坂本豪大(さかもと たけひろ)、1996年日本人初のモーグルワールドカップ優勝を果たす。それも初出場初優勝という前代未聞の勝利。しかし、世界の頂点でさえ、坂本豪大にはスキー人生の通過点でしかなかった。いま、“日本で一番スキーがうまい”とリスペクトされるその滑りには、ジャンルを超えた説得力がある。頂点を知り、滑ることの本質を磨き続けるその姿を追った。
原点

「スキーを始めたのは2歳の頃から。父の影響で最初はアルペンをやっていました。父の勤める郵便局の社会人チームで、小さい頃から一緒に練習させてもらっていたんです。小4くらいから草大会に出るようになった。その後、ニセコが大好きでずっと滑りたいため、倶知安高校の定時制に進学。日中はひたすら自分でトレーニングして、夜、学校に通ってました。」


幼い頃から雪の世界で、自らの選択で「滑る道」を歩んできた坂本豪大。小さい頃から「とにかく行動的。いつも動いてて自分のやりたいことに素直で貪欲だった」と笑う。小学校の卒業式で将来の夢を発表する場で、「僕は絶対スキー選手になる」と言った。8年後、想像を超えるカタチで有言実行することになる。
1996年、モーグルワールドカップ初出場にして、なんと初優勝。坂本豪大は20歳で世界の頂点に立った。モーグルを始めてからわずか4年、「原点」から「頂点」までを、まるで1本線を描くようにスピーディーにダイレクトに結んだ。
モーグルとの出会い・世界を知る

「高校1年のとき、札幌に帰ったら地元の仲間に『モーグルって知ってる? コブ滑ってジャンプしたりするんだよ。ピルミン・ツルブリッゲンとかもかじってる種目なんだけど』って教えてもらったんです。『何それ、面白そうじゃん!』って。父さんのチームにもコブ好き・ジャンプ好きの人がいて、よくあちこち連れまわしてもらっていたので、僕もコブは好きだったんですよね。それにツルブリッゲンも好きだった。いまでもアルペン選手で一番上手かったと思ってる。それで、ちょっとやってみようかなって見様見真似で始めたら楽しくなっちゃって。
※ピルミン・ツルブリッゲン=スイスの1980年代を代表するアルペン界のスター(FIS WーCUP総合優勝通算4回、1988年カルガリーオリンピック滑降優勝など)
当時、ビデオで見たんです。エドガーやジャンリュックの滑りを。『何これ、めっちゃかっこいい!めっちゃ楽しそう!』って。『もう絶対にモーグルやる!』って決めた。技やジャンプを練習し始めたら面白くてハマっちゃって、アルペンなんてもういい!って(笑)。
それで、高校1年の春に、初めてニセコスーパーバンプスのデュアル大会に出たんです。200人越えのなかで決勝トーナメントまで勝ち上がって、最後に戦った相手は、当時のナショナルチームメンバー森徹君だった。2対3で負けちゃったんですけどね、ナショナルチームにたった1点差なら、これいける!って思ったんですよね(笑)。二人同時に滑る競技なんて、めっちゃ面白いって思ったんです」
大会で次々と実績を上げ、高校2年生時にナショナルチームへの声がかかる。坂本がこれまでずっと愛用してきたK2をBUMPSの石川マコ氏に紹介してもらったのもこの頃だ。翌シーズン、メーカーに誘われてカナダ・ウィスラー&ブラッコムでのテストを兼ねた夏合宿に参加することになった。
「それが初めての海外だったんです。衝撃を受けました。ジョン・スマートのキャンプに世界のトップ選手たちが来ていた。目の前でその滑りを見てびっくりした。スピードも技も、全部違う。すごいなって。それから海外の大会にも出るようになったんですけど、初めて行ったノースアメリカンカップでは、外国人とのレベルの差を感じて、まだまだすごい人いっぱいいるんだな。こんなとこで負けてられないって、悔しい思いで帰ってきました。で『来年は俺が絶対に勝つ!』って。まだワールドカップにも行ってないんだけどね(笑)」
世界の高さを知った坂豪大。結果よりも本質を求める姿勢は、このときから始まったのかもしれない。
世界で戦った時間─技術と自信のあいだ

