佐々木明のいま|アルペンレース復帰、イタリア五輪への挑戦を表明【インタビュー】

3月24日、突如アルペンレースへの復帰とイタリアオリンピックへの挑戦を公にした佐々木明。SNSではリアルタイムで投稿が重ねられるなか、改めてこの発表の真意を語ってもらった。

下記インタビューは映像撮影も実施

このパッションが燃えてるうちに、畳みかけてやろう。もう逃げ道を作らない。

3年前、2019年も復帰へ向けて気持ちが大きく揺れ動いていたんだ。
というのは、2014年ソチオリンピックの後に、レースから山を滑り、学ばなければと思い、アルペンから「転向」するという言葉を使って、山を滑るようになった。

「転向」と言ったのは2つ理由があって、ひとつはレースをやりたくなるときが、また必ず来るだろうと。

もうひとつは、ビッグマウンテンのカルチャーを作ってきた先輩たちに対して「引退」という言葉は、とても失礼だなって思って。(山は)引退した人間が簡単にいけるような世界ではない、タフな場所だから。

それで、俺は「転向する」っていう言葉を使ってた。

本来であれば、ソチから5年が経った2019年に、自分のパフォーマンスが下がってなかったら北京を狙おうと思ってた。でも、制作していた映像作品「ツインピークス(※1)」が完成してなくて。

その時には当然、作品作りとアルペンレースを同時にとも考えたんだけど、やっぱりパッションというか、自分のソウルが”谷川岳を滑りたい”に向いているから、アルペンのスイッチを入れることは不可能だったね。

そこから北京オリンピックには時間的に間に合わないから、日常を過ごすわけだけど、非常にモヤモヤした3年間を送っていたかなっていう印象。

だから、この3年間の動きは”とにかく楽しいことだけをやろう!”みたいなのが俺のInstagramでも伝わるような感じだったと思う。気を紛らそうとしていたのはあるんだよね。

ただそうするほど、どんどん、どんどん虚しくなっていくというか。

パフォーマンスがあるのに、(レースが)いけるって思ってるのにって、そういう葛藤があってね。でもどうにもスイッチが入らないというか、失敗したらどうしようとか、そういうネガティブなところに押しつぶされそうになりながら、なかなか決断することができなかったんだ。

そんなとき1月27日に俺のバディでもある湯浅直樹が「引退」を表明した瞬間に、日本のアルペンスキー界が世界からの知名度やトレーニングの受け入れ体勢ってところに関してすごく差がつくのではないかっていう不安が生まれたんだ。 やっぱり湯浅は世界での知名度、他の国々のコーチたちからのリスペクトがすごいから、いろんなところでトレーニングができたりとかっていうのもあった。

いまいるイケてる日本の選手たちが世界から遠ざかってしまったら、ちょっとまずいなっていうのもあって、なにが一番いいだろうっていうのを考えてて。 いままでも国内の強化ヘッドコーチをやってたんだけど、やってるうちに”こいつらカッコいいな”って思うようになった。(俺は)なにを羨ましがってんだよ? みたいなね。

そこへ東京オリンピック、立て続けに北京オリンピックがあって。テレビの前で感動して涙流して、”すげえカッコいい”って感動しちゃって。 俺も頑張ろうって思った矢先に、その頑張ろう、がなにを頑張っていいか分からなかった。ずっと目を向けているんだけど、背けていた『復帰』っていうところに、”もうこれしかないわ”みたいな。腹くくろうぜ、みたいな気持ちが今年の2月くらいからあった。

失敗したらどうしようっていうのは、なにに対してか分かんないけど、多分、周りの空気や俺を見る目だったりとか……。でも、そもそも周りの見る目を気にして生きてたかって考えたら、そうじゃないと思ったんだよ。

で、3月9日の札幌のホテル。部屋にいるとき。ベッドの上に座って、Instagramをチェックをして、携帯をパンって置いた瞬間に、「やろう。俺、できるわ」みたいな。スイッチが入った瞬間だったね。 いきなりパチンと入って、すべてがなんの疑いもなくなった。

そこから、井山(敬介)くんやパートナーに連絡して、その報告をしたら「(決断が)遅かったんじゃない」って言われて、「だよね」って返したよ。
井山くんからは「いまやることで応援してくれる人が増えるし、確実に前よりも大きなものが動く。なによりもやり遂げた時に全てが変わっていると思うから、やらない理由なんてないよ。絶対やるべき。」って。
パートナーからも「やれるんだから絶対やったほうがいいよ! 一度きりの人生だから絶対やったほうがいい。いままた挑戦することで大きな見えない素晴らしいなにかが動くと思う」って言われて。

それからすぐに自分のチーム全員、メディカルやトレーニング、ストレングス、動作分析チームなどに連絡して、「やるから、覚悟しといて、準備だけ整えておいて」って。当然サービスマンの伊東さんにも電話して、このあとどうなるかわからないけど、俺の気持ちはこうだからっていうことを伝えてその日のうちにメディアにも連絡した。

スポンサーもなにも決まってないし、誰にもなにも言ってなかったから、いまはなにも動いてないけど、いきなり直球投げるみたいな。このパッションが燃えてるうちに、畳みかけていってやろうみたいな感じ。もう逃げ道を作らない。

※1 TWINPEAKS:佐々木明が映像制作の構想を練り、ノルウェー、モンゴル、谷川岳を滑った2020年に完成した映像作品

俺たちは同じスタートに立った以上は、年齢なんて関係ない。みんなバディでありライバル

五輪へ出場するにはいくつか方法はあるんだけど、一番イージーなのは、まず日本でFISレースに出る。そこからランキングを上げていき、ファーイーストカップでチャンピオンになり、全日本チームに入る。そこからヨーロッパカップへ行き、ヨーロッパカップからワールドカップ、ワールドカップから世界選手権にでる手段。最短で言うとね。世界選手権は2年目。で、オリンピックっていう舞台に立つことなんだけど、俺はそんな道は行かないから。

俺は、俺が16歳の時にやってきたことを、いまこの年齢でそのままやる。

俺が初めて出たレースは、日本じゃないんだよ。北米なんだよね。だから俺は北米、コロラドのラブランド、めっちゃ標高の高いスキー場でデビュー戦をしてそこでトレーニングを重ねて、アメリカでFISポイントを重ね、ノルアムのチャンピオンを狙う。
こんなうまい話はないだろうっていう理想の話をすると、来年の2月にはノルアムで結果を出して、ヨーロッパへ移っている予定。

なんでアメリカかっていうと、やっぱりノーポイントだから。
デビュー選手たちと同じところからだから、120番スタートだよね。

120番スタートから優勝するために、やっぱり数戦を重ねないといけない。ってなったときに、アメリカの雪質、人工雪、標高の高さ、天候の安定率からいうと、天気が崩れないことで条件の良いレースを拾う確率が非常に高いんだよ。これがやっぱりイタリアのミラノ・コルティナ五輪を目指す最短であろうということ。それと同時に精神的にかなりタフなレースになると思う。

はじめからヨーロッパの大会に参戦してもいいんだけど、(コースの)荒れる確率が高いってなったら、最短ではいけない。だから、2年目はもう完全にヨーロッパで戦っていなければ、スケジュール的には遅い。2年目もノルアムに出てたら、どんどん(五輪出場は)遠くなっていく。すべては3年目に決まる。オリンピックの前年、ウェンゲンかな。前年度に内定させたいっていう思いで、動いてる。だからもう、全て最短最強のスケジュールをイメージしてる。

俺と一緒にデビューする選手たちは幸せだと思うよ。2006年生まれの中学校3年生、春からは高校1年生。世界のスタンダードを見れるから。この10数年は世界のスタンダードといえる選手は1人もいなかった。

俺たちがやってたときのギラギラした感じ。”世界一をマジで取りにいくぜ”っていう皆川賢太郎さんがいて、吉岡大輔とかみんなが同じところを見て世界でやって、コテンパンにされて、”でも負けねえぞ”みたいな。遠征へ行ったら3ヶ月から4ヶ月はずっと海外。やっぱり世界に戦いを挑んでいくわけだから、強い気持ちがなかったらもう無理。

その気持ちがレースに表れるし、それが最終的にメダルを取る取らないとか、表彰台に立つ立たないとか、世界でファンクラブを作るとか作らないとか、リスペクトされるとかされないとか、そういうところに響いてくるんだよね。
見せられるか、見せられないのか。 ただの人なのか、スターになるのか。
気持ちはそういう差に絶対なってくると思うから。俺は楽な道を選びたくない。

それが日本のスキー界に残せること。アルペン界に残せることだと思うと、いまの選手も俺も気合は入るよね。俺が教えた選手には負けたくないから気合入るよね、お互いに。
俺たちは同じスタートに立った以上は、年齢なんて関係ない。みんなバディでありライバル。本当の意味で、高め合ってやっていける仲間になったってことだよね。

フィジカルをとにかく上げていく。スキーに関してプライオリティは2番目

まずはフィジカルを急速に戻さないといけない。すぐに戻る筋肉系と、急には絶対的に戻らない有酸素系がある。あと神経系、脳で考え、目で見て、それを体が反応するスピードはやっぱり時間がかかる。 当然、時間的な猶予がないなかでやることだから、スキーに関してはプライオリティは2番目。まずはスキーから離れて、フィジカルをとにかく上げていくこと。

武道の世界に剣禅一致っていう言葉があって、簡単に言うと、なにもやってない状態で、自分のやりたいことをイメージして脳や心、肌感覚や香りなど、全てイメージを作ることによって、実際にやったことと同じ効果がある。俺は靭帯を切ったときの7ヶ月間。1回も滑らず、フィジカル(の鍛錬)だけをしていたんだ。理由は再断裂率を無くしたかったから。

その間(ポールに入って)1本目にこういう滑りができたら、俺はもういけるっていうのをずっと考えていた。それこそ剣禅一致をやっていたら復帰1本目、(当時の)日本代表のなかで、ぶっちぎりだった。

だから、香りや風が肌を擦れるときの冷たさだったり、感覚だったり、ポールを握るクリップ(の感触)、景色などを完全に(頭のなかの)イメージが具現化できたとき、なんの問題もないっていうことを体感もしてるし、作る術を知ってるから。(だからスキーは二の次) もうとにかくフィジカル、まず物理的なほうにいってからかな。

アルペンに時間と精神と肉体をコミットしたときには、もう上がる以外ないよね

次に俺が滑ろうと思っている山は”オーバーガーベルホルン”。標高4063mの氷壁ね。いまのスキースタイルで滑れないことはないけど、最大限、最速最強の滑りをするには、やっぱり俺がそこに対してのコミットする時間が足りていない。それはフィジカル。 サーフィンをして、スノーボードをして、パウダーを滑っていた時間は、あの氷壁にはなにも生きない。てことは、アルペンスキーで100%氷を100分の1秒早く滑りを作り上げていったときに、あそこの山にのぞんだ俺は最強になってしまうってことだよね。

なによりも(あの山は、このあと)ベースにしようとしているオーストリアから近くなっちゃう。やらないわけにいかない。レースのシーズンは3月末まで、各国のナショナルチャンピオンシップに転戦することになるけど、それも4月で終わってしまう。氷がむき出しになったときに行くわけだから、5月以降でしょう。

そうなったら準備もできているし、そこまでのスキー技術も高まっていて、精神もファイターだから、いままでと明らかに違う滑りができる。理にかなっている。だから、あそこの山を最速で滑るために、仕上がっていくのだな、みたいな感覚、精神的にもね。

(レースに復帰することで)結果的にそうなっていった。だから、そういうところは俺は持ってるなと思う。いろんな歯車が噛み合って、どんどんデカくなって、回り始める。それは常にいろんなプランを思い描いて、思考を止めないからこそ、成り立っていることだと思うんだよね。

いろんなことが回り始めていくと、自分のパッションが別に集中している結果、他のことはいま休んでるだけってことになる。これを辞めてあれをする、じゃなくて。だから捨てることはしない。こっちがもうバーンっていったときには、あっちに置いてあったものを吸収してでかくなる。それがもうエネルギーだと思ってるから。俺の持つ一番のストロングなポイントだと思ってるから。

だから、意味ないことは全くなかったねこの8年間。人は(復帰まで)長いって言うかもしれないけど、この8年間は誰よりも滑ってるから。

ノルウェーにしても、モンゴルの氷にしても、谷川にしても、転べないっていうあのプレッシャーのなかで、最大限のスピードを出し、雪がどうなってるかわからないのにマックスで突っ込んでいく。でも転べない。ミスれないっていうあの状況はないよ。

スキーさばきは活きるだろうね。あとリカバリー。(山で)転んだらやばいじゃん。

あの究極の状態じゃなかったらあんな動きはない。アドレナリンがもう体を動かしてるみたいな。活きるよね、絶対に。アルペンに時間と精神と肉体をコミットしたときには、もう上がる以外ないよね。下がることは100%ない。2014年より上がってるのは山のおかげだよね。

応援の力は得体の知れないパワーをくれる

SNSなどの反応はとにかく、応援しかなかったことと、自分が想定していなかった”勇気をもらった”とか言ってもらえたこと。オリンピックで勝ちたいっていう目標設定で、第1段階がまず(復帰を)決める、っていうことが俺のなかで勇気のいること。3年はかかった話だから。それに対して理解をしてくれてる人がすごく多かったことにちょっと驚いてる。

自分でも想定外。そんなに反応はないと思ってたし、自分にそんな影響力があるなんて思ってなかった。むしろ一般人のような生活だったから、「ふざけんな」って言う人の方が多いんじゃないか、っていう覚悟ももっての決定だったから。

応援の力って得体の知れないパワーをくれるっていうのは、ソチオリンピック前の世界選手権でも、日本代表を落ちたときにも、すごく感じて実際にパワーをもらっているから。

その時と同じような感覚で、いまスタートを切れると思ってるんです。


佐々木明 Akira Sasaki
1981年、北海道北斗市出身。アルペンW杯で3度表彰台に立ち、ソルトレイクからソチまでオリンピック4大会連続で出場する。アジア人として稀有な成績を残す。競技から離れた後、世界各地を滑りながら、映像制作の構想を練り「Akira’s Project」をスタート。自らがプロデュースしノルウェー、モンゴル、谷川岳を滑った映像作品「TWINPEAKS」は、売上をアルペン競技の若手育成に費やしたことでも話題を集めた。

Special Thanks / Amer Sports Japan,INC..(Salomon)
NOZAWA ONSEN

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