やってきたことすべてに価値がある「川村あんり」インタビュー

北京五輪のあった’22季、W杯で表彰台7回、優勝3回という稀有なリザルトを残しながら、わずかの差で総合優勝を逃した川村あんり。期待された北京五輪でのメダル獲得はならなかったものの、その実力と存在感は圧倒的になりつつある。そんな彼女の強さの源泉はどんなものなのか。改めてスキーの歩みから振り返りながら、その秘密に迫ってみた。シーズン真っ只中だが、オフシーズンに聞いた話をここで伝えよう。

Photo/Sho Endo

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歯磨き感覚から「挑戦が楽しい」へ

ーースキーはいつから始めたのですか?

3歳の頃にスキーを始めて、4歳からモーグルを始めました。

ーー始めたきっかけは?

祖父母はスキーがすごい好きで、湯沢町にマンションを持っていました。そこにレジャーとして両親とスキーに行ってたら、そこから楽しくなって。

ーー初めてスキーをしたときの感覚や、楽しいって思ったときのことは、覚えていますか?

それが、本当に覚えてなくて(笑)。
本当に気がついたらモーグルをやっていたって感じなんです。当時からスキーが日常すぎて、生活の一部になっていて、スキーが楽しいって感じるよりも、歯磨きをするぐらいの感覚でスキーをやってきたので。
いつ、どんなことからスキーを楽しいと思ったとか、あんまり覚えていないんですよね。でも、難しくてうまく滑れないコースに挑戦し続けて、うまく滑りきれた時はすごく楽しいなって感じていたんだと思います。

幼少期は湯沢を拠点にしていた川村あんり。写真はかぐらスキー場 Photo/家族提供

左の少年は原大智選手。この二人が一緒に五輪に出るとは当時は想像もつかなったはずだ。Photo/家族提供

ーーそれは何歳ぐらいの記憶ですか? 

スキー始めてからずっとそういう感覚はあるんです。6、7歳とか小学生の頃からなんだかそういう感覚があったなっていう記憶はあります。

ーーなにか難しいことに挑戦することが好きだった? 負けず嫌い?

結構そうだと思います。ダイチ君(原大智)と同時期にナショナルチームに入ったんですけど、ダイチ君がバックフリップをし始めたら、「私も絶対やりたい! 一緒にやりたいやりたい!」って言ってました。
ずっとダイチ君や他の男子選手に負けたくないっていう思いがありました。負けず嫌いは、小さい頃からあったかなと思います。

ーーそれがスキーへのモチベーションにもなっていた?

そうですね。やっぱり挑戦し続けていないと、楽しくないというか。
私の中では挑戦することが、スキーが楽しいことに繋がっていると思っています。挑戦することや成長することに、すごく楽しさを感じているなって思います。

スキーを始めた頃はずっとがむしゃらに挑戦し続ける日々だったんですけど、大会に出始めて目標が明確になってからは、その目標に対して、やらなきゃいけないことが出てきたので、それをちゃんとやるっていうのが、いまの私にとっての挑戦かなって思います。

2012年に松之山温泉で開かれた大会が初めての公認大会 Photo/家族提供

ーー挑戦していくうえで苦労や心が折れそうみたいな、辛いことも結構あるんですよね?

そうですね。私はジャンプが結構怖いって思うタイプなので、新しいジャンプ台に行って飛ぶことに挑戦したり、新しい技をかけ始めたりするのはすごく怖いと思ってます。でも、そこで諦めて、いまできる技で戦うことはできなくないけど、そこで留まりたくない。挑戦した先に絶対なにかがあるって信じて挑戦するようにしています。
でも、やっぱり怖いものは怖いです(笑)。

ーー怖さを振り切るためのおまじないみたいなもの、あるんですか?

いえ、とくにルーティーンはなくて。本当に、もう、ただその挑戦した先に絶対何かあるって信じて、やるしかないって思うことだけ。それが怖さを振り切る自分自身のコツかなって思います。

ーー難しい壁にぶつかったら逃げたくなりがちが普通だけど、それを超える楽しさを知ってるってことなんですね。初めて海外で大会に挑戦したとき(’20季W杯ルカ2位)の記憶ってあります?

