トリノ・ソチの2つの五輪の金メダリスト、テッド・リゲティと材料工学エンジニアのカルロ・サルミニが立ち上げたブランド「SHRED.(シュレッド)」。
自作プロテクターから始まり、ネオンカラーのゴーグルの誕生、マサチューセッツ工科大学での最先端レンズの開発など、20年にわたる軌跡と見据える未来を紐解く。彼らが製品に込めた「決して諦めない」というスピリットを宿したブランドはいかにして生まれたのか。6月に来日していたカルロ・サルミニに話を伺った。
Photo=Sam Decout

SHRED.の誕生と初期のストーリー
はじまりは2005年。材料工学エンジニアでありスラロームのレーサーだったカルロ・サルミニがFISレースに出場した時のこと。当時、カルロは自分や友人たちのために自作したカーボンファイバー製のシンガード(すね当て)を身につけていた。

すると、そこに居合わせたトップレーサーのテッド・リゲティや彼のチームメイトたちが、
「それなに? 試してもいい?」
と興味津々で集まってきた。
これを機に、カルロは彼らにプロテクターを提供し始め、やがて当時まだ世界になかったアームプロテクター(アームガード)の製作にも着手した。
いまでこそすべてのスキーレーサーがアームガードを愛用しているが、当時は硬質プラスチックをテープで腕にぐるぐると巻いている選手が数人いる程度の時代。
テッドは、これまでに誰も実現したことのない内傾角で雪面を削る独自の滑走スタイルを持っていたため、人々は彼自身の滑りだけでなく、使っている見たことがない装備にも大きな関心を寄せるようになった。

カルロが自宅のガレージで作ったシンガードを身につけたテッドは、2006年のトリノオリンピックの複合で見事金メダルを獲得した。さらに、同じくガレージ製のアームガードを装着して挑んだ韓国でのW杯では自身初となるGSでの勝利を手にしたのである。
この成功に並んで、カルロはカメの甲羅のような従来の硬質なプラスチックではなく、柔らかい素材を用いた画期的なバックプロテクター「Slytech」の開発も成し得ていた。

「SHRED.」設立の決定的な転機は、2006年6月26日に訪れた。アメリカ・ユタ州パークシティのクレスト・ライドでマウンテンバイクを1日楽しんだ後にテッドが突然こう切り出した。
「カルロ、ゴーグルブランドを立ち上げてみないか?」
当時のゴーグルは極端な二極化に陥っていた。DragonやElectric、Anonといったスノーボードブランドはスタイリッシュでクールだけど性能に難がある。
一方で、性能が優れているブランドは、まるでドイツ人観光客のような見た目になってしまう、という不満をテッドは抱えていたのだ。

境界線をなくす「SHRED.」というビジョン
テッドの提案を受けたカルロは即座に行動を起こす。製造業者を探し手配して、最初の金型をハイスピードで完成させたにもかかわらず、予期せぬトラブルが重なり、プロジェクトは大幅に遅延する。最初のサンプルが完成したのは、W杯開幕戦ゾールデンのGS開催予定日から2日後だった。幸いにもゾールデンでの大会は雪不足で中止。
本来ならブランドの船出を大きく狂わせかねない状況だったが、この思いがけない猶予がSHRED.にとっては追い風となった。準備を万全に整えた同ブランドは、2006年11月にフィンランドのレヴィで開催されたW杯の記者会見で正式にローンチされた。

しかし、世界的ビッグイベントにおいて「SHRED.」のゴーグルを最初に装着して競技に臨んだアスリートは、スキーヤーのテッドではなく、スノーボーダーだった。
フィンランドでのレースの1週間前に開催されたオーストリア・オープンのハーフパイプで、サポートライダーのルディ・クロールが「SHRED.」のゴーグルを使用したのである。
これこそが、彼らが目指したブランドの真髄であった。当時のスノースポーツ界は、スキーとスノーボードの両者の間に、けっして交わることのない大きな壁が存在していた。
しかし彼らは、「スノースポーツがひとつになり、同じ山、同じキャンバスを共有できる」という、境界線のない強いビジョンを抱いていた。
「2枚のボードで縦に滑ろうと、1枚で横に滑ろうと、私たちにとっては同じことでした。スキーとスノーボードの間に境い目なんてない」
とカルロは振り返る。
そもそも、ブランド名の「SHRED.」は、テッドのニックネーム「テッド・シュレッド」に由来している。

