フリーライドの時代を拓いた男 「佐々木大輔」|インタビュー前編

Photo : Ayako Niki

INDEX


「FWT(フリーライドワールドツアー)」の元祖といえるビッグマウンテンスキー世界大会にいち早く参戦した日本人スキーヤーであり、同時にアラスカやグリーンランドなどへ遠征してスキーを繰り広げた冒険的スキーヤー。バックカントリースキーが市民権を得て、フリーライドスキーというニッチなジャンルが国内の滑り手達に浸透したのは、間違いなくこの男の存在感があったからと言えよう。NHKドキュメンタリー番組『デナリ大滑降』でも知られる国際山岳ガイド、佐々木大輔とは果たして何者なのだろうか。今さら聞けないこれまでと、現在進行形の活動に迫る。

Photo : Takao Araiba

これが本邦初公開
Wikipedia的 佐々木大輔 その1

──佐々木大輔のプロフィールを知りたいという人が、今でもわりと少なくないらしい。

そうなんですか。NHKのデナリ南西壁の番組を観てはじめて僕のことを知ったという人もけっこういると思うので。まあWikipediaとかもないですしね。

──そういえば、Wikipediaに原稿を書くかどうかなんて話もあったね、かなり昔だけど。

懐かしいですね。たしかに「佐々木大輔」で検索するとプロレスラーが出てくるし、同じ歳で同じジャンルに同姓同名のスキーヤーがいて、よく間違われましたから。「え〜、大輔さんって〇@#△✕⁈なんですか? 意外だなぁ」って。いや、それは青森の佐々木大輔(※1)で、僕ではありません、なんて。ほんと困ったものでした。

──同姓同名で同じ歳。ニッチなビッグマウンテンスキーの世界でよくもまあ、ここまでかち合ったなと思うよね。しかも、青森の佐々木大輔はレスリング部出身で半分くらい本気の格闘家だから、余計にややこしい。

ですよね(笑)。

──まあそれはともかく、佐々木大輔の履歴を振り返るという意味で、Wikipedia的に話を進めてみるとしますか。

あ、それおもしろそうじゃないですか。


佐々木大輔(国際山岳ガイド)

佐々木大輔(ささき だいすけ、1977年生まれ- )は国際山岳ガイドでビッグマウンテンスキーヤー。ビッグマウンテンスキー世界大会参戦や、グリーンランドやパタゴニアなどへの冒険的スキー遠征を経て、2014年から国際山岳ガイド。利尻岳滑降やデナリ南西壁滑降などNHKドキュメンタリー番組でも知られる。「ガイド盤渓」主宰。


概要

[ 幼少期 ]

家の基礎を手作業で掘削 小学2年生

北海道札幌市の郊外で生まれる。青年海外協力隊に参加していた父が帰国し、札幌市内でも山あいの盤渓地区に移り住む。家は父が自らの手で建てたもので、薪で沸かす五右衛門風呂を始め、ほとんどの調度品も父の手作り。できることは人任せでなく何でも自分でやる、という父の姿勢は、後の佐々木の生活に大きな影響を与えたようだ。

[ 小中学校時代 ]

ちなみにこれは4歳時 手稲平和スキー場にて

自宅は緑の山のなかという恵まれた自然環境で、小中学校時代は年間を通じて自然の中で遊び尽くした。特に冬は自宅からほど近いばんけいスキー場に通い、スキーを終えると山頂から裏手の森の中を滑って家に帰ったという。もちろん、そこにコースはない。ちなみに、佐々木が通った小学校は、恵まれた自然を生かした特徴的な教育で知られた札幌市立盤渓小学校。先輩には我慢嘉治、秋庭将之、三浦豪太などのスキーヤーがいる。

[ スキー修業時代 ]

19歳の秋 相棒の麦谷と涸沢にて。屏風岩や滝谷で岩登り

高校卒業後、在学中から研修生(スタッフ見習い)を続けてきた札幌のガイド会社「アルパインガイドノマド」に入社し、冬はテイネハイランド(現サッポロテイネ)スキー場を拠点としていた三浦雄一郎&スノードルフィンスキースクールで2シーズンのスキー修業。その間、第二回ジャパンエクストリームスキー大会で優勝したことで、アラスカ・ヴァルディーズでの伝説の大会「ワールドエクストリームスキー・チャンピオンシップ」に招待され、初出場8位で注目を集める。以後、夏は登山ガイド、冬はプロスキーヤーを目指す。

[ なまら癖ーX時代 ]