日本ではもはや敵なし。坂本豪大は、世界を見据えていた。
「勝って当然だなって思ってましたね。そのときは。それくらい自信があったし、日本のなかでも誰よりも上手いと思ってたし、日本で負けてるようじゃ世界に行けないって思ってたから。でも、当時は死に物狂いでトレーニングしてましたね。ナショナルチームでの練習は合宿のときしかないんです。だから、普段は選手たちはジムとか通うんですけど、僕の場合は日常の遊びが全部トレーニングだったので、インラインスケートやマウンテンバイクを1日何時間もやってました。これだけ体動かしてたら負けるはずないって思ってましたね」
坂本豪大といえば、モトクロスの腕前も国内A級と相当なもので、並外れた身体能力の高さでも有名だ。

「小さい頃からなんでもやりました。楽しいと思うことは本気でやってたんで。できようができまいが関係なくね。父さんがすごく身体能力が高かった。もともと登山家で三浦雄一郎さんとも親交があって。そんな環境もあったかな。スピードが好きなんです。モトクロスはマウンテンバイクより速くて激しくて面白い。アドレナリンが出ないと面白いと思えなくて(笑)」
坂本がモーグルに惹かれた背景には、デュアルという独特の競技スタイルが、このアドレナリン欲求にマッチしていたからではなかったか。
「でも競技って怪我とかを含めていつ何が起こるかわからない。そのときの体調やコースの好き嫌い、勝負の運もある。だから絶対に世界がとれるって確信はなかったけど、確かなことは、常に表彰台しか見てなかったってことです」
洗礼を受けたクリフジャンプ

「モーグルを始めた頃から、カナダのナショナルチームにいたJFクッソンやJPオークレアと一緒に滑るようになったんです。当時フリーライドって言葉はなかったけど、海外のリゾートって、どこでも地形を活かして遊べる。あいつらと一緒に飛んだり、地形で遊んだりしてるうちにめっちゃ面白くない?!みたいな感じになって。
その頃、ナショナルチームに入って1年目(1995)かな、大先輩の山崎修さんにK2の関係で海外に撮影に誘ってもらって。USAワイオミング州のジャクソンホールに連れていってもらったんです。ゲストでグレン・プレイクやダグ・クームスらも来ていた。山に上がって、みんなで撮影場所までフリーランで流していこうってなったら……いきなりクリフなんですよ(笑)! 僕、それが人生初のクリフで……。

『タケ、ここ崖あるから。高さ7,8mかな。ま、オマエなら大丈夫だよ』って(笑)。マヂか……と思ったけど、飛ぶしかない。結果問題なかったんですけど、僕、細いモーグルの板だったんですよね(笑)。まぁ、これで初めてクリフジャンプを覚えて、面白くなっちゃった。
そのときにグレンがグラブして飛んでるのを初めて見たんです。スキーをクロスしてミュートでちょっとタッチしてるだけだったけど、あれカッコイイな!と思ったんです。グレンに『真似していい?』って聞いたら『おぅ、全然いいぞ、日本でどんどん広めろ』って言ってもらった。それで日本に帰っていろんな大会でやったり、JFクッソンたちと滑るときもグラブをやっていたら、あいつらも真似し始めたんです」
当時、ツインチップスキーの登場とともに生まれたエアトリックやレールライドという新しいスタイルのスキーは「ニュースクール」と呼ばれ、瞬く間に一世を風靡した。いわゆるフリーライドムーブメントの始まりだ。このアイコン(象徴)だったのがJPオークレア・JFクッソンらの「カナディアン・エアフォース」なる面々。なんと彼らにグラブを仕込んだ?のは坂本豪大だったのだ。
坂本は世界のトップシーンで戦いながら、勝ち負けだけでなく、自由さや滑りの本質にも魅せられていくようになる。
競技者から表現者へ

