Eric Pollard produced
Season. WHY and HOW
Eric Pollard(エリック・ポラード) —ポールを持たずにツインチップスキーでSnowboardingのように滑り、世界最高峰のビッグエアコンペの舞台で、涼しい顔でフェイキー to フェイキー”ゼロスピン”をメイクする。誰よりもシンプルで、最も美しいといわれた、そのライディングスタイル。Ericが20年以上、フリースキーシーンで魅せてきた滑り・フィルム・アートは、スノースポーツの表現の可能性への挑戦だ。18年間にも渡るLINEライダーとしての誉れを捨て、Ericがゼロから始めた人生のプロジェクト「Season Eqpt.」。そのWhy?(どうして)・How(どのように)に迫った。
Eric Pollardの始まり
―Ericのプロデュースした「Season. 」、日本で’21₋22シーズンの話題を一番にさらっているよ。
Eric:Yeah, it‘s cool! (クールだね)とても興味深いのは、ブランドの多くがコロナでサバイブするのに必死だからか、スノー業界にもあまりいいニュースがないよね。この状況だから新しいプロダクツはリリースするのを止めるとか、昨シーズンの在庫を掃くのが優先だとか、そんな話も多い。そんな背景もあってじゃないかな、僕ら新しいカンパニー、ブランドのSeason. が注目してもらえているのは。業界のみんな何か明るい話すことが欲しいんじゃない? (笑)
―それもそうかもしれないけど、何よりEric Pollardだからじゃないの? Season. を興したのが
Eric : (笑)そうなら嬉しいね。僕はすごくラッキーだと思う。このスノーコミュニティの中で僕のやってきたことを評価してくれて、信頼してついてきてくれた仲間やユーザーがいてくれることがね。自分自身いつもコミュニティに真摯に向き合ってきたつもりだけど、僕のクリエティブ、映像にしてもスキーにしても「Ericのことはよくわかってる、信じてるから」みたいに共に歩んでくれる人がいてくれることを、本当に幸せなことだと感じているんだ。

―Season. の話は後でたっぷり聴かせて。まずSTEEP読者にEricの簡単な自己紹介を。
Eric:オーケー。USAオレゴン州出身で、Mt.Hoodはローカルマウンテンだよ。2歳からスキーを履いて、子ども時代にアルペンレースを始めたんだ。けっこう速くてね、両親とレースに出るためにスキートリップをするようになった。同時にフェイキーで滑ったり、ジビングしたり、スノーボードでやるようなことをスキーでもなぞり始めた。12歳くらいの頃からスノーボードにも乗っていたよ。

そして、LINEを創ったJason Levinthal(ジェイソン・レヴィンソル)と出会ったんだ。Jasonが夏にMt.Hoodに来ていて、たまたま僕の滑っているのを見て言ったんだ。「Hey, なかなかいいじゃない。滑りをビデオに撮って送っておいでよ」って。で、僕、驚いちゃって固まりながら「‥‥オ…オーケー」って。(笑)だってホントにまだ子どもでさ、14歳だからね。まさかそんな声をかけられると思ってなかったから。
でもいつもビデオは撮ってはいたから、大喜びでクリップをまとめてデモテープをJasonに送ったんだ。そしたら「You’re pretty good! We’re going to give you some stuff!」って、「Ericいいじゃん、LINEのスキーをやるよ」って。それ以来、LINE SKIに乗るようになってLINEチームのライダーになったというわけ。

―Ericが初めてLINEの撮影で日本にJasonと来た時、我々出会ったんだよネ。Ericまだ15歳だった(笑)。シャイであまりしゃべってくれなくて、上品な頭のいい子って印象的だったなぁ。
Eric:(笑)覚えてる・覚えてる。当時はフリースキー、いわゆるニュースクールのムーブメントが世界的にブレイクした頃で、僕も瞬く間にシーンのど真ん中に飛び込むことになった。Winter X-GamesやUS Freeski Openのコンペティションに出たり、メジャーなスキームービーの撮影に参加したり。
―Ericの流れるようなライディングはあの頃からとても個性的だったよね。Ericがエアを飛ぶ度に「Stylee!」(なんてスタイリッシュな!)という歓声があがっていたもんね。
Eric:懐かしいね。こんな昔の写真も引っ張り出してきたよ。当時は1260とかテクニカルなスピンに傾倒するか、空中で一瞬ときが止まったかのような錯覚に陥る、流れるようなスタイリッシュなエアをよしとするか、両方リスペクトされていた時代。6月のMt.Hoodでのセッションは熱かったね。
―この写真! 自分もエア台の反対側からビデオ回していたよ!(笑)