マッキンリー ランディングポイントにて 2000年 左から立川・児玉・なら・佐々木・山木

その後はビッグマウンテンスキーヤーとして世界のフリーライド大会に参戦しつつ、札幌の滑り仲間たちと共にアラスカ・デナリ登頂&スキー滑降を皮切りに、千島列島やグリーンランドなどへ世界の辺境地への冒険的なスキー遠征を重ねる。人気ムービー「icon」シリーズと共に国内のスキーヤー、スノーボーダーにその名を知られるようになるのはこの頃から。

[ 国際山岳ガイドへ ]

南極でフィールドアシスタントを経験

32歳のときに第51次南極観測隊フィールドアシスタントとして約半年間の南極滞在。帰国後はプロスキーヤーとしての活動からスキーガイド業へと本格的にシフトさせる。36歳で国際山岳ガイドに認定。その間、2013年の利尻岳滑降と、2017年のデナリカシンリッジ登攀~南西壁滑降がそれぞれTVのドキュメンタリー番組「NHKスペシャル」として全国放映されたことで、新たな知名度を獲得して今に至る。

北海道の自然とともに暮らすハッピーファミリー! Photo : Ayako Niki

現在、札幌市中央区盤渓を拠点に「ガイド盤渓」を主宰。妻、長女、次女、長男との5人家族。妻は元ソルトレイク五輪ハーフパイプ代表でフリーライディングでもその名を知られたスノーボーダーの旧姓三宅陽子。


──子どもの頃からパウダーを滑って遊んでいたの?

親の友人の別荘がニセコにあって、小学生の頃から毎年そこに通って滑っていたので、パウダーは滑り慣れていたというか、けっこう好きでしたね。とはいっても、コース脇のちょっとしたパウダーですけど。

──ばんけいスキー場から裏の森を滑って家に帰っていた。小学生にして早くもバックカントリースキー(笑)。

道路を歩いて帰るより楽だったし、でも毎回ではなく、10回に2、3回くらいじゃないですかね。

──これは意外に思う人も多いと思うんだけど、高校時代はスキー部で基礎スキーに取り組んでいた。

そうですね。その頃はそうです。技術選出場を目指していたわけではないんですけども、その世界に対してはストレートに憧れていました。

──「スキージャーナル」とかを読んで有名デモに憧れていたとか?

そうではないですね。高校の先輩だったヤマキックス(※2)やその同期の人たちがカッコよくて、その滑りに憧れて背中を追いかけたって感じです。

──高校を卒業してノマド(※3)に入社した際、代表の宮下さんから「冬の2シーズンはテイネのドルフィンズでスキー修業してこい」と言われた。そのとき自身のなかで三浦&スノードルフィンズはどんな存在だったの?

たしか夏くらいにその話をいただいて、スノードルフィンのビデオ(※4)を観たんですよ。ツェルマットが舞台だった作品。それで持っていかれた感じです。うわぁ、ドルフィンズ、カッケェって。

その前から宮下さんの影響で北米のエクストリームスキー(※5)のスキービデオを観ていたんです。スコット・シュミット(※6)とかにちょっと憧れていて。それでばんけいスキー場で基礎スキーの練習をしつつも、ちょっと林のなかを滑ったり、ガケを飛んだりしていたんです。それがあったから、ドルフィンのビデオを観たときに日本にもこういうスキーヤーたちがいるんだ! って驚いて、そこに僕が行けるの? って感じでしたね。

三浦&スノードルフィンズ時代・大輔は中央の三浦雄一郎さんの左後に

そこでタケさん(児玉毅)に出会えたのが大きかったです。お互いに刺激し合って、毎日バカみたいに滑ったことがスキーの実力を引き上げることにつながりました。ライバルというか、ライディングパートナーの存在は重要です。

──2シーズン限定じゃなくて、そのままドルフィンズでスキーを続けようとは思わなかった? なにしろ、あのWESC(※7)で初出場8位でしょ。もうそれだけでライダーの道が開かれていたように思うけど。

ドルフィンズの2シーズンは、あくまでノマドでガイドになるためのステップでした。もちろんスキーも興味はあったんですが、ガイドはもっと以前からの憧れだったので、まずはそれをしっかりやろうと思っていました。

──では、ドルフィンズから卒業した後、テイネでパトロールを始めるじゃない。あれはなぜ?

