Mike Douglas-マイク・ダグラス「レジェンドスキーヤーの変わらない情熱の行先」


「世界で最も影響力のあるスキーヤー」のトップクラスに位置し続け、
スキー業界の誰もが「THE MAN」と呼ぶ男。

1997年頃、このスポーツを仲間たちと創造し、以来シーンを力強く牽引し、支え続けてきたMr.Freeride、フリースキー界のゴッドファーザーともいわれるマイク・ダグラス。トップライダーとして、ムービープロデューサーとして、スキービジネスパーソンとして、マイクがスノー業界に与えてきた価値と成果は計り知れない。さらにマイク・ダグラスは2017年から「POW CANADA」の代表として地球環境問題にも意欲的に取り組んできた。
2021年4月22日、世界的な「Earth Day」にちなんで、マイクのインタビューをお届けしたい。


【Profile】

Mike Douglas ● マイク・ダグラス
カナダ・モーグルナショナルチームでW-Cupを転戦。1990年代後半、SALOMONによる世界初のツインチップスキーSalomon 1080の開発に携わり、ニューカナディアンエアフォースとしてフリースキーの世界的ムーブメントの中心人物に。ライダーとしてシーンをリードしながら映像制作にも才能を発揮、2007年Switchback Entertainmentを立ち上げ、以後14年に渡りSalomon Freeski TVの制作を担う。世界中をフィルミングで飛び回り、スキー実業家としても成功してきたフリースキー界のアイコン(象徴)。日本とも最もゆかりの深いフリースキーヤーでもあり、来日回数は「覚えていられないほど」。大の日本好きであることも有名。Canada, Whistler在住。


最後に乗った飛行機は日本から帰る便だった・この1年

──マイク、最近どうしていた?

この1年はBC州からまったく出なかったんだ。今までもうずっと何十年も1年のうち半分くらい旅をして過ごしてきたから、こんなふうに1年間一度も海外を旅しないでBC州に留まっているだなんて信じられないよ。でも、こういうのも悪くないと思ったよ。これまでずっと忙しすぎたからね。ちょっとスローダウンできて、地元ウィスラーでたくさん滑れるし、家族との時間も増えた。移動の飛行機の機内で不健康なものを食べたり、旅先で土地のものをむやみに食べ過ぎることもないからね(笑)、この一年間はすごくヘルシーでいられたよ。

──コロナもネガティブなことばかりじゃないネ

ああ。それに、このCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)の中でも北米のスキーリゾートはほぼ平常通りオープンしているから、僕らラッキーだと思う。ウィスラーで滑るには事前に予約をとらないといけないんだ。なのでちょっと変な感じはするけどね。でも空いてるしね、いいよ。観光客は全然いないからね。

今は外からウィスラーに来るのは本当に難しい。アメリカとの国境は1年以上閉鎖されているしね。滑る分には快適だけど、ビジネスはスローで心配だね。アメリカほど悪くはないけど、人々の暮らしに与えている影響は大きい。どこに行くにもマスクだし、仲間と集まったりもしづらいしね。ただ幸いなことに感染症の権威の研究者が「スキーはリスクがない」って言ってるから、希望がある。ウィスラーでは感染者も出ていないしラッキーだよ。

日本はどう? そうそう、ちょうど最後に乗った飛行機が2月に日本から帰ってくる便だったな。もう1年かぁ…。

──アライに来たとき以来?

そうなんだ。アライがLOTTEのマネジメントになった際にアバランチコントロールのスペシャリストとして雇用されてパトロールをやっているウィスラーの親友がいてね。彼がアライのマーケティング担当に「マイク・ダグラスは友達なんだ、新しいアライのプロモーションにマイクに一役買ってもらったら?」なんてことで、ムービークルーを連れてアライには数回訪れたよ。プロモーションビデオも作ったしね。