あります。そのときは、海外遠征も初めてだったので、すごい緊張してたと思うんですけど、割といつも通りちゃんと滑れたかな。

私らしく

ーーあんりさんの記事をいろいろ読ませてもらうと、「私らしく」っていう言葉が印象的だと感じたんです。自分らしく滑るとか楽しむっていうのは、どんなことなのですか。

そうですね、結果を気にして点数にこだわる滑りじゃなく、本当に自分が目指している、自分がやってきたことの証明になる滑り。いままで自分が積み上げてきたものを見せられる滑りを大会ではしたいなって思っているんです。
結果にこだわったりとか、点数を気にして滑ってしまうときもあるんですけど、そういうときはやっぱり攻めきれないというか、なんだか自分じゃないように思うんです。
ちゃんと攻めるんだって決めたり、自分が今までやってきたことをただ大会でも同じように続けてやるだけだっていうふうに考えると、後から滑りを見たときに、やっぱり良かったなとか、これこそ自分がやりたいスキーだなっていうふうに思えるんです。
結果を気にしないで、ありのままのいまの自分が持ってるものすべてを出しきって滑るっていうのを、自分らしさとして、すごく意識してます。

’23季はDM(デュアルモーグル)の成績が好調。Photo/Mateusz Kielpinski / FIS Freestyle

ーーそこが結果になっているんですね。

もちろん優勝したいとか、表彰台に乗りたいっていう思いもあります。それよりも自分が持ってるものをすべて発揮するというか、自分のできるベストを尽くすっていうことを大切にしたい。

ーー自分らしくいられるコツはなにかありますか。

以前までは人と自分を比べて、自分はここが劣ってるんだ、全然ダメだとか、自分を蔑んでいたんです。
でもいまは他人とでなく、以前の自分自身と比べるようになりました。過去のスキーやジャンプの技術から進化するために毎日新しいことに取り組んでいて、絶対に変わってきてるはずなので、その変化をちゃんと自分自身で見て、成長を感じられれば、自分は自分のままでいいんだなって。
自分らしさを感じられるので、自身の成長を見るようにすることは、すごく心がけてます。

ーー挑戦し続けていくってことで自分を超えていくんですね。そんな強いあんりさんは、モーグルを辞めたいと思ったことありませんか?

小学生や中学生のときは、放課後はお友達みんなで遊んだりしてるなか、私は毎日スキーの練習をしないとしないといけなかった。自分がしたくてしていたんですけど、友達と遊びたいなとか、スキー全然うまくいかないなって……。もう辞めたいなって思うときもありました。
でも、本当にやめたいかって言われたら、そうじゃなかった。
自分はスキーが楽しくて、スキーがなかったら、どう生きていくのかわからないぐらいスキーが人生の一部になっていて、それがあまりに自然過ぎて。
「もう、やだな!」とかはありますけど(笑)、本気で辞めたいと思ったことはないです。

個人種目のモーグルとはいえ、遠征はチームで行動。チームワークの良さが日本チームの好成績にも繋がっている。左から柳本理乃、富高日向子、川村あんり Photo/Sho Endo

ーー あんりさんのインタビュー記事を見ると、全体的にすごくポジティブで、本当に前向きな話が多いなと思って。読んでいてとても気持ちいいというか、元気づけられると思います。

夢を叶えた北京五輪

ーー北京五輪。子供の頃から夢として掲げていたっていう話を見たんですけど、北京に行けるとなった時は、どんな気持ちでしたか?

本当に嬉しかった。もう、ただただ、すごい嬉しかったです。

ーーその時はどんなことを想像しました?

ずっと憧れてきた舞台で自分らしい滑りをする。ありのままの自分で、その場を楽しめたらいいなって思ってました。

手にしているのは北京パラリンピックのマスコットキャラクター”シュエロンロン” Photo/Sho Endo

ーー勝ち負けじゃなくて、楽しめるかもなと思って臨んだのですか?

他の選手と比べてしまうときもあったんですけど、他の人がどうであっても自分が積んできたものというか、ここまで挑戦して作ってきた道は絶対他の人にはどうにもできないので、もう自分自身を信じていこうって。
オリンピック期間中はずっとそう思って大会に臨んでました。

ーー滑りを見てどうでしたか?

そうですね、あの滑り自体もすごく良かったです。勝ちにこだわる大会だとかなり結果を意識してスタートしてしまっていたんですけど、五輪の時はもう本当にそのランで何をするかに集中して、自分自身との戦いだなってすごく感じてスタートして、そのなかで、ちゃんと自分がやるべきことはやって下まで降りれたので、すごく思い出に残る1本。すごく自分らしさが出た1本だったかなと思います。

ーー結果はメダルにあと少しの5位でした。相当悔しい思いだったと想像できますが、いま話してくれたマインドになれたきっかけはなにかありましたか?

先シーズンの私は、かなり結果、結果になってた部分が多かったんです。でも開幕戦のルカで、9位という結果に終わり、そこをちゃんと受け止めて、いまの自分に何が足りてないか、どこの技術を伸ばしたいかっていうのをしっかり考えて、自分自身に集中した瞬間に、自分のためにスキーをするってことが見えてきたんです。
自分は本当になにがしたいのかをすごく考えた。
それからは、大会でも自分のために自分のしたい滑りをする、そういうマインドセットでいけるようになったかなと思います。

ーーちなみに開幕戦の9位になったときに、ここを変えなきゃと具体的に変えた部分はなにかありますか?

そうですね。やっぱり一番はリザルトにこだわりすぎすぎていたメンタル面ですね。公式トレーニングから大会に持っていくまでの準備が不十分だったけど、勝てるんじゃないかっていう、ちょっと浮わついてる感じがあったとルカではすごく感じて。そこをもう一度改めよう、という考えになりました。

’22季開幕戦ルカでの9位が、後の快進撃へと繋がった Photo/Mateusz Kielpinski / FIS Freestyle

ーー一戦目から結果にフォーカスしたというのは、オリンピックイヤーだった影響が強いですか?

そうですね、あんまり頭にないつもりではいたんですけど、やっぱりオリンピックに向かってやってきてたので、それはすごくあったかなと思います。

ーー挑戦することが、スキーを楽しめているとのことですが、スキーに楽しさを感じてるところは、それ以外になにか他にありますか。

スキー乗ってる瞬間が好き。雪の上を滑走してる瞬間が本当に好きなんです。でもやっぱり自分に対してたくさんの挑戦ができるっていうのが、一番好きなところです。

ーーストイックってわけじゃないんですけど、常に負荷をかけるというか……

そうですね、ずっとそういう環境で育ってきたので、もうそれが当たり前という感じにはなっているんですね。
でも、もちろん自分で目標を立てて、そこへ行くまでの道のりってすごくつらいけど、それが楽しい。私がスキーを楽しいって思っている本質的なところかなと思ってます。
それがあるからこそ辞めないというか、辛くててもそこも楽しめるっていうのが、いいのかなと思いました。

ーーなんだか達観してますね。大会はどんな位置づけなんですか?

私がスタートに立つときの気持ちは特殊だと思うんです。下で見てるコーチにベストな滑りを見せたいって思ってて。ここまでコーチと一緒に積み上げてきて、ここまで教えてもらって私、できるようになったんだよっていうのをすごく見せたいんです。
もちろんメディアを通じて見ててくれる家族や友達にいいランを見せたいって思ったり、ライバルとかに向けていいランをしたい、「ここまで成長した今の自分を見せたい」っていうのが一番だと思うんですけど、そのなかでも特に下にいるコーチにベストなランを見せたいっていうのが、スタート台に立って私がすごく思うことですね。

雑念を排除して、いまできる最大限の滑りにどう集中できるかをスタートで確認 Photo/Sho Endo

ーーそれはどうしてでしょう?

自分ができない部分も、うまくいった部分も、全部をコーチが見てきてくれたから今の私がいる。だから、「よし!今回もベストのランをして、これだけ上手く滑れるようになった」ってことをコーチに見せたい。私をここまで育ててくれたコーチがいるんだってことを周りに知ってほしい、スタート台に立ったときはいつもそんなことを考えてます。

―へえ~(驚きと感心)。ちなみにそれは、大会に出始めた頃からの習慣なのですか?

そうじゃないと思います。’21季の最後あたりからそういう思いが強くなって。五輪シーズンは完全にずっと「コーチに(見せたい)、コーチに(見せたい)」っていうメンタルで大会を滑っていました。

ーーいつも見守って、辛いときも温かくサポートしてくれて、一緒に乗り越えてくれた存在への感謝みたいな感覚?

そうです、北京の試合が終わった直後のインタビューで、私「申し訳ありませんでした」って言ったんです。でも、「そんなふうに申し訳ないなんて思わなくていいんだよ」といったメッセージを周囲からたくさんいただいて、すごくありがたかったんですけど、でも、あれは自分の心からどうしようもなく出てきてしまった言葉でした。
このモーグルっていう、そこまで有名じゃない競技をここまでずっとやらせてくれた、自分を支えてくれた人すべてに対して無意識に出てきた言葉というか……。

メダルが取れなくて期待に応えられなくて、ここまで応援してくださった方々に本当に申し訳ないっていう気持ちになったんです。後で頭を冷やしてみれば、皆さんメダルへの期待だけで応援してくれていたわけではなくて、世界舞台で頑張る自分の姿を見たくて、応援してくれてたと思うので、そこじゃないっていうのはわかるんですけど。
感謝の気持ちがあふれて、収まりどころがなくって逆にごめんなさいって表現が自然にでちゃいました。

―なんだか、とっても素敵な話ですね。

遠藤尚コーチと濃密なやりとりを繰り返して、滑りの完成度を高めていく Photo/Janne Lahtela
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