ドルフィンズの2シーズンを終えた後に、ノマドで正社員として通年で2年間働いたんです。その2年目の冬にアメリカの大会(ノースアメリカ・エクストリームスキー大会)に出て7位だったんです。そこでなにか燃え切れないものがあり、もう少し挑戦したいというか、もっと燃えてみたいという意識になりました。

結論として、ガイドはいったん置いといてもいいかなと思ったので、スキーに集中することにしたんです。それでノマドを退社して、次の年からテイネのパトロールの手伝いに行きながらトレーニングしたり、人工降雪のアルバイトなどで資金を貯めて世界の大会に行き始めたんですよ。

──サロモンにサポートされるのはその頃から?

もう少し前の2回目のアラスカWESCからです。もともと登山靴でノマドとサロモンにつながりがあった関係です。ちょうどクロススクリームが出た時代ですね。

──プロリンクが付いた黄色いカービングスキー。

そうです。サロモンがそういうスキーを出し始めたときですね。そのあとにAKロケット(※8)が出てきます。当時のAKロケットはぜんぜんカービングができなくて、ゲレンデでは滑りにくかったな。感覚的にはすっごい太いスキーだと思っていたけど、今やAKロケットよりも太いスキーばかりですもんね。


※1 [青森の佐々木大輔]

1977年、青森県十和田市出身のプロスキーヤー。高校卒業後にカナダ・ウィスラーに渡って本場の洗礼を受け、1999年からIFSA( International Freeskiers Association)主催のビッグマウンテン大会参戦。日本人初のシックバード獲得など実績を残した後、現在はスキーベースジャンパーとして活動中

※2 [高校の先輩だったヤマキックス]

チームなまら癖ーXのメンバーとしてグリーンランドなど数々の遠征に参加した「ヤマキックス」こと山木匡浩は、大輔の高校時代の1学年上の先輩で、当時、基礎スキーシーンで将来を嘱望される選手だった。現在は児玉毅と並んでシーンをリードするひとり。「ヤマキックス」の命名はもちろん大輔による

※3 [ノマド]

札幌市を拠点にしたガイド会社「アルパインガイドノマド」。代表はスキーガイドとしては日本の草分け的存在である登山家、宮下岳夫さん。大輔が師と仰ぐ存在であり、塚原聡や奈良亘など多くの優れたガイドを輩出している。2020年春、コロナ渦の影響を受けて惜しまれつつも事業を停止した

※4 [スノードルフィンのビデオ]

三浦雄一郎&スノードルフィンスキーチームをフィーチャーした日本のフリースキービデオの草分け的作品。1992年秋のニュージーランド編からアメリカ・タホ編、ニセコ編、ツェルマット編と毎年1作ずつ8タイトルをリリース。TV番組「SKI NOW」のスタッフを制作陣に迎えた。発売元は昭文社

※5 [北米のエクストリームスキー]

’60年代から北米に綿々と流れるスキー文化のメインストリーム。’90年代にはグレン・プレイク、スコット・シュミット、トレバー・ピーターソンなどのスターを輩出。その次の世代であるシェーン・マッコンキーが新名称「フリースキー」を提唱。「フリーライドスキー」となった現在もその精神は変わらない

※6 [スコット・シュミット]

グレン・プレイクと人気を二分した’90年代北米のエクストリームスキーヤー。彼をフィーチャーしたグレッグ・スタンプ作品『Blizzard of Aaah’s』および『Groove…..Requiem in the Key of Ski』は、フリーライドスキーシーンの金字塔といえる作品。YouTubeでも観られるのでぜひ!

※ 7[WESC]

’90年代にアラスカ・ヴァルディーズの超急斜面で開催された伝説の大会「ワールド・エクストリーム・スキー・チャンピオンシップ」の略称。発案者であり大会のオーガナイザーは、アラスカ・チュガッチ山群でのヘリライドをスタートさせたセイナロッジのマイク・コザド

※8 [AKロケット]

’90年代に登場したサロモンのファットスキー。「AK」は同時期に登場したK2「AKランチャー」と同じく「アラスカ仕様」を意味し、新雪を容易に滑るというよりは、パウダーでもスノーボードに負けない攻め攻めのロングターンを実現させる目的だった。人気モデル「ポケットロケット」のベースとなった

Wikipedia的 佐々木大輔 その2
さらに詳しく見ていこう!

Photo : Key Sato

経歴(「ガイド盤渓ウェブサイト」に加筆)

1977年 
北海道札幌市近郊で生まれる。

1986年(9歳) 
植村直巳の『青春を山に賭けて』を読んで大きな刺激を受け、山と冒険の世界に憧れを抱くようになる。

1990年(13歳)
中学に入ると父と共に札幌の山岳ガイド会社「アルプ」を訪ね、宮下岳夫さん(前アルパインガイド「ノマド」代表)、白石昌孝さん(現アルプ代表)に「山に連れていってください。でもお金はