りょう)。その名が一気に広まったのは、4年前の冬のこと。

「悔しかったですよ。やっぱり。あそこで負けるなんてまったく考えてなかったから。でも、あの北京があったから、いまがあります。あとは一番になるだけなので」

2025年の夏、ミラノ・コルティナ五輪を見据えて須貝龍はそう語っていた。その強い瞳はトップアスリートとしての決意と誇りに満ちていた。

2022年北京五輪では、指関節ひとつの僅差でビデオ判定によるまさかの1回戦敗退。その雪辱を晴らすかのように攻めのレースを重ね、2025年の世界選手権で日本スキークロス史上初の銅メダルに輝き、歴史を塗り替えた。’24ー25シーズンのW-CUP第12戦では2位まで詰め、その実力はもはや疑いようがない。須貝龍はいま、スキークロス界の頂点に最も近い男だ。

「前回の北京で悔しい思いをして、それを晴らすための4年間だと思って競技に取り組んできました。メダルを取ることが一番の目標でやってきた。それをぜひ達成したいし、これまで支えてくれた方々やオリンピックを観てくれる方々に伝わるような滑りがしたい」

そうコメントを残して、須貝龍は2月1日にイタリアに飛んだ。

将来はスキー選手と決めていた

アルペン選手時代は国内に敵なしというほどの強さ。さらなる高みを目指して単身ヨーロッパへと渡った

須貝龍は、FIS W-CUPレースなどで熾烈なヒートを勝ち抜き、表彰台を常に狙う世界トップに位置しながら、実は7年前はスキークロスという種目の存在すら知らないアルペンレーサーだった。

出身は新潟県胎内市、スキー好きな両親のもと2歳で滑り始めた。

「てっぺんから一直線でボトムまで滑り降りて、パトロールに捕獲される子でした(笑)。スキーは楽しかったですね。誘われて自然にアルペン競技を始めるようになって。新潟県で一番の強豪校に進学したこともあって、将来はスキーアスリートになりたいって、中学生くらいから意識してました」

子ども時代から体が大きくて強かった。速さも規格外。高校卒業後アルペン選手としての活動を本格化し、国内では断トツの強さで2014年に全日本ナショナルチーム入りを果たす。その過程で、地元湯沢のスキー&アウトドアカンパニー「クレブ」の所属となった。

クレブスポーツでのアルバイト時代

世界の壁と取引

VAL DI FASSA,ITALY,07.FEB.25 -FIS World Cup,
Photo: Aflo/GEPA Mathias Mandl

須貝龍は、2018年まで海外に拠点を置いて、FIS W-CUPのダウンヒルやスーパー大回転、大回転などの高速系種目で戦っていた唯一の日本人だった。2018年、W-CUPポイントも初めて獲得したが、平昌オリンピックへの出場は叶わなかった。

「自分にとってアルペン選手として一番キャリアハイの年だったからこそ、わかったんです。これ以上今までと同じやり方をしても夢のオリンピックには届かないんだって。そんなとき、全日本コーチの皆川賢太郎さんから『スキークロスをやってみないか』っていう誘いがあって。

じゃぁ、4年間だけやります! って言ったんです。平昌を逃した、でもオリンピックには出たい。だからスキークロスに転向して4年でメダルをとって、好きなアルペンに戻ってこようって。それが当初の計画だったんですけどね(笑)」

そこまでアルペンにこだわる理由はなんだったのか。

「スピードです。僕、スピードが大好きなので。それとトレーニングやサポートの環境的に、世界とは大きな差があった。海外の強い国にはコーチが複数いて、サービスマン、トレーナーやフィジオ、ドクターまでいたりする。環境面でどうにも太刀打ちできないんです。悔しいけれど自分一人の力でこれ以上やっていくことに限界を感じていました。当時、初めて本格的なスキークロスのチームを立ち上げることになっていて、スキークロスなら万全のチーム体制でやれるという条件にも惹かれました」

限られた時間と資源をいかにうまく使って夢に近づくか。須貝龍にとって金メダルへの最速のライン取り、それはスキークロスという取引だったのだ。

「でも、実はスキークロスなんてそれまで一度も見たこともなかったんです、僕(笑)。スキークロスって2000年くらいからX-Gamesで始まった競技なのですが、自分がやることになるまで18年間、どんな競技か知りもしなかったんです。だからもう初めてのことだらけ。スタートの仕方すら知らなくて、海外の遠征でいきなり試合に出されて、全部がぶっつけ本番でした(笑)」

しかし、転向後1年を待たずに初めてのW-CUPで15位。アルペンで培ったスピードと高い滑走技術は世界トップを狙うに不足ないどころか、須貝は持ち前の爆発力で、瞬く間に世界でマークされる存在となった。

スキークロスの魅力

4人による熾烈なヒートは戦略が交差する白いF1とも。先頭が須貝龍
Photo: Aflo/GEPA pictures/Mathias Mandl

須貝龍にとってスキークロスの魅力とはなんだろう。

「勝てない選手に勝てること。単走では体が大きいほうが圧倒的に速いけれど、スキークロスはそれを戦略やデータ分析で補える。駆け引きです。いま表彰台に上る選手は190cm・100kg超えが普通。僕は177cm…だから、ないものを補うために工夫するんです。僕にとっては戦略がすべてなんです」