──「Bravo SKI 2021 Vol.2」に掲載されていて、いい写真がたくさんあったよね

え? あれのこと? ほとんどが僕とセイジ(Sage Cattabriga-Alosa)のスマホで撮ったんだよ(笑)。最近のスマホって写真の画質すごいよね。一眼レフのカメラにも負けないくらい撮れちゃう。セイジといつも撮りっこしていたよ。アライの旅は、まさしくJAPOW(ジャパウ)がお腹いっぱい滑れて、大好きな温泉、美味しい日本食も満喫して、楽しい旅だったな。セイジとも久しぶりにセッションできて嬉しかった。

マイクとセイジ、世界のトップライダーもゲレンデにいると全然一般ピープル  Photo: Tatsuya Tayagaki
こんな調子でスマホ撮影、撮ったらすぐにSNS投稿Photo: Tatsuya Tayagaki

マイク・ダグラス・その軌跡

──「STEEP」でマイクをあらためて紹介したいから、これまでのレビューをしてくれる?

もちろん。1990年代の前半、僕はカナダのモーグルナショナルチームのメンバーとしてモーグルW-Cupなんかを転戦してた。1994のオリンピック代表にあと一歩のところで、オリンピックは逃してしまったんだけどね。その後コーチになったんだけど、SALOMONが1080(テンエィティ)というツインチップスキーを出したことで、すべてが完全に変わった。

ニュースクールと当時は呼ばれていたけど、新しいフリースタイルが爆発的に生まれて、僕、JPオークレア、JFクッソン、ヴィンセント・ドリオンの「ニューカナディアンエアフォース」はWinter X-Gamesやコンテストに世界中を飛び回るようになって、Matchistick やPoorbooysのメジャースキームービーのセグメントを持つようになった。

2000年頃マイクはBRAVOSKIでも幾度となく表紙を飾っていた。これらはマイク自身が大切に保存していたもの



2007年にSALOMONのスキーTV番組「SALOMON Freeski TV」が始まって、その製作を請け負うことになったんだ。それでSwitchback Entertainmentというフィルムメーカーを立ち上げた。それはすごく大きなことだった。SALOMONのスキーTVはまだ続けていて、もう14年にもなるよ。

今は時間を分けて、滑り手の時間とプロデューサー・ディレクターとしてスキービジネスをやる時間と半分・半分くらいかな。でも普通は70%がフィルミングで30%が滑ることかな。でも今年はCOVID-19 でフィルムビジネスはスローダウンしているから、あんまり忙しくないぶん、たくさんスキーしているよ。

──本当にマイクは実業家なんだね。さぞ忙しいでしょう

ああ、普段はメチャ忙しくしてる。Switchback EntertainmentはWhistlerBlackcombのマーケティングやナショナル企業のCMを作ったり、CNNと仕事をしたりもね。いろんなクライエントといろんなビジネスをやっているよ。

シグネチャートリック「D spin」への思い

──マイクのそのパッション(情熱)はどこからくるの?

うん、やっぱりスキーが本当に好きだって思いからかな。今年はCOVID-19のおかげで本当にスキーに没頭していたよ。スキーが大好きな理由って、スキーはいつも必ず新しいことが学べるから。そこがおもしろいんだ。

実はちょうど2週間前に達成はしちゃったんだけど、自分のシグネチャートリックでもあった「Dスピン」を再びメイクすることが今年の最大の目標だったんだ。

昨シーズン50歳になったんだけど、その目標がDスピンだった。これには、前段階の話があってね、僕が創ったSALOMON TVの番組で「Fountain of Youth」というエピソードが日本でもオンエアされたのかわからないけど、2017年に日本を舞台にして創った映像があったんだ。テーマは「モチベーションやカラダを若く保ち続ける礎」ってもの。

どうしたら滑るモチベーションや若さを維持できるのか、その秘密を探しに長者大国である日本を訪れ、三浦ファミリー(三浦雄一郎氏・三浦豪太氏)とも時間を過ごしたんだ。その旅の中でDスピンをメイクすることがひとつの目標だった。最後にDスピンをメイクした記憶が3年も前で、年を重ねるごとに怖さが出て、もうメイクできないんじゃないかって不安になっていたんだ。だから47歳でまたメイクできることを目標にしていたんだよね。

──このムービーだね?「Fountain of Youth」

そうそう! ぜひ「STEEP」のユーザーのみんなも見てみてヨ。

──構成も映像もナレーションもおもしろかった。楽しませていただきました

(笑)Thank you!で、無事に47歳のDスピンを実現できたことで、次に掲げた目標が、再び50歳でDスピンをメイクすること、だったんだ。47歳での成功から感覚を鈍らせないように、体力も身体能力も維持して50歳でまたメイクできるって信じてね。

昨シーズンで50歳になったんだけど、昨シーズンは初頭でウィスラーにまったく雪がなくて全然滑れなくてね、1月になってようやく雪がきたときにはフィルミングトリップがものすごく忙しくなってしまって、ノンストップで旅が続いたのでチャンスがなかったんだ。

南の島での映像撮影なんて仕事も入っていて。2月になってようやく時間ができたんで練習だ!と山に上がった初日に、トリックをかけたらクラッシュして肩を痛めちゃったんだ。結局よくなるまでに10カ月もかかって、そこにCOVID‐19がきてリゾートが閉まってしまったから、チャンスを逃しちゃった。で! 今シーズン51歳になったからどうしても目標を達成しなくちゃいけない! 1月からコンスタントに練習を始めて、ついに2月2日にメイクしたんだ! よかったよー!

で、パッショネイト(情熱的)に取り組んでいる2番目の目標がカービング。

―カービング? え? マイクがカービングするの?

(笑)ああ。レーサーのようなカービングができるようになりたいんだ。だから今、テクニックを一生懸命勉強してるところ。普段はほとんどバックカントリーやパウダーを滑っているんだけど、ここしばらく山が雪崩のリスクが高いこともあって、ゲレンデでカービングの練習に熱中してるんだ。まるで勉強熱心な学生みたいにね(笑)。人も少ないから飛ばせていいよ。

こうしてみると、僕はいつも何かにチャレンジしているのが、新しいことを学んでいるのが好きなんだなぁって思う。もう30年プロスキーヤーやっているけどね、いまだに勉強さ。

これが進化ってものなんだよね

──30年かぁ…フリースキーの軌跡を振り返ってどんなふうに思う?

今の状況は本当にクレイジーだと思う。先日、今年のX-Gamesを映像で見てたけど、僕にとってはビデオゲームよりクレイジーに思えたよ。信じられないトリック、20年前なら人間には不可能としか思えなかった難しいトリックが目の前で繰り広げられているんだから。そのレベルの高さたるや尋常じゃない。

でも心配にもなっちゃう。ヤバ過ぎないか(笑)もそうだし、これからプロになるためにはあのレベルまで到達していないとならないとなると、このスポーツってどうなっちゃうんだろうとか。でも、これが進化ってものなんだよね。

──どうしてこんなに進化したんだろう?

SNSとかの発展とともにみんながメディアを使って気軽に上手く学べる環境が整ってきたからだと思う。今はスマホを常に携帯しているから、滑りを撮って、すぐ見ることができるのは大きい。起きていること、やっていることのすべてがほぼリアルタイムで正確に見られるんだから、情報量はハンパない。20年前は大きなビデオを持ちこまなくちゃいけなかったからね。

今、自分もカービングの勉強は映像を使ってやってるよ。友達に撮ってもらって即見て分析、次の1本で修正、の繰り返し。効率よくスピーディーに上手くなれるに決まってる。それに、この世界に入ってくる子たちがどんどん低年齢化していることも、このスポーツの進化を加速させていると思う。若い子は文句なしに身体能力高いから。今の15歳のキッズたちなんて僕がプロの頃より上手いからね(笑)。

世界各国のスキー雑誌の表紙をジャック!

──時の流れを感じるね

本当に。でも、フリースキーイングにとって最もいい時代、ベストだったのは1998年から2010年だったと僕は思う。トップシーンのアスリートたちのパフォーマンスは、トリックの難易度だけじゃなくてスタイルとか個性がフューチャーされて、カルチャー・ライフスタイルとして確立されていた時代だったと思う。テクニカルになり過ぎると憧れることすらできない部分ってあるじゃない。

パークライドもずいぶんとやった

最初はツインチップスキーの登場でニュースクールのフリースキーイングはパークから始まったよね。1998年頃ブレイクしてからビッグエア、ハーフパイプやクォーターパイプ、とにかくトリックトリックだった。それがCoolだったんだ。でも2000年から2010年くらいの10年でパークライドから徐々にバックカントリーへとトリックの舞台がシフトしていった。

さらにこの10年では、トレンドは滑りそのものよりも自然を旅する、冒険するためのスキーみたいなエッセンスが色濃くなってきた。僕らのいう「ski terrainスキーテレイン」だね。日本語だと山岳スキー・ツアースキーに近い感覚かな。その背景にはギアの進化が大きいと思う。スキーテレインを楽しめる用具がすごく充実してきてるよね。

ブーツが軽量化されたり、登りやすい・歩きやすい、それでいてタフに滑れるビンディングとか、山をまるごと滑れるスキーとか、用具の進化ぶりは目を見張るものがある。北米じゃスキーはパウダー・スキートレインが大きなムーブメントになっているよ。すると次のトレンドは何になるのかなって興味深くて、探っているけどね。

次のトレンドはどこに? ツリーランも’21₋22のムーブメントのひとつだった

──日本も近い気がする

すごく幸運だと思うのは、このスキーのトレンドの方向性が自分のキャリアの流れにマッチしていたってこと。自分が若い頃はモーグルだトリックだってやっていて、ベテランになっていくとともにパウダーやバックカントリーが主流になり、冒険やツアースキーへと広がっていった。まさに自分のキャリアの流れにピッタリとはまった、だからずっとプロスキーヤーでいられたんだ。

I just love skiing powder!

フィルムメイキングと旅や冒険が人生観・スキーの見方を変えた

──マイクの人生にとって大きな変化をもたらしたことは何?

いくつかあると思う。長くスキーやってきたけどラッキーなことに僕は大きな怪我ってしたことない。怪我をしたくないからって訳じゃないけど、年を重ねていくと、もはやベストスキーヤーではいられなくなる。トップになんて遥か及ばないし、ジャンプだって自分の限界をプッシュしたりもしないし、クールなトリックだってできない。

でも自分は今でもスキーを愛してる、それは何も変わらない。そんな中で自分のスキー人生・スキー観に大きな変化をもたらしたことのひとつは、フィルムメイキングを始めたことかな。

それまでは滑りのアクションを追求することが目的だったけど、フィルムづくりのための旅や冒険を通じて、さまざまなカルチャーや自然に触れて世界の見え方が変わったと思う。以来、僕にとってスキーは未知の世界を拓く冒険で、ユニークな場所に行くものって位置づけになってる。

Photo : Mike Douglas
Photo : Mike Douglas

──スキーは未知なる世界を拓く冒険になった…

例えば Super Coolで超面白かった、忘れられない旅はインドのカシミール地方へ行ったとき。あまりに違う文化の濃さに圧倒されて、世界や人生がまったく違うものに見えた。フィルムメーカーとしていい映像を残すことはもちろんだけど、まだ見ぬ大自然、知らない土地や文化と出逢う冒険によって、自分の中に駆り立てられる情熱が沸き上がってくるんだ。

──カシミールへのDREAM TRIP、これだね

ああ。映像を見てもらえば、インドの日常や色濃い文化の持つ、えもいわれぬ”何か”が、少し感じてもらえるんじゃないかって思う。

地球環境の問題は僕にとってものすごく大きなこと

大きな変化をもたらしたふたつ目のことは、プロスキーヤーとして30年という長いキャリアで、このスポーツとそれをめぐるさまざまな変化を見続けてきていること。

──マイクの人生に例えばどんな変化を?

ウィスラーのグレイシャー(氷河)、知っているよね? 20年前にはサマーキャンプの聖地として、広大なグレイシャーでモーグルやフリーライドのすごい数のキャンプをやっていたんだ。それが今じゃ、もうほとんど消滅してしまった。信じられないよ。今はもうほんの一角のスペースしか残っていないんだ。だからキャンプもジョン・スマートのモーグルキャンプだけしか残ってない。これってクレイジーだと思わないかい? 僕はとても長い時間をこのグレイシャーで過ごしてきたから、この現実を目の当たりにしたとき、地球環境の変化は僕にとってものすごく大きな問題になった。

──そんなリアルに劇的に地球温暖化が見られるんだ…

それでいてもたってもいられなくて、POW CanadaのプレジデントとしてPOWの活動をカナダで2017年から始めたんだ。それまでUSAでアンバサダーを数年やっていたんだけど、カナダにはPOWがまだなかったから自ら立ち上げた。自分たちがこうして雪山でスキーを楽しめているのも豊かな自然のおかげ。この環境を僕らにできることで守っていかなくちゃいけない。

https://protectourwinters.ca/

↑ コレ、FaceBookに4月22日のEarth Dayに寄せたコメントだよ。

──appy Earth Day!

今、自分の仕事時間の20%くらいはPOWのためにボランティアで働いてる。ありがたいことにオリンピックチャンピオンや世界的な登山家や著名なアスリートたちが関わってくれるから、いい形で活動が広がっているよ。さまざまな啓蒙キャンペーンをやったり、子供たちの学校に出向いて気候についてのレクチャーをしたり。今はオンラインでの配信もしてる。学校の先生も気候変動の話の教材に使えるように素材を提供したりね。

──マイク先生なんだ!

そう(笑)。そして僕の人生を変えるほどの出来事の3つ目は、SALMON TVで「Fountain of Youth」を撮りに日本に行った際にユウイチロウ(三浦雄一郎氏)と過ごしたこと。80代でエベレストに登れるなんて信じられない、スーパーレジェンドだよね。彼から学んだことが自分を変えた部分、けっこう大きいと思う。「BRAVOSKI 2018 Vol.2 」で記事にもなったと思うけど、どうしたら長く健康でいられるかのユウイチロウの教えが、自分の中にすごく残っているんだ。

彼を通じて目標を設定することの意味や、常に新しいことを学んでいる必要性や、ヘルシーな食生活とか休養、そして何より「夢を持つこと・情熱を持つこと」…あらためて大切なことがわかったんだ。だから今なんてもうほとんどベジタリアンだよ。あ、SUSHI(寿司)だけ大好きすぎてどうしても食べちゃうけど、魚すらほとんど食べないもん(笑)。アルコールもほんのちょっとしか飲まないし。

おかげで昨シーズンなんて人生で最もヘルシーでいいコンディションだったと思う。50歳にしてね(笑)。どんなことに対しても自分はいつも学び続ける姿勢でいたい。いつも目標を設定して、そこに向かって努力を惜しまずたゆまないこと。

出典:BRAVOSKI 2018 Vol.2

VISION

──これからのマイクのビジョンは?

たくさんの取り組まないといけない問題がある。気候変動はそのうち最も深刻な問題だ。テクノロジーの進化とともに世の中ものすごいスピードで変化し続けている。そんな中で今回のCOVID‐19はそれを少しスローダウンさせる悪くない機会になったと思う。人に「考えなくちゃいけないこと、大切なことって何だ?」って向き合うキッカケを与えたように思うから。

僕らの雪山への思いが地球環境を守るためにできることはたくさんあると思う。小さなことでもいい、行動することが大きなエネルギーになっていくはずだから。

──いち個人としてはどう?

今年は自分にとってこれまでで一番スローな一年だったんだ。こうして山に行かない分オフィスでPOWの活動に精を出したり、リラックスできる時間を持つことができて家族と過ごしたり、夏はマウンテンバイク乗ったり、純粋に遊びで滑りに行ったり。

そんな日常から、自分が前に進むために大切な鍵は、バランスなんだってことがわかった。仕事とファミリーライフ、フィットネスと緩んだ楽しみ、すべてにおいてバランスのいい sweet spot (スウィートスポット) があって、それを探したい。パーフェクトには難しいかもしれないけれど、できる限りね。

──なるほど。あと最後にひとつ聞いていいかな?「JAPOW」ってマイクが一番最初に言い出したんじゃないかって編集部で話していたんだけれど。JAPOWの生みの親はマイク?

残念ながらその名誉は僕の手の中にはないな(笑笑)。誰が言い出したのか知らないくらい前から、僕らの間では共通語として使っていたからね。それにまつわることといえば、旅が全然できなくなったこの一年間、3つだけ行けなくて心から寂しいって思った場所があったんだ。

ひとつには南米のチリ。毎夏8月に通っていて、もう20年になる。その秘境の大自然のすごさは言い様がない。カナダが真夏で暑いときに冬だから気持ちいいってこともある。

2つ目がヨーロッパアルプス。たくさんのいい思い出があって、あそこの山とカルチャーが大好きなんだ。いい仲間もいっぱいいるしね。

3つ目が、まさにジャパウ!の日本だよ。僕は日本でのスキーが本当に好きだ。雪がめちゃくちゃいいし、それも毎晩フレッシュパウダーが降り積もる。そして日本食! 日本食は世界で一番好きな料理なんだ。あと温泉が大好き!この3拍子は最強でしょ。パウダー滑って美味しい日本食をいただいて、温泉に浸かる…シンプルに最高なんだ。日本にはすべてが揃ってる。Nice mountain, nice food, nice people…I just love it!!!

Location : ARAI Photo: Tatsuya Tayagaki

──そんな日本の中でもマイクのお気に入りBest3マウンテンは?

そうだな~。いろんなものが揃っているという点で野沢温泉が一番かな。山と雪もいいし、温泉文化・街がクールだし、温泉もちろん、食事も美味しいからね。野沢に行くのはいつもとても楽しみなんだ。2番目はアライかなぁ。パウダーのディープさはミラクルだ。一晩で2mとか降るんだから。3番目は妙高かな。妙高は山がいいから滑るのは楽しいよ。

次は…うーん、ニセコを出さないのは難しい。ガイジンで混んでるのは嫌だけど、やっぱりあのJAPOWの誘惑には勝てないよ。それから白馬。レジェンド的なビッグマウンテン、外せないよね。そして、すごく小さなリゾートだけど八幡平。雪もいいし地形がおもしろくて、滑ってとても楽しかった思い出がある。日本の好きなスキー場なら20くらいリストを出せるよ! また早く行きたいね。

──最後に日本のスキーヤーへメッセージを

山に行く時間を持とう、山を楽しもう。忙しい暮らしに山は豊かさを与えてくれる。森や雪は心と体のすごくいいセラピーになるから。そして、ヘルシーでいられることをしよう。目標を設定してね。若い頃は自分が50歳になってもこんなふうに変わらずにスキーをしているなんて想像もできなかった。今51歳になって、今でもこんなにスキーを愛していて、続けていられることを本当に幸せに思う。みんなもぜひそうありますように…。

──STEEPも掲げる「一生滑走宣言!」だね

(笑)Right on!(その通り!)そして最後に。地球環境にも思いやりを。僕たち人間も大自然の一部だってことを忘れないでいてほしい。

Keep riding !

インタビュアー/編集
中川知世 Chise Nakagawa
大学では体育会スキー部に所属しアルペン競技に没頭。のち山と渓谷社でスノーボード雑誌の製作に携わり、アラスカや北欧・ヨーロッパなど海外を旅まわる。1999年、USAの「FREEZE」と提携しフリースキー雑誌「Generation-X」を創刊。日本初の映像つき(CD-ROM)雑誌として話題に。X-Gamesやフィルムメイキングを追いかけ世界を駆けまわっていた。マイク・ダグラスとは当初からグッドフレンド。しばらくスキー業界のフロントラインから離れていたが、再び「STEEP」で現場に。

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