形もグラフィックもすべてが違うものを
Eric:そうこうしているうちにすぐに数年が経って、LINEスキーのデザインにも参画するようになっていた。18歳の頃にはスキーの新しいジオメトリーの設計にものすごく惹かれて、デザインに没頭してた。
スキーを変えたかったんだ。これまでにない新しいスキーをすごく創りたかった。
形もグラフィックもすべてが違うものをね。

だから僕はもうすごく長い間スキーの設計やグラフィックに関わってきて、スキーのジオメトリー、フレックス、シェイプとか、スキーデザインのさまざまな面を分析、研究してきた。
その試行錯誤の中で積み上げてきた経験から自分ならではのレシピを見つけたんだ。
それぞれ違う滑りを可能にする、スペックのセットみたいなものさ。
それで20年くらいは僕のスキー観、とでも呼べるものを広めようとしてきた。これは僕がスキーに持ち込んだ"マニューバ”って概念とムーブメントとか、自分のデザインしたマニューバが描けるスキーとか、自分が創り出した動きとか、そんな滑りをキャプチャしたフィルムとか、僕がデザインしたプロダクトのグラフィックとかに現れてると思う。
そうこうしているうちに、個々の深いところを追求していくようになって、フィルムメイキングではカメラを自分で回して撮影だけでなく編集やサウンド、アートワーク、マーケティングに至るまで全部をやるようになった。グラフィックデザインにもどんどん傾倒していき、ありとあらゆるスキープロダクツのグラフィックとかコマーシャルを作ってきて、グラフィックを考えながら自宅のアトリエで創作に没頭する時間も増えていった。
そう、それぞれの役割にもっとディープにもっとパッショネイト(情熱的)になっていったんだ。



―そのインスピレーションはどこから湧いてくるの?
Eric:自分の周りにあるさまざまな素材かな。生活の中にある小さなこともね。でも大半はサーフィンとスノーボーディングだね。自分のやってきたほとんどのことは自分が体感したことからだね。
例えばサーフィンなら波の上でターンを刻んだときの新鮮な気持ちよさを、「ああ、なんてナイスなフィーリングなんだろう、サーフボードで得られるこの感覚をスキーで実現できないだろうか」って思ったり、ターンの感触っていうシンプルなものからスピンが生むスラッシュみたいな複雑なものまで、これらをスキーに持ち込めないかって考えてた。スノーボード、サーフィン、スケートボード、そして他のスポーツからもインスピレーションを得てプロダクトデザインとか実際の滑りに落とし込むんだ。


グラフィックに関しては、それこそどこからでも入ってくる。どこへ行くでも色や形、カルチャー、どんなものでも気になったり魅力を感じたものを取り込んでいく。それがアートになってアウトプットされていくんだ。

僕は、人生を変えたかったんだ
―SeasonのプロジェクトはEricの人生をどんなふうに変えたの?
Eric:Season…うーん、それすごく面白い質問だね。なぜってSeasonによって僕の人生はあまりにも、変わりすぎたほど変わったから。僕は人生を変えたかったんだ。Seasonを始めたひとつの理由は、これまでの人生とは違った形で生きていく、生活していきたいなって思ったからなんだ。
僕もファミリーを持って以前のようには旅ができなくなった。フィルミングなんかで旅することは、すごく減ったよ。旅するときはできる限り家族と一緒にしてきたし、でも、もっと家族との時間をたくさん持つことを大事にしたいと思った。それってどうしたら実現するんだろうって考え始めて、よし、自分がライダーとして滑るよりフィルミングをしよう、フィルミングより編集をしよう、山にいる時間を減らして、その分アートやデザインをやろう、そんなふうに段々とシフトしていった。
そして、よしこんなふうにやっていけばいい、自分は人生をリ・デザインできる、つまり違ったものにできるってつかめたんだ。このスノーコミュニティに留まりながらも、表舞台で唄うリードボーカルじゃなくて、ステージの裏方になりたかったんだ。
ずっと、もう十分に長くライダーとしてフロントラインでやってきた。もうその役割じゃなくて、これからは自分が表舞台のスキーヤーやスノーボーダーの輝く姿をフィルムやフォトグラフでキャプチャしたい、このスポーツのすばらしさを作り手として表現していきたい、伝えていきたいって思ったんだ。
そう、僕の人生は本当に変わった。これまで日々のほとんどをスーツケースとスキーバッグとともに駆け回ってきた人生から、自分のオフィスで落ち着いてクリエティブワークをする日々に様変わりした。家族と家でゆったり過ごしたり、子どもたちと山に遊びに行ったり、お父さんや友達とスキーに行ったり、前みたいに地元の友達とスノーボードに行ったり、本当にナイスだよ。とてもハッピーなんだ。
僕は自分のやってきたことを心から愛していたし、誇らしかった。
でも、プロフェッショナルアスリートとしてのキャリアから離れなくちゃいけない時が来たんだ。
LINEとは本当に長い間すばらしいチームワークで、とてもいい仕事ができていたし、ずっとこのまま行けるといいなって思っていたし、LINEにとてもよくしてもらって、自分もいつも最大限にできることをしたいってやってきた。LINEが本当に大好きだったからね。けれどLINEの最前線のアスリートで居続けることだけが自分の願っていたことではなかったんだ。シーンの裏側を支えることも熱い情熱を持ってずっとしたいと思ってきたから。

進化し過ぎていたアイデア
このプロジェクトのことはとても長い時間をかけて考えてきたんだ。知ってるように僕はスキーもスノーボードも、そしてマウンテンカルチャーも本当に大好きだ。僕はオレゴンの山とともに生まれ育ってきて山に育てられた。
これまで自分が得てきたあらゆるもの、さまざまな経験や与えられてきたチャンスはすべて山からもらったものだと思ってるんだ。だからすごくその感謝を返したかった。でも業界を見渡すとすごくたくさんの人がいて、みんな同じことをやってる。同じアイデアに寄ってたかって、混雑状態さ。
僕のアイデアは、そういった固定観念から進化していたと思う。例えば僕が発案したフィルムの要素は最初は目新しいものだった。でもそれが流行って、みんなが僕のフィルムから見い出した法則を使っていくみたいな感じだった。

―2007年に興したnimbus Independentだね。
Eric:シネマはビジュアル言語で、人々の視点と世界をコミュニケートするものだって考え方だね。
他にも、僕がデザインしたスキーはとてもラディカルで、人は好きじゃなかったんだろうね、悪く言う人もいた。あんなワイドなスキーじゃクリフからランディングできないぜ、とか。でも十分だったんだ。でも5年後を見たら、たくさんのスキーが同じようにワイドになった。
僕がやってきたスキーのグラフィックもそうだった。それまでどのスキーも同じだったものを違ったグラフィックやシェイプやデザイン、コンセプトでどんどん広げていった。手つかずのスペースとか、いろんな素材を使ってきた。
自分から湧き上がるフレッシュなアイデアはひとたび「新しい」となると、すぐに周りが同じことをして、見まわしたら全部が同じになってた。すべてのスキーが同じようなグラフィックだらけになって、すべてのフィルムが同じようになって、すべてのスキーのシェイプも同じようになった。ゴーグルもヘルメットもウエアもみんな同じようになった。



自分が新しく考えて提案したものはコピーされて、使い古されていって…。
でも、僕はマーケットに根づくに至ったコンセプトを普及させたんだと気づいた。それは誇りに思っているよ、なぜってそれらのオリジン(起源)は自分にあるってわかっていたから。
それでも、自分にとってとても特別なもの、神聖ともいえるものが周囲に取り込まれてマーケットの仕掛けに使われたことは、ある意味つらかった。もう、そういうのはやりたくないなって。自分はもっと違う気持ちになれることをしたいって。だから、すごくすべてを変えたかった。スノー業界に新しいものを持ち込みたかった。
Season.を始めた大きな理由
Season.を始めた大きな理由は、そんな凝り固まった業界とコミュニティをリフレッシュしたかったからなんだ。だからSeason. は、これまでを変えるために、まずスキーとスノーボードを一緒にすることを提案したんだ。これまで決して起こることがなかったことさ。
スキーとスノーボードをシンクロさせることは最高にラディカル(急進的)だよ。誰もやってないことだった。そう、このスペースは誰にも踏み入れられていないフィールドだったんだ。どうやってふたつを統合するか、考えるのが本当に大変だった。初めての試みだから、上手くやらなくちゃいけない。そこには覚悟とアイデアが必要だった。

二つ目には、もうマーケットのスペースは超混雑して、飽和してることがわかってた。僕は、これをもっとシンプルにできるって信じてたんだ。どのスキー・スノーボードカンパニーも40種類とかのモデルを出してて、典型的ですごく保守的。たくさん数があれば、それだけ売れるから当然ではあるね。でも、それってユーザーには選択肢が多すぎるんだ。Too muchだよ。
僕らは3モデル。正直言って三つをどうやって差別化するかっていうのがすごく難しかった。へたしたら3つでも似ちゃうからね。40なんてどう考えたってover kill (やり過ぎ)さ。大事なプロダクトなのに作り手が十分に語ることもできないし、ユーザーに大切にケアされることもなくなってしまう。だから僕らはシンプルにミニマルにいきたかった。少しであればあるほど多くを語ることができ、多くをもたらすことができるから。

最後には、ユーザーがプロダクツを長く使うことを、僕ら本当に後押ししたいと思ったんだ。雪山を愛する僕らが環境に対してできる最も意味のある貢献は、毎年新しスキー、新しいグラフィックを売ることじゃなくて、「グラフィックは変えない、同じ美しいグラフィック。美しい貴重なプロダクツなんだから、今年使うだけじゃなくて、その後もなるべく長く使ってほしい」とユーザーに伝えることだと思った。
サスティナビリティこそ重要視されるべきじゃないか。
Season. を始めたのは、そういったアイデアをも業界にもたらすためなんだよ。
―3モデルなのはそういうことだったんだ! 自然環境へのリスペクト。
Eric:そう。僕らは、あくまで本物と呼べる方法でこのアイデアを広めたかったんだ。新しいテクノロジーを持ってきて、マーケティング用に「見て!新商品!これで世界をよりよくできる!」って具合に化粧をして売り出すことだって、きっとできたんだ。でも実際のところ、所詮スキーはファイバーグラスとプラスチックと糊なんだよ。
僕らができる一番のことは、環境に悪影響の少ない材料で、環境に配慮した製法で寿命の長いプロダクツを造って、ユーザーが手入れをして長く使うことを応援することだと思う。アメリカ国内では、スキーなどのギアの手入れを請け負っている企業とのパートナーシップを通じてユーザーのプロダクツの手入れをして、長く使えるようにしている。国際的にこのサービスを提供するのはまだ難しいけど、いつかやってみせるよ。
Special thanks to Eric Pollard, All photos by Eric Pollard
聴き手:Chise Nakagawa(CAST)
インタビュー収録:2021年5月25日
<後編>はコチラ

インタビュアー/編集
中川知世 Chise Nakagawa
大学では体育会スキー部に所属しアルペン競技に没頭。のち山と渓谷社でスノーボード雑誌の製作に携わり、アラスカや北欧・ヨーロッパなど海外を旅まわる。1999年、USAの「FREEZE」と提携しフリースキー雑誌「Generation-X」を創刊。X-Gamesやフィルムメイキングを追いかけ世界を駆けまわっていた。USAを拠点にLINEチームと行動を共にしていたこともあり、Eric PollardとはEricが15歳のLINEデビュー時から仲良し。しばらくスキー業界のフロントラインから離れていたが、再び「STEEP」で現場に。