「ホームマウンテンを持たない強み」|バックカントリーガイド 照井大地-Daichi Terui-

大自然のなかで自由な滑走を楽しめる大きな魅力の一方で、さまざまな危険が潜む雪山のバックカントリー。バックカントリーガイドは、そんな雪山で安全を担保しながら、豊かな知識と経験をもとに、得も言われぬ滑走体験を提供してくれる専門家だ。
そのプロガイドを職業として選び、一歩一歩ゆっくりと堅実にその世界へと深く踏み込んでいく新進気鋭のガイドたちの「人となり」や「ガイディング」に迫る。

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生まれ育ったのはヤマヤの家庭

山岳ガイド照井大地は、日本百名山・早池峰山(はやちねさん)を望める岩手県花巻市に生まれ育った。大正生まれの祖父はスキージャンプの選手、父親は登山やスキーを趣味とするヤマヤという家庭環境から、幼少期から山やキャンプなど外で遊ぶことが当たり前の日常だった。
小学生になるとボーイスカウトに入り、キャンプやロープワーク、火おこしなど野外で生きていくための術を学ぶ。

「あの頃の経験が、いまの職業に生かされているなんて、人生ってわからないものですね。8の字結びとか、もやい結びとか。そもそも、当時は、山岳ガイドという存在すら知りませんでしたから」

夏はボーイスカウト、冬はクロスカントリーに打ち込んだ小学生時代

照井を山岳ガイドに導いた2冊

実家の本棚には、登山やアウトドアに関する本がたくさん並んでいた。貪り読んだなかでも印象に残っている2冊がある。
「椎名誠さんのあやしい探検隊シリーズですね。

アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロに登って、ウイスキーをガブガブ飲む。世界にはこんな自由な大人がいるんだと、子供ながらに嬉しかったのを覚えています」

そして、この2冊目が照井をガイドの道へ導くことになった。
「フランスの登山家、モーリス・エルゾーグの『処女峰アンナプルナ 最初の8000m峰登頂』(Annapurna premier 8000 by Herzog/Maurice Herzog, 1951)です。

何度も読んで、影響を受けましたね。この本で、確固たる社会的地位を持った山岳ガイドという職業があることを知って、興味を持ちました」

小中高と約10年間は、クロスカントリースキーに青春を注いだ。高校では、スキー部がなかったので、陸上部に所属して、短距離の100m(自己ベストは11秒65!)、200mで瞬発力を磨き、秋になると持久力向上のため駅伝などの長距離を走った。
また、家に転がっていた父のロードバイクのフレームを組んで、ロードバイクにも没頭。すべては、冬のクロスカントリースキーのためだった。

「花巻市の自宅から早池峰山小田越登山口まで片道48kmの道のりを自転車でヒルクライムして、早池峰山(標高1,917m)をピストンして帰る。そんなのをよくやっていましたね。とにかく体を動かし、止まることを知らない学生時代でした。
おかげで、思春期の鬱憤はアウトドアで発散していたので、反抗期がありませんでしたね(笑)」

北海道の山小屋で運命の出会い

ノルディックスキー発祥の地、北欧の文化を学ぶために東海大学国際文化学部(札幌キャンパス)へ進学する。日本最北の厳しく壮大な荒野が広がる北海道の自然への憧れもあった。
大学1年の春、小樽市春香山(906m)の中腹にある山小屋、銀嶺荘に泊まったとき、運命的な出会いが訪れた。

「そこで出会った女性に、将来は山岳ガイドになりたい旨を伝えると、彼女は国際山岳ガイド石坂博文さんのお客さんで、石坂さんを紹介する名目で、いきなり3人で赤岩のマルチピッチを登りにいくことになったんです」

国際山岳ガイドの石坂博文さんは、当時をこう振り返る。

「最初に面接したときのことは、いまでも覚えています。そのときはただ話を聞くだけのつもりでした。照井くんはまだ大学生で、山に関してはほとんど経験がなかったですが、クロスカントリースキーの選手で基礎体力があったのと、熱意が感じられるキラキラした眼の輝きに負けました」

師匠の石坂の後ろをついて幾度もヨーロッパへ足を運んだ。背後にマッターホルンを従え、ヴェレンクッペで休憩する石坂(左)と照井

春香山での出会いがきっかけとなり、石坂博文を師と仰ぎ、在学中にもかかわらず彼のもとでガイド見習いをはじめることになった。

「冬のある日、石坂さんと羊蹄山を滑りにいくことになり、テックビンディングのついたディナフィットの板とブーツを借りて、初めてバックカントリースキーをしました。全然滑れなくて、転がりながらやっとで下りてきた。実は、それまでアルペンスキーはほとんどやったことがなかったんです(笑)」

日本でガイドをやるなら山スキーを極めなければ! という師匠の助言から、石井スポーツ札幌店で働いていたバイト代を注ぎ込み、札幌国際スキー場のレッスンへ通うことになる。マンツーマンで教えてもらえる平日を狙って。

「クロカンはエッジがないスキーなので、最初は角付けに苦労しました。そんなわけで、僕のスキーは、大人になってからのたたき上げです。
上手くないからショートターンが多くなりがちなので、映像や雑誌などで見る大きいターンに憧れます」

1歳足りない冬山ガイドの誕生

大学在学中の19歳で北海道アウトドア資格の山岳ガイドを取得する。若気の至りとも言えるそのときのエピソードがおもしろい。

「応募資格の年齢が、夏山は満18歳以上で、冬山は満20歳以上でした。19歳では冬山のガイド資格が取れない。いつまで経っても見習いのままでは困る。そこで、事務局へいって「1歳足りないけど、なんとかお願いします」って直談判したら、じゃあいいよと(笑)」

北海道のガイド資格を持っていたおかげで、移行試験という形でスムーズに、大学卒業と同時に日本山岳ガイド協会認定の登山ガイド資格を23歳で取得した。
その後、25歳でスキーガイドステージⅠ、27歳でスキーガイドステージⅡ、31歳で山岳ガイドステージⅠと、とんとん拍子に実績を重ねていった。
この間、日本から飛び出して、北欧アイスランドでヘリスキーのオペレーション・ガイドを経験したり、ヨーロッパアルプスのオートルートをスキーで縦走したりと、世界の山岳シーンにも触れ、持ち前の行動力でスキーの技術を磨いていった。

アイスランドでのヘリスキー。食料の買い出しからライディングまで、プロのガイド業はなんたるかを学んだ
山小屋に泊まりながら縦走するヨーロッパアルプスのオートルートにて

あえてホームマウンテンを持たない

現在、照井は34歳。札幌と安曇野に拠点を構え、日本各地でスキー・スノーボードツアーを主宰している。道北と道東、地元東北の山を得意としているが、あえて、ホームマウンテンを持たない。それには理由がある。

「岩、土、木……自然のなかでは、雪がいちばん不安定で不確実なものです。さらに、気候変動で、気象がさまざまに変化する昨今、いろいろな地域の、いろんな雪質を知っていたほうが、いざとなったときに安全マージンをとることができると思います。
ローカルだからわかることがあると同時に、ローカルだから気づかないこともある。いまは、いろんな雪質、地形、天候、あらゆる情報を吸収して、経験を積む時期だと思っていて。吸収があらかた終わってから、自分のホームマウンテンが決まるのかもしれません」

山が変わってもやることは同じだという。一般的な町の天気予報や「Windy」、専門気象情報「地球気」から情報を取り入れて、自分なりに咀嚼して、その日のメガネを作る。そのメガネで現場を見て、安全か否かをジャッジして、お客さんの表情をうかがいながらコミュニケーションをとってガイドを進めていく。

「山に入るときは、いつもいい意味で緊張し、すごく慎重になります。『今日は普通じゃない』といつも自分に言い聞かせて準備します。数日前から天気予報をチェックしたり、地元の仲間から情報をもらったり。
ホームがないから新しい発見も多々あって、お客さんと同じ目線で雪山を楽しむことも。でも、自分の性格上『ヒャッホー!』というテンションにはなれず、感情を顔に表さぬまま淡々とガイドしていますね」

破天荒な「あやしい探検隊」を愛読してきたわりには、慎重で実直。いかにも東北人らしい謙虚さとひたむきさが、照井の根底にはある。

師匠である石坂ガイドは、照井をこう評価する。
「照井くんは、真面目で研究熱心。何事にも恐れず挑戦していく姿勢がとても良いと思います」

日本の各地の自然や風俗だけでなく、新しいギアやウエアについても勉強し、それを自分の糧として積み上げていく。
日本を飛び回り、いろいろな人や歴史、風土と交わることで、ガイドである前に人間としての器を深く、広げている過程だ。

ガイドとして必要なメンタル・セルフケア

照井には雪山へ向かう車内で毎朝心がけていることがある。客観的な視点で自分を見るメンタルチェックだ。

「たとえば、お客さんにいい雪を滑らせられないと、焦りが募ります。それが、自分の平常心を犯していないか? そんな焦りや疲れが、判断を鈍らせていないか? 運転する車のなかで自問自答して、ニュートラルなメンタルに持っていきます」

シーズン中の1、2月は、休日なしで毎日雪山へ向かう。いくら若手とはいえ、毎日となれば疲れやストレスは溜まる。体のケアは意外や意外。さらに体を動かすことだった。

「体が張ったり、硬くなったりした部位を重点的にストレッチしています。あと、時間があれば人工壁へ登りにいきます。スキーでは使わない筋肉を動かすと、体がほぐれて、不思議と疲れが抜けるんです。
例えば、腕を真上のホールドに伸ばすと、ザックの重みやストックワークで凝り固まった首や肩の筋肉がほぐれていく。手元の横のカチへ足を上げると股関節が開いて、可動域が広がる。あと、仲間と会話したり、課題のことだけを考えると、雪山から離れて心身のリフレッシュにもなります」

泳ぎ続けないと

照井は、泳ぎ続けないと死んでしまうマグロのような人だと自らを笑っていう。繁忙期が終わり、春になったら自分の山へ行く時間だ。

「ガイド山行とは違うスイッチが入ります。テントを持って長期で山に浸り、垂直移動のクライミングを取り入れて、自分の持っているものを出し切る時間です。去年から鹿島槍ヶ岳の北壁を狙っています」

物心ついたときからスキーを履き、19歳からはじめたATスキーは、今年で15年目。山岳移動の最大なる武器として、自分のモノとなり、北アルプス最難クラスの斜面へ挑むまでに上達した。

「山岳ガイドは黒子だと思っています。主役はお客さんで、彼らの一歩一歩が頂へと近づく。登っているのは紛れもない本人で、ガイドはそのお手伝いしかできない。頂に立ったとき、気持ちいい斜面を滑ったとき、みなさんの笑顔を見て、僕も嬉しい気持ちになる。この仕事をしていてよかったなぁと思える瞬間です」

照井は、こうと決めたら脇目を振らずに突っ走る行動力と、石橋を叩いて渡る慎重さをバランスよく持ち合わせているガイドである。このバランスは、ガイドにとって最も大事な素養と言えるだろう。ゲストは、自らの力量では立てない世界へ連れて行ってもらえることをガイドに期待する。そして、ガイドはその期待に応えるべく尽力する。そこには当然危険が生まれる。気象、メンバー、雪質、さまざまな事象を咀嚼して、事故が起こらないところで行動や地形に「ここまで!」と線を引く。

命あっての遊び。その線は慎重すぎる方がいい。遠慮がちなほうがいい。人間臭いほうがいい。
場が和む。照井はそんなガイドである。


Profile】

照井大地(てるい・だいち)

1990年、岩手県花巻市生まれ。高所のバリエーションルートから小屋泊スキーツアーまで、オールシーズンで活躍する山岳ガイド。幼少期からクロスカントリースキーに打ち込み、19歳にしてはじめてATスキーを履く。
BCで得意とする山域は、北海道の道北と道央、地元の東北エリア。拠点を札幌と安曇野に設け、全国各地で人と山を繋ぐガイドを行う。

保有資格:日本山岳ガイド協会認定(JMGA)
・山岳ガイドステージⅠ

・スキーガイドステージⅡ

Terui Daichi
公式サイト:https://teruidaichi.com/
公式SNS:InstagramFacebookYou tube

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