須貝は世界トップの選手たちの詳細なデータを収集し、深く分析する。個々の得意・不得意・クセ・レース展開や結果など、あらゆるデータを分析し、コース形状と掛け合わせて数値化する。確率的に見ることで客観視し、冷静な対処や戦術につなげるのだ。分析は体力トレーニングにも落とし込む。その熱量と研究量は周囲が舌を巻くほどだ。

「分析から導いた戦略に必要な体力やテクニックをつけて、雪上で試して正解かを確かめる。そのトライ&エラーをずっと繰り返してきました」

須貝の成長と強さの背景には、こんな工夫があったのだ。もちろんそれだけではない。

「純粋にすごく楽しいスポーツなんですよ。ジャンプありクラッシュありのエキサイティングなヒートは、アトラクションみたいな感覚なんですよね。それに、この瞬間に自分がいま一番だ、とか遅れてるのがわかるのが面白い。アドレナリンが沸きますね」

須貝 龍という人間

2025世界選手権で銀メダルを獲得し、クレブに凱旋帰国した際の一枚

「僕、自分が楽しいと思ったことや、自分がやると決めたことを反復するのはすごく得意なんです。自分なりに分析して仮説を立ててトライしているので、何回も反復しないと検証ができないから。他人に言われたことは、自分の頭でしっかり考えてやってきたことや実証したこととは重みが違う。そういう意味で、僕、あんまり人の意見を聞かないんだと思います(笑)」

須貝の所属するチームクレブを立ち上げ、アルペン時代から須貝をサポートしてきたクレブ代表の岸野大輔氏はこんなふうに語った。

「須貝選手がすごいのは、常に客観的に自己を分析し、必要なことに向かって工夫し、自ら行動する点。自己のマネジメントを徹底して確実に課題を達成するだけでなく、高いレベルで設定目標を超えること。そして、とても家族や仲間想いで人間性が高くて、アスリートとしてだけでなく人としてカッコイイ。自然とみんなが応援したくなるんです」

その原動力

スキークロスでは強靭な肉体が必須。体幹やバランス力を鍛えるトレーニングは欠かさない

「シーズンインまでにどれくらい体を造れるかが重要なポイント」と夏に語っていた須貝。五輪イヤーを迎えた’25-26季は、シーズンの立ち上がりから好調を示し、W-CUP第2戦では4位入賞。仕上がりの良さをうかがわせた。

そんななか、2025年12月19日、イタリアで開催されたW-CUP戦で激しくクラッシュし、左股関節脱臼、大腿骨頭骨折というアクシデントに見舞われてしまう。オリンピックまであと2ヵ月というタイミングでの大怪我は、普通に考えれば悲劇でしかない。しかし須貝には絶望などという言葉は通用しない。「オリンピックまでには必ず復帰する」と決意表明。当時の自身のInstagramにはこう綴られていた。

こうして厳しいリハビリを積み上げて、いままさにコルティナでコースに立とうとしている。

何があっても最後まであきらめない。ここまで須貝龍を強くしてきたものはなにか。

「北京での1回戦敗退が本当に悔しくて、それを晴らすためにこの4年間やってきた。怪我を乗り越えてでも自分はパフォーマンスを出せる、それを証明したいという思いが原動力の一つだったと思います」

須貝を突き動かす原動力は、他にもある。

「高校生のとき、大学にいった先輩たちを見ていたら、自己管理をしなきゃいけない世界に入るタイミングで、それに失敗してスキーが遅くなった選手がたくさんいた。それがカッコよく見えなかった。僕はこれからも自分の思うカッコいい位置にいたいと思ってヨーロッパに行くことを選択してやってきた。カッコよく速く滑れる選手でありたいというのは高校生のときに思った純粋な思いで、それがずっと原動力になっています。今でも。

怪我もあったし、トレーニングが思うように進まない時期も長かったけど、昨年の世界選手権では自分を信じて滑りきることができた。高校生のときに思った理想の自分にはまだ完全には到達できていないかもしれないけど、そのライン上にはいられてるんじゃないかなと思っています。

もちろんミラノで金をとりたいし、W-CUPの総合優勝もしたい。優勝を重ねていく選手にもなりたい。目標はたくさんあります。手に入るかわからないものに挑戦するのは楽しい。

僕、実は努力するという言葉はあまり好きじゃないんです。『情熱は努力に勝る』と思っているから。心からこれをやりたい・好きだって気持ちは、努力だと思ってするより強いなと。情熱があれば夢中になったり、情熱があれば大変なことも工夫して楽しいことに変えられる。息子たちにもそういうことのできる強い子になってほしい」

長男の錬(れん)クンと。現在は5歳に

愛息の話になるとパパの優しい笑顔がこぼれる。

「子どもたちにはいつも癒されてパワーもらっています」と嬉しそうだ。大切な家族のためにも、応援してくれるたくさんの人々のためにも、須貝龍は、いよいよ決戦の舞台へと挑む。

協力:クレブスポーツ 『AndSnow Vol.4(2025)』

Profile

須貝 龍 Ryo SUGAI

提供:全日本スキー連盟

1991年生まれ、新潟県胎内市出身。クレブ所属。海外を拠点にFISアルペンレースを転戦後、2019年にスキークロスへ転向。 W-CUPで何度も表彰台にも上がり、2025年世界選手権銅メダル獲得。世界の頂点を争うトップアスリート。

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