ここで、坂本豪大の競技者としての戦歴を辿ってみよう。
1995~2001年 モ-グルナショナルチーム在籍
1996年 FISワールドカップ最終戦マイリンゲン大会 優勝(W杯 初出場初優勝 日本人初の快挙)
1997年 FISワールドカップ第2戦で前十字靭帯断裂
1998年 長野オリンピック出場
1999年 全日本選手権 優勝(翌日デュアルレース時、再度前十字靭帯断裂)
2001年 シーズン途中右膝半月板損傷、摘出手術後モ−グル競技引退を決意
2001年春プロ宣言 モーグル競技~SKI-X競技へ
2002年 US SKI OPEN SKI-X 出場(Semi Final進出)
SKI JAM SKI SNOWBOARD OPEN SKI-X 2位
2003年 FISワールドカップ SKI-X 日本代表選手として転戦
驚くほど速くそのときはやってきた。
96季、初めてのFISワールドカップの最終戦マイリンゲン大会 でなんと優勝。世界を驚愕させた。ワールドカップ初出場初優勝 というのは、日本人初の快挙。日本人選手が世界を制したのも初めて。「モーグル史を前代未聞の形で塗り替えた新星〝TAKE″。そのスケールは計り知れない」そんなインパクトを世界に与えた勝利だった。
しかし、翌年は前十字靭帯断裂という怪我に見舞われ、復帰した98季の長野オリンピックでは転倒してしまう。優勝したのはUSAのジョニー・モズリーだったが、これには悔しい思いもあった。
「当時はモーグルの大会では申請しないとグラブトリックはできなかった。でも僕は面倒くさいから申請なんてやってなくて。それが長野でジョニー・モズリーが全パクリしてくれたおかげで、グラブヘリはジョニーの技みたいになっちゃったけど、一番最初にやったのは、僕なんですけどね(笑)。

その頃、スキークロスっていう新しい種目も出てきて、そっちにもすごく興味があった。自分のスキー人生はモーグルだけじゃないって、最初から決めていたから。2001年プロになってスキークロスに転向、ワールドカップもちょっと転戦したし、エクストリームスキーもやりたくて、カナダで5シーズンを過ごしました」
競技者から表現者へ。坂本豪大のスキーは勝負の枠を越えて、“上手さ”と“自由”を求めるスキーへと変わっていった。
教えることで見えた滑りの本質

日本に戻ると、転機が訪れる。
「当時のデモンストレーターだった粟野さんに「スクールをやってみないか」と声をかけられたんです。かぐらで指導を始めて、粟野さんと一緒にキロロへ移って、そこから本気でレッスンをするようになった感じです。というのも、常連客が上達していく過程を見ているのが面白くなっちゃって。なかなか上達しない人に、どう教えたらいいのかって真剣に考えるようになったら、この世界も面白いなって」
指導に思いや時間をかけるようになると、また違った世界が見えてきた。
「今でこそパウダーやフリーライドが知られるようになったけれど、それでもまだひと握り。そこに焦点を合わせるより、ジャンルを問わずにスキーの本質的な技術を教えるレッスンをやるほうが、多くのニーズに応えられるし、将来にも繋がると思って。

いまの日本人のスキーヤーに足りないのは、多様な地形への対応力。コブや斜面変化に弱いんですよね。だからコブのレッスンを頼まれても、「この人、乗れてないな」と思えば、パウダーや荒れた斜面に連れ出します。多様な状況で、どういうポジションに乗っていないと滑れないよってことを身体で感じてもらうんです」
現在は、坂本豪大のFacebookやInstagram経由でプライベートのレッスンのみ受け付け、指導にあたっている。北米やアジア圏のゲストも多く、1月から2月は海外ゲストへのレッスンでスケジュールはいっぱいだ。
うまさの本質

坂本豪大ほど、その滑りがリスペクトを集める滑り手もいない。フリースタイル界はもちろん、基礎スキー界のトップアスリートでさえ、「あれほど上手いスキーヤーはいない」「日本で一番上手いんじゃないかと思う」と舌を巻くほどだ。
坂本豪大の滑りを一言で表すとしたら「あらゆる雪質・シチュエーションでもブレない上手さ」とでもいおうか。モーグル、カービング、パウダー、バックカントリ─、エクストリームなビッグマウンテン、どのフィールドに立っても、その滑りは同じ美しさを放つ。
「上手いっていうのは、見た目もそうだけれど、体の使い方。パッと見たときに「上手いな」と思う人と、「滑れてるけど上手くないな」って思う人がいて、それってポジションなんですよね。ライン取りもそうですが。
上手いのとクセが強いのは違うと思っていて。パッと見、ダサいなって人が結構多い。手の位置や顔の向きとか。基礎スキーヤ-を見ているとわかるけど、みんな同じような滑りをしていても、上手い人は、そういったちょっとしたところが違う。クセじゃなくてスタイルとして表現できてる。
本当に上手い人は、どこを滑っても同じ位置に乗っているように見える。パウダーでもコブでも整地を滑っていてもポジションが変わらない。上手い人っていうのは足首の使い方が上手なんですよ。普通、足首ってブーツを履いているから使えないものだと思ってしまう。だからみんな不必要に硬いブーツを選ぼうとするんですよね。
足首で体のバランスを整えないと上手く滑れない。バランスとるのは腰の位置じゃないですよ! それには足首で重心移動を覚えるのが一番です。みんな大袈裟に膝や腰を使おうとする。だから、パウダーにいくと膝から曲がって腰が落ちちゃう。コブに入ると前にいこうとして膝が伸びちゃうからコブが吸収できなくなっちゃうんです。そうじゃなくて、いいポジションをつくった状態で足首だけ曲げて前にいく、後ろにいく。これでお尻の位置が変わるから頭の位置も変わって、それだけで重心移動ができるんです」
「上手さとは」の話しになると、ひときわ熱が入る。
「足首を使えるようになるには、普段から足首を動かすことに意識を向けるといいです。例えば自転車は、自然すぎて気づかないけど、漕ぐ動作って実はすごく足首を使っています。それをもっと意識して動かしていると、変わると思います。インラインスケートもすごくいいですよ。スノーボードもオススメです。僕が強かったのは、スノーボードをやっていたからじゃないかな。当時周りは誰もやっていなかったですけど、影響されてスノーボード始めた連中は、スキーめちゃめちゃ上手くなりました。甲の部分以外のバックルを全部外して滑るのも、いい練習になると思います」
バックルを外した状態でも自在に滑れるほど、足首を使う感覚を養う。その足首の使い方が、どんな地形や雪質でも同じポジションで、余裕たっぷりにスタイリッシュに滑る秘密のようだ。少しの解説にも上達へのヒントが散りばめられている。じっくりと雪上で指導を受けたら、どれだけの気づきや学びがあるだろう。
誰でも、坂本豪大のレッスンを受けることができるので、「上手さ」を学びたいスキーヤーはメッセージを送ろう。
北海道での暮らし

2001年、ちょうど坂本がプロ宣言をした頃、とあるスキー雑誌にこんな坂本の言葉が伝えられていた。
「僕、早く結婚したいです」
「あぁ、あの頃からずいぶん時間がかかっちゃいましたね(笑)」
こう笑う坂本は、現在では4歳の息子と、2歳の娘の父親だ。愛妻と北海道赤井川村で、家族4人で暮らしている。なんと新居に購入した土地は6000坪。それも有名な観光スポットの山中牧場のすぐ傍だ。

「いい場所に広い土地と大きな家が欲しかったんで、満足ですね。ずっと抱いていた夢が、自分の家の目の前にモトクロスのコースがあって、すぐ乗りに行けることだった。もう小さなコースは作ったので、それは実現できました!この先は、キャンプ場をやりたいんです。民泊もやりたいねって奥さんと話してます。子どもたちがもうちょっと育ったら、いろいろやりたいな~。


雪の上でいくと、オールラウンドなスキーを教えるスクールを立ち上げたいと思っているんです。でも、なかなか全部を教えられる人材がいない。だからすぐには難しそうだけれど、スクールは一つのビジョンとして持っていたい」
北の大地での暮らしは、希望と楽しみにあふれている。この先のことを語る坂本豪大は、やわらかな笑顔で本当に幸せそうだ。
自分にとってスキーとはなに?と聞くと
「人生です」。間髪入れずに答えた。
「人生のテーマ? 攻めですね。守りじゃなくて攻め続ける。絶対にあきらめない。
それがあればどんなことでも、もしも失敗しても続けていけるって思うから」

坂本豪大は今日も雪の上に立つ。
その滑りは、スタイリッシュで力強く、誇り高い。
坂本豪大が刻むラインは、ただの軌跡ではない。
それは、本質を追い求め続ける生き方そのものだ。
Profile

坂本 豪大 TAKEHIRO SAKAMOTO
北海道札幌市出身、プロスキーヤー
日本モーグル界の歴史を切り拓いたレジェンドアスリート。1996年、W杯初出場で日本人初の優勝という偉業を成し遂げ、一躍世界のスターダムへ。その後はカナダでの表現活動やスキークロス、フリースキーへとフィールドを広げ、近年は赤井川村に居を構えスキーレッスンにも注力。パウダー、コブ、カービング、ビッグマウンテン、いかなるシーンでも一貫したスタイリッシュな滑りを見せる。技術とスピードとキレ、創造性のすべてを備える真のオールラウンダー。
Instagram:@sakamototakehiro
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