激しく、かつ最高にカッコよくプレイするというポジティブなスラングであるこの言葉は、サーフィン、スケートボード、MTBなど、世界中のアクションスポーツ愛好家が直感的に理解できる響きであり、「すべての人に向けた存在であるべきだ」という深い意図が込められている。
金メダリストのテッド・リゲティとしての存在が大きすぎるため、「スキーレース専門ブランド」というレッテルを貼られることを危惧した彼らは、当初から積極的にフリースキーヤーやスノーボーダーを探し出しサポートをした。可能な限り最高の製品を作り、それを皆と共有する。それが、彼らが業界の壁を打ち壊すための最大の武器であった。
ネオンカラーの革新とデザイン
「当時(2006年)のスキーシーンで主流のゴーグルデザインは、総じて保守的で退屈なものだった」
とテッドが言うように、シルバーとオレンジのストライプが入ったような、クラシカルで保守的なデザインばかりが溢れていた。
カルロはゴーグル開発に着手したものの、材料工学エンジニアである彼は色のデザインに関する経験がまったくない素人。
ある日、工場を訪れたカルロは、塗料の色見本とパントーンのカラーガイドを睨みつけながら、「明るい緑が必要だ」「明るいピンクが必要だ」と何時間も果てしない議論を重ねていた。
そして、彼がカラーコードを書き留めようとしたまさにその瞬間、運命のいたずらが起きた。
カラーガイドが手から滑り落ち、たまたまネオンカラーのページで止まったのだ。パントーンのカラーガイドには、束の一番最後の方にネオンカラーがひっそりと配置されている。そのため、カルロはまったくその存在に気づいていなかったのである 。
目に飛び込んできた強烈な色彩を見た彼は、即座に決断した。

「すべてを変えてしまおう。これ、この色、これが欲しい!!」
彼が選んだのは、ネオンピンク、ネオングリーンそしてネオンブルーとピュアホワイトを組み合わせた目に刺さるようなカラーだけだった。これまでのゴーグルのイメージを根底から覆すこのネオンカラーの採用は、スノーシーンにおいて「SHRED.」の色となった。
投資家もビジネスの専門家も存在しない、自分たちだけの小さなスタートアップであったため、最初のモデル「Nastify(ナスティファイ)」は、たった1つのフレームデザインに4つのカラーバリエーションのみという絞り込んだラインナップで展開された。
MITでの研究とコントラストブーストレンズ(CBL)の開発
プロスキーヤーのテッドは、エンジニアであるカルロに対して一切の妥協を許さなかった。事あるごとに「これってできる?」と、その当時の技術の限界を超えるような、無茶な要求を求めてきたのである。
なかでも、ブランド立ち上げ当初から最も強く求め続けた課題のひとつが、曇天等に雪面の起伏が見えにくくなる状態の克服だった。いわゆるフラットライト対策だ。
テッドは
「フラットライトで視界が確保できれば、いまより2秒速く滑れる」
と断言。
実際に激しい嵐の日のレースでも、テスト中のレンズによる圧倒的な視界の差を利用して大差で勝利を収めていた。

この難題を根本から解決するため、カルロは驚くべき行動に出た。自社を経営しながらアメリカのビジネススクールに応募し、ボストンのMIT(マサチューセッツ工科大学)へ、2年間通い始めたのだ。彼はビジネスを学ぶと同時に、世界トップクラスの光学物理学者から直接指導を受ける機会を掴んだ。
カルロはMITの研究室と共同で、フラットライトを人工的に再現するための巨大なフォトブース型シミュレーターを構築。雪面からの強い乱反射を再現するために、底面からも強力な光を当て、疑似雪の上に笑顔のようなマークを描いた。そして、50人以上の学生に様々なレンズ越しにその笑顔を観察・評価させ、さらにカメラで撮影した画像情報を人工知能(AI)に読み込ませて徹底的に分析したのである。
こうした膨大な反復実験の末に、ついに最適な配合を見つけ出して完成したのが「SHRED.」独自のレンズテクノロジー「コントラスト・ブーストレンズ 2.0(CBL 2.0)」だ。

かつて、天候が悪く視界不良の日には
「今日は視界が悪くてスキーしたくないから、ロッジにいる」と滑るのを諦めていたテッドの妻も、このCBLレンズを手に入れてからは、どんな悪条件でも外に出てスキーを心から楽しむようになったという。
はじめはテッドのリクエストに応えようと始まったレンズ開発だったが、結果的には雪山で過ごすすべての人が快適に過ごすための機能になった。
どんなコンディションだろうと、外へと行きたくなり、滑ることが楽しくなる。「SHRED.」はそれこそがレンズ開発、ひいてはゴーグルを作り続ける最大の使命だと考えを改めるきっかけになったのだ。
ローカルコミュニティへの還元「SHRED. Town」のコンセプト
現在、スキーやスノーボードは高価な遊びに変わりつつある。とくにアメリカでは一般の人々が気軽に楽しむのが難しいハイエンドな層向けの娯楽になりつつある(ヨーロッパや日本では地元住民向けの割引パスが存在するなど状況はやや異なる)。
テクノロジーの進化やスマートフォンの普及によって子どもたちが外で遊ばなくなり、スノースポーツの競技人口そのものが減少している現状に、「SHRED.」は強い危機感を抱いていた。
この課題に対して彼らが出した答えは、巨額の予算を使い大規模な広告を打つのではなく、地域に密着して徹底的にグラスルーツ(草の根)を応援することだった。
その象徴的な取り組みが「シュレッド・タウン(SHRED.Town)」という独自のコミュニティ支援コンセプトだ。

カルロのスキーの拠点であるイタリアのコルティナ・ダンペッツォや、テッドの地元であるユタ州パークシティでは、現地のスキークラブと提携を結んでいる。U8(8歳以下)からU18までの幅広い年齢層の子どもたちやコーチ陣にゴーグルやヘルメット、バックプロテクターなどを提供し、クラブ全体へは特別な割引率で購入できるプランを用意している。
画期的なのは「キックバック」と呼ばれるシステムだ。これは、クラブ経由で発生した売上の一定割合を、再びクラブの運営資金として直接還元するというものである。
また、スキースクールの全インストラクターやスキーパトロール隊員にも特別な条件でヘルメットやゴーグルを手にしてもらい、山で働くプロフェッショナルたちをも巻き込んで「山全体をシュレッドタウンにする」という壮大な取り組みを進めている。
カルロは言う。
「利益やビジネスの主軸となるのは、山の麓に住む人たちからではない」
資金力のある層からは適正な利益を得て、そのぶんを未来を担う地元の子どもたちやコミュニティの保護に回すという確固たる意志が込められている。
10年は使える高い耐久性を持たせたバックプロテクターを作り、兄弟や仲間内で長く受け継いで使えるように設計しているのも、家計の負担を減らしてスキーやスノーボードを継続させるためのアプローチのひとつだ。
日本でもこの「シュレッド・タウン」の動きは着実に広がりを見せている。例えば、野沢温泉スキークラブ(NSC)とのコラボレーションによる限定50個のゴーグルや、湯沢エリアのショップやゴンドラ乗り場でのプロモーション展開など、地域に根ざしたサポート活動が緩やかに始動している。

諦めないスピリットと未来へのメッセージ
スキー・スノーボードシーンにおいて、15〜20歳という多感な時期に競技から離れてしてしまう若者が後を絶たないことを、テッドやカルロはとくに深刻な問題と捉えている。
この年齢で滑ることをやめてしまうと、将来彼らが親になった時に自分の子どもを雪山へ連れて行く習慣がなくなり、文化そのものが衰退してしまう。
そこで彼らは、こうした課題に乗り組むため、イタリアのスキークラブ・イタリアのスキークラブ・ドゥルシエ コルティナ、そしてアメリカのパークシティ・スキー&スノーボードクラブと連携し、若いアスリートを支援する「SHRED. Passion Award」を立ち上げた。
この賞は、レースで優勝したり圧倒的な好成績を収めたりしたエリート選手に与えられるものではない。純粋に「情熱と献身性を示し、けして諦めない人たち」に向けた、シュレッドのフルスポンサーシップパッケージを無償で贈るという特別なアワードだ。

なぜ「SHRED. 」が諦めないことをここまで高く評価するのか。それは、他ならぬオリンピック金メダリストのテッド・リゲティ自身の過去に理由がある。
テッド自身も、13歳から17歳のジュニア時代には、すべてにおいてトップから4秒、5秒もの大差をつけられる、はるかに遅れをとった劣等生だった。
当時の彼は決して最速ではなかったが「諦めない、諦めない、諦めない」と心で念じながら必死に雪山へ通い続けた。その結果、速く滑るための独自の技術(極端に深いエッジ角)を見つけ、20歳になって一気に才能を開花させて世界の頂点へと駆け上がったのである。

彼らが次世代の若者たちに最も強く伝えたいメッセージは、極めてシンプルだ。
諦めるな。
「15歳で諦めてしまっては、その後に活躍できるほど十分にスキルを磨くことはできない。でも、続けていれば、次世代に受け継ぐことのできるスキルを身につけることができる。
それに、日本には佐々木明がいるじゃないか。「諦めずに続ける」「すべてを楽しむ」という素晴らしいスピリットを体現する彼は、40歳を超えても深い共感と信頼を集めているだろ?」
カルロはそう熱く語った。
仮にトップレーサーになれなかったとしても、諦めずに滑り続けていれば、将来どんな雪のコンディションであっても、パウダースノーや自由なフリースキーを心から楽しめる本物のスキルが身につく。

Daniel Niederkofler
山は、競技のためだけの場所ではない。ジャンプをしてもいい、自らの想いでターンを描いてもいい、狭い林間を滑り抜けてもいい。小さな子どもから年配者まで、誰もが自由に自己表現できるのがスキーやスノーボードなのだ 。
スキーとスノーボードの境界線をなくし、プロダクトで人々の視界をクリアにし、そして「諦めない心」を武器にローカルコミュニティを支え続ける。
「SHRED.」が描くスノースポーツの未来への挑戦は、これからも世界中の雪山で熱く繰り広げられていく。

Luca Crivelli
■SHRED. https://shredoptics.com/ja

