いよいよ迫る北京五輪に挑む「間違いなく史上最強」といわれるJAPANモーグルチーム。五輪の舞台でどんな滑りを見せるか? 金メダルが非常に有望視されている男女モーグルの日本代表選手たちを紹介しよう。五輪の戦いのゆくえを占う’21₋22シーズンのワールドカップのコンペティション映像も合わせてチェック!
松田 颯(まつだ・そう)
MATSUDA Sou
京都府出身。モーグル好きの父親の影響で幼少期からモーグルを始める。練習のために白馬高校へ進学、その後アメリカで武者修行を積むなど意欲的に活動。独自のスタイルにこだわり、シグネチャーグラブも持つ。今回、北京五輪代表選考の最後の一枚の切符を掴み初出場で、子供の頃からの夢を叶えた。
☟ちなみにコチラは松田 颯選手の自身のインスタグラム。松田 颯選手の所属先が主宰した北京五輪への競技活動サポートのためのクラウドファンディングに寄せたコメント
@mogul_sou
■ プロフィール
生年月日 | 1999年9月24日生まれ |
出身 | 京都府長岡京市 |
所属 | しまだ病院Snow Team |
近年の主な戦歴 | '21 第41回全日本スキー選手権大会モーグル優勝 '19 Noram Tour総合優勝/全日本選手権優勝/ワールドカップ フィンランド大会12位/ワールドカップ 中国大会6位 '18 US selection DM種目優勝/ ジュニアオリンピック2位 |
使用ギア | スキー板 : ID one |
@mogul_sou |
■松田 颯・滑り映像
松田颯選手が所属する運動器ケアしまだ病院が主宰したクラウドファンディングを募るためのモーグル&松田選手の紹介動画。
■ 北京五輪直前の「代表決定オンライン会見」コメント
いよいよ北京五輪がすぐそこまでというタイミングで、日本代表決定オンライン会見が全日本スキー連盟によって開催された。松田 颯選手のコメント映像を抜粋してお届けしよう。「Q」はメディアの記者による質問だ。
1月23日(日)19:00~19:30 代表決定オンライン会見より
Q.最後の最後に決めたという感じですが、いまの気持ちはいかがですか?
― まだ実感がないというのが正直なところで、実際安定して成績が出せていたわけでなくて、7位と代表になるための資格を得られたのも、他の選手の失敗があって棚からぼた餅みたいなところもあったので、ちょっと切り替えて、まだ時間があるので、オリンピックに備えて気持ちも技術も用意していけたらと思っています。
Q.オリンピック初出場ということで、オリンピックという大きな舞台、どうとらえていますか
― とくにモーグルは他の競技と違ってオリンピックが一番デカい舞台なんですね。フリースタイルならX Gmaesとかいろいろあると思うのですが。やっぱり夢の舞台というところで、正直、今シーズン本当に出れると思っていなかったのでまだ夢見心地なんですが、しっかり地に足をつけて挑ませてもらえたらと思っています。
Q.そんな夢舞台でどのような姿を日本中に見せたいですか?
― 他の人とは違ったスタイルというか、尖った部分、自分のいいところを見せたいと思っています。
Q.松田選手の武器は?
― 僕は練習を一時期海外を拠点にしていたこともあって、日本だけじゃなくて海外のいろんなものを取り入れたり、原選手もそうなのですが、僕も板をつかむシグネチャームーブというのがありますので、そういったところを見てもらえたらと思います。
Q.北京オリンピックでの目標を教えてください
― 自分の滑りをできれば今までも結果がついてきたので、まず自分の滑りをすることを目標に、周りや舞台に流されずやっていけたらなと思います。
Q.出られたのは今季、松田選手はどういう部分が成長したから今回の代表に繋がったと思いますか?
― 試合に向けての準備がだんだんうまくなってきたのかなと思っていて、まだ今年は平均して決勝に残ることはできてはいなのですが、「この大会を落としたらもうダメだ」という大会、今回なら2021年12月の大会で決勝にいけなければ北米戦、カナダとアメリカの大会に出れないだとか、オリンピックに出るにはここで決めなくてはいけない、というのもしっかり掴みにいけて、こころの準備も体の準備も逃しちゃいけないところでしっかり発揮できたというのがデカいのかなと思います。
Q.そういう場面だと緊張してもおかしくないと思うのですが、どのように乗り越えたのでしょうか
― そうですね、僕意外と泣き虫なもので、前日の夜とかに号泣しているんですね。しんどくて。でもそれが逆に一周回ってといいますか、体の力みがとれている感じがしますね。
Q.一時期、海外を拠点にしていたということでしたが、いつから何を学んできたのか教えてください
― 高校を卒業した後にアメリカのコロラド州で自分のしたい滑りを教えているコーチのところへ行きました。実際そこのチームからアメリカ代表でオリンピックに出ている人がたくさんいて、憧れの滑りだったので、そういう自分のしたい滑りを教えてくれる人に出会えたのはよかったです。
Q.どれくらい行っていたのですか?
― 実際行けたのは半年くらいで、短期で行ったんですが、すぐに自分の力になってくれたので、結果もついてきて、その年に日本代表に入ることができたので、そこからは日本に移して練習していました。
Q.京都出身で白馬高校に進学した経緯と、コロラドでの武者修行中に「したい滑り」は具体的にどういうもので、そのスタイルは今も維持しているのか、変わったのか、など教えてください
― 白馬高校に行ったのはアメリカに行ったのも同じですが、自分がしたい練習をするために、京都だと毎週末に夜行バスで行かないといけないというのが大変だったので白馬高校に進み、長野県のチームに所属していました。アメリカに行って自分が学びたかった滑りというのは、もうちょっと科学的な攻撃的な滑りです。僕は体勢が後ろに落ちやすかったので、それをカバーするための滑り。アメリカ独特のスタイルがあるんですが、そのカッコイイ滑りに憧れて。今はその部分も維持しつつ、日本の洗練された技術も取り入れて、いいとこどりをできているんではないかなと思います。
Q.モーグルを始めたキッカケと学年は?
― 父親がモーグルを趣味でやっていて、京都には住んでいたんですが3歳頃からスキーをやっていて、実際に大会に出てオリンピックという夢の舞台を目指そうとなったのは小学校4年生くらいだったと記憶しています。小さい頃に今、日本代表のコーチをしているヤンネ・ラハテラコーチに会ったり、トビー・ドーソンというアメリカの銅メダルを取った選手がいるんですが、僕が拠点をしている白馬47に滑りを見る機会があって。実際に長野県のチームに入ってやっていくうちに、いつの間にか夢になったという感じですね。
Q.どのグラブがシグネチャームーブですか? そしてその名前は?
― バックフリップでもコークでも両方ともグラブはしているんですが、僕のはコークグラブです。今は他の国の選手でもやっている人が多いんですが、僕がやった次の年から爆発的に増えたので。左手で右足のテールを掴む、ジャパングラブっていわれるものなんですが、回転方向の手で掴むのでリードグラブ、ニアジャパンと呼ばれるもので、このグラブのいいところは、空いた右手でバランスをとれるので、すごく着地がしやすいところだと思います。僕は颯というんでSグラブかなと思ったんですが、名前自体が短いので「SOUグラブ」でいいかなと思ってます。