マルチスキーヤー上野雄大・野沢温泉村議会議員になった今 |インタビュー前編

Photo : @tomokiaoki


1981年生まれ、長野県野沢温泉村出身。フリースキーのムーブメントの隆盛に乗り、スキークロスでW-Cupを転戦、後に始めたハーフパイプでは日本人初の世界選手権出場など、日本のフリースキーシーンを力強く牽引してきた上野雄大。2010年にはCompass Projectを立ち上げ起業、スポーツイベントの企画運営やショップ経営、ARMADAブランドのディレクターから選手育成まで、実業家としてもその辣腕ぶりを発揮してきた。そのマルチタレントは遂には行政の舞台へ。

2021年、野沢温泉村村議会の議員選挙に立候補。候補者中では最年少39歳で出馬、当選を果たし、現在はライダー・実業家・議員と、複数のキャリアを行き来する日々を送る。上野雄大の見てきた世界、見つめているいま、そしてその先の未来とはどのようなものだろう。その人生と考えについて聞いてみた。

お気に入りの信州スノーリゾートのポスター Skier:Yuta Ueno Photo : Yoichi Watanabe

―雄大さん、ついに議員さんですか!

上野雄大(以下雄大):はい、根っから野沢温泉が大好きで、ここで自分は子育てしたい、そこがよりよい村であったらいいなって願いがあって、自分ができる何かしらの関わりはしたいなって思っていました。野沢温泉の現状や、いまの自分の立ち位置、経験値、体力的・精神的なもの、世界情勢も含めていろんなものが重なって、「ここだ!」と思い、選挙に挑戦することを決めました。

これが野沢温泉村!!

―プロスキーヤーで実業家、3児のパパ、そして村議会議員! あまりにもカラフルなストーリーだから、ぜひ最初から辿ってみたいです。

雄大:そうですね。ものすごくいろんなことがギュウギュウに詰まった濃い人生なので、とても大きな刺激と感動、時に苦しさもありますが、楽しさに満ちています(笑)。整理していきますね。


村議会議員に当選したとき・3人の子供たちと記念撮影

当たり前の日常からアスリートとして世界へ

スキーを始めた2歳の頃

―野沢温泉村生まれの雄大さんがスキーを始めたのはいつでしたか?

雄大:2歳の頃からおばあちゃんと山に行っていました。おばあちゃんがリフトがわりに引っ張って何本も滑らせてくれました。僕の原点です。小学校4年生から村のジュニアスキークラブに入り、本格的にアルペン競技を始めました。

現在は私の長女もスキークラブに所属し、私が当時競い合った仲間と共にコーチングをしています。とても感慨深いです。代々続く体制や村の仕組みに改めて感謝しています。


野沢温泉Jr. スキークラブ 雄大はどこに?

―アルペンスキーにはどんな面白さを感じていたのですか?

雄大:アルペンを始めるまでは友達とゲレンデを縦横無尽に滑り回っていました。今でいうフリーライドで遊んでいて、ただただ楽しくて滑っていました。そこにある一定の年齢でアルペン、ポールで規制された斜面を滑ることが加わっただけで、あまり深いことは考えてなかったですね(笑)。当時は大会がたくさんあったので、負ければ悔しいし、勝てば嬉しいっていう喜びは見出していたと思います。でも、スキー自体の楽しみっていうのは、もうずっと小さい頃からやっていて、いつも日常の中に当たり前のようにあったと思う。

アルペンレーサー時代

―これまでいろんなスキーをやってきていますよね?

雄大:高1からアルペンのFISワールドカップやオリンピックを目指し、ヨーロッパへ遠征し、半年くらいスキー留学していました。でもヨーロッパという世界トップスキーの本場激戦区に行って、思ったようにうまくいかなくて、気持ちが入らなくなった。自分、なんでスキーをやっているんだろう……みたいなところまで行きついちゃったんです。

ある意味これが人生の転機になり、僕の思考の転換にもなりました。ずいぶん悩んで、答えを探していた時、地元にたまたまスキーボードの「Team One day」のチームメンバーセレクションのポスターを見て。兄貴と一緒に「へぇ~こんなのあるのだね。行ってみない?」って。そこからフリースキーの世界が始まりました。

SALOMON Team One Dayを紹介した当時の雑誌記事・雄大は右下(なぜかヒュウガと呼ばれていた)

―当時、SALOMONが力を入れて売り出したスキーボードですよね。インラインスケートのテイストで、ちょっとスキー界に新風が巻き起こった感がありましたね。

雄大:野沢温泉のスキースクールにショートスキーがあって、遊びで履いていて。なので、Team One dayが何かも知らないでセレクションに行きました(笑)。そこで優勝してチーム員に抜擢。で、兄貴とTeam One dayのメンバーになって活動を始めました。

One dayのチームメンバー(スキーではなくストリートカルチャーで育ったインラインスケートのプロが中心)をはじめ、スキー業界とは違った文化のなかで生きてきた人たちと出逢って、刺激を受けました。スケートとか音楽とかのアートやクリエイティブな一面に触れて、感性が少しずつ磨かれていった気がします。独自性を追求して、スタイルが大事っていう世界観は、タイムが早ければ勝ちというシンプルな競技スキーとともに育った僕らにとっては、すごく新鮮でしたね。

写真左/兄Masa(右)のおかげで滑る楽しさの本質を思い出すことができたようにも思う。写真右/スキーボードの Team One dayのメンバーとともに

―その後は?

雄大:大学に進んでアルペンも継続していたんですけど、同時にスキーボードから始まっていろいろなスキーの世界を見るようになりました。スキークロスのワールドカップに出たりもして。スキークロスは、アルペンと、パークのジャンプが組み合わさったもので、まさに僕がやりたかったことに近いというか。こんな競技があるんだって、すごく盛り上がってハマりました。傍ら、スキーボードから長いツインチップのスキーに流れて、パーク遊びも楽しみの一つとしてやっていました。

―その後、ハーフパイプに移ったのはなにかキッカケがあったのですか?

雄大:スキークロスで世界を回っていったときに、世界のリゾートに必ずパークがあり、そには見たことのないような素晴らしいハーフパイプがあって。それを当時、クロスの板でよく滑っていたんですけど(笑)、それがもうすごく楽しくて。人より高く飛べるし、無重力みたいな感覚が時間が止まるように長く体験できるのが面白かった。そうしているうちに、このあとの現役としての時間はハーフパイプに賭けたいなと。

ニュージーランド スノーパークと名付けられた夢のようなスキー場にてSkier : Yuta Ueno Photo:Tomohiro Watanabe

―大学を出てからはフリーのアスリートとして活動していたのですね。

雄大:大学を卒業後、28歳まで約6年間は、ハーフパイプでワールドカップを転戦していました。日本で見たことないようなきれいなビッグパイプをいくつも滑らせてもらったし、すごく楽しかった。何より世界で同じよう感性をもった仲間にたくさん逢えて、時間を共有できたことは、いまでも財産になっています。

ニュージーランドで後にスター選手になるJossiWellsの家に毎年夏になると下宿しながらトレーニングを積んだ。家族のような存在のwellsファミリー

こうして上野雄大は日本スキー界におけるハーフパイプのパイオニアになった。
2004年ニュージーランド選手権で優勝。
2006年1月にはフリースタイルスキーWorldCupフランス大会で日本人初となる4位入賞を果たす。


―当時、世界トップで勝っていたのは誰だった?

雄大:Tanner Hall(タナー・ホール)やCandide Thovex(キャンディド・トヴェックス)、Simon Dumon(サイモン・デュモン)らのフリースキームーブメントの中心人物たちがX Gamesなんかで勝っていた頃でしたね。海外勢は高回転を得意としていた一方で、僕の武器は高さでした。春にウィスラーで行われた大会のワンヒットセッションで飛んで、その時のカリスマライダーや後にスター選手になるキッズまで、多くの人に評価してもらい、認識してもらうきっかけになりました。

海外大会でも大活躍(Whistler, Canada)
当時共にコンペでも競ったタナ―(中央)。現在もARMADAブランドを通じてビジネスでも交流が続いている。右はARMADAハンス社長

Compassプロジェクト始動

―ハーフパイプのアスリートとして活躍した後、どんな方向を辿ったのですか?

雄大:新しいスキーの楽しさを方向付けして導くためのCompass Project(方位磁石)という活動を、2009年の秋に立ち上げました。「スキーをもっと楽しく自由に」がコンセプトです。当時はまだまだフリースタイルスキーは日本では認知されていなくて、パウダースキーもその頃やっとロッカースキーが出てきたけど、日本ではまだ板を履いている人が少なかった。ARMADAでいう「JJ」という名機があり、素晴らしい板だったのですが、歪な形から一般的には誰も寄りつかない時代。そういう道具や遊びを提案したいなと思いました。

年々増える多くのスキーヤー仲間と共にプロジェクトを進行

そしてCOMPASS HOUSEを設立と?

雄大:そのプロジェクトの下にはイベントの企画運営や選手の育成、オリジナル商品の販売など、スキーをもっと楽しく自由にするためのアイデアがあって、全体計画の一つとして、まずはレンタルや物販の部分がCOMPASS HOUSEという店の形で立ち上げたんです。

「ヒト、モノ、コト」が集まる場所的な役割を想定していました。ありがたいことにまさに磁石のごとく人が集まってきてくれて、大いに盛り上がりました。あくまでスキーをもっと自由に楽しんでもらうため「適した道具が必要だよね」という提案としてショップをやったし、そこでイベントをやって、こうやって遊ぶんだってことを手取り足取り教えてきたという感じです。

同一モデルのユーザーを集めた「JJ感謝際」。スキー界にとっても新鮮なイベントとなり、パウダースキーの普及がさらに進んだ
Compass Projectの発信地となるCOMPASS HOUSE。ジャンル・年齢問わず多くのヒトが集う場所へ。2019年サミー来店

大きな全体図を描いての起業。立ち上げは大変だったのですか?

雄大:それ実にいい質問ですけど(笑)。大きな夢を描いただけで、若さと勢いで、資産もないし信用もない。お金も借りられない。だから、限られた環境の中で始めるしかかなく、店舗作りもすべて仲間や家族で行いました。ARMADAの試乗ステーションもメーカーさんと交渉して、シーズン中、倉庫に眠っていた試乗スキーをCOMPASSで管理し、ユーザーや試乗会に貸し出しすることで、効率の良いプロモーションすることに。そういった工夫をしてやっていました。

プロジェクトの柱でもあったJr育成。日本全国のキッズが目標にするJrフリースキーヤーのための大会を10年開催。現在日本のトップアスリートは皆この大会の出身者
こちらは温泉街COMPASS VILLAGE店。グローブやゴーグルなどの小物を取り扱う

Cafeスタンドも併設、大湯通りのコミュニケーションスポットにもなっている

5年やって、同じ体験をもっとたくさんの人にしてもらえるよう、店をより好立地のところに出すことに。レンタルならスキー場の近くだよねってことで、5年前に長坂ゴンドラステーションのところにMt.Dockを、アイテムを販売するショップなら温泉街だよねってことで大湯通りにCOMPASS VILLAGEを3年前にオープンしました。

長坂ゴンドラ山麓にあるMt.Dockはローカルから国内外のお客さんでいつも賑わっている

―いま、実感する広がりや手応えはどうですか?

雄大:レンタルはより多くの人に使ってもらっているし、温泉街にVILLAGE店があることで、これまで足を運んでもらえてなかった人にも、モノや情報を届けられるようになったという実感はあります。また店舗数が増えたことで、一緒にやりたいというコアなスタッフが増えました。今、通年社員が3人になり冬季のスタッフは15名を超えます。お客さんだけじゃなくて、仕事をしながら思いを共有できる仲間も増えたことも、すごく大きなやりがいになっています。

雄大の右腕スタッフ・COMPASS HOUSE店長&ARMADAアドバイザリースタッフの村井諄弘(tomohiro)

広がりといえば、YouTubeチャンネルの「COMPASS TV」も。10年くらい前からのんびりやっていたんですが、コロナ禍で、野沢に来られないお客さんに顔を見せて情報を提供し続けようと、ライブ配信も始めて活発化したんです。すると、「YouTubeライブいつも観ています」って、店に来てくれる新しいお客さんがすごく増えた。親近感が湧くみたいなんですね。結構マニアックな質問も飛んできて、答え甲斐がある。滑る技術や用具のハウツー動画もやっていて、その時は視聴者数も大幅に増えたりします。これは予想していない副産物でした(笑)。

https://www.youtube.com/user/CompassHouseTV

―さらなる広がりといえば、COMPASSではバックカントリーツアーや講習会も積極的に提供していますよね? その背景は? 

雄大:バックカントリー(BC)もコロナ禍になって、より力を入れやすくなりましたし、お客様のニーズがグッと上がりました。もともとゲレンデやパウダーをより快適に遊ぶためにCOMPASS HOUSEにアクセスしてくれた方が、BCに行くという次のステップへ舵取りし、新たな楽しさを提案できている手応えはあります。

また、野沢周辺の未知の自然フィールドへ誘うことで、新しい人が野沢の魅力を体験しに来てくれる、新たな客層開拓の後押しができているようにも思っています。モノを売って終わりではなくそのモノをいかに安全であり楽しく使うかを提案したい。「モノ売りからコト売り」へのシフトを社内での合言葉にしてきました。

―どんなフィールドが広がっているのでしょうか? 

雄大:BC初心者から行けるところとして、毛無山山頂からアクセスがしやすいエリアに案内することが多いです。みんなBCが初めてというと、自分が足を引っ張ってしまうんじゃないかと心配するけれど、そこは立木の間隔も広くトレーニングフィールドみたいなところ。ハイクは30分以内、ゆっくり登り返しも1時間くらいで、それが何本か繰り返しできるので、入門者にちょうどいいんです。

「旅するBC」というツアーでは、鍋倉とか妙高へ日帰りで足を延ばします。BCギアをしっかり揃えた中上級者向けのものです。

冬季はプロガイドの河口TKY堯矢(takaya)が加わり多彩なBCツアーを提供

―野沢周辺BCの魅力は?

雄大:野沢のBCの魅力は、険しい山岳地帯ではない故に幅広い層の方を受け入れられる。ゲレンデ内のパウダーがもう滑りつくされたり、気温が上がって条件が悪くなっても、必ずそこだけは雪がいい。3月半ばまではとくに良くてオススメです。女性向けの専用ツアーもあります。4月いっぱい楽しめます。

―いまは毛無山トップに管理区域外に出る専用ゲートが設置されているのですよね? 野沢温泉スキー場ではバックカントリーへのスタンスはどのようなものなのでしょう?

雄大:肌感覚ですけど、以前よりやみくもにロープをくぐる人は少なくなっているんじゃなかなと感じます。入山届を出して登山という認識でBCに出る、お客さんもそういう認識になりやすいと思います。いままでは目の前でロープをくぐる人がいて収集つかなかったものが、徐々に抑制できているように感じています。私も各会合等の場ではできるだけ現場のリアルな情報共有をしています。ローカルの認識や行動の変化も重要だと考えています。

まだBCってやっぱり未知のもので、人によってはただ危険だというネガティブな認識になっている人もいますが、遊びを提案している僕らとしては、装備や滑走技術などのソフト・ハードの環境もサポートしながら安全への啓蒙活動をしっかりとして、自然のなかで安心して楽しめるように提案したいという想いで取り組んでいます。

Skier : Yuta Ueno Photo:Mantaroh Muramoto

その価値観

―いま、雄大さんが大事にしているものは?

雄大:家族が一番かな。上から12歳・5歳・2歳と3人の子供がいます。どんどん成長してしまう子供たちを見ていると、今は家族を軸に家族との時間を大事にしたいって思っています。特に事業立ち上げ当初、長女が誕生した直後の数年間は家族の時間は皆無でした。今は野沢温泉スキークラブに入っていて、自分はジュニアのコーチをやっているので雪の上で一緒に時間を過ごせるのもとても貴重な時間です。その後に誕生した二人の子供とも時間を見つけて山に積極的に滑りに行くようにしています。

家族とのかけがえのない時間のなかですっかりパパの顔

―子供たちの選手育成はどうですか?

雄大:昨年からジュニアスキークラブの主任コーチを経験しました。子供たちは素直でなんでもスポンジのように吸い込んでくれるから、すごくおもしろいんです。やったらやった以上に返ってくる。人の価値観や人格が育つ大事な時期を預けられているなって実感しますね。

ジュニアスキークラブの主任コーチとして子供たちをサポート。春にはBCツアーも経験させている

―「価値観」大事ですよね。雄大さんの価値観はどんなものですか?

雄大:常に変化を求めている姿勢かもしれません。変わらないことは、時代の進化の中で後退していると同じだと思っているので、常によりよい変化を求めていたいという思いがあります。地方はとりわけ伝統文化を重んじる傾向から保守的です。変化を望まない場合が多々ありますが、スポーツやレジャーに関しては元々海外から入ってきたもので日々刻々と用具も変わり遊びも多様化します。変わらないもの、変えるべきものを見定めて行動できる冷静な価値観も持ち続けたいです。

2022年4月・北海道羊蹄山にて Skier : Yuta Ueno 

2022年5月・富士山にて Skier : Yuta Ueno 

どんなに多忙になっても毎年一度は日本100名山のどこかで滑る時間を作っています。本質は変わらないのに、複雑な世の中になってきています。変わらず広く物事捉えられる良きリセットの時間になります。


「別にこのままでいい」と思ったことはない。常に「その先」を見つめて進化を求める強い意志が、そのまま上野雄大の生き方になっている。世界で戦うアスリートから深夜残業も厭わないビジネスマン、もっと子供と遊びたい父親、そして地元愛にあふれる政治家に。その変化のさまは驚くばかりだ。

後編」に続く

【Profile】

上野雄大●うえのゆうた
1981年生まれ、長野県野沢温泉村出身
順天堂大学スポーツ健康科学部卒業
野沢温泉村村議会議員・野沢温泉観光協会理事・野沢温泉スキークラブ理事・3児の父
株式会社ドリームシップ代表。野沢温泉村を拠点に「もっと楽しくもっと自由に」を合言葉にスポーツ関連事業の店舗を3店舗、飲食テナントを1店舗経営。村内の空き家を再生し活用。地方で課題となる空き家対策や雇用の促進にもつながる事業展開を行い地方活性化に寄与。野沢温泉Jrスキークラブ小学生チームのチーフコーチとして人材育成にも携わっている。


雪上写真提供:デサント
@descente_ski_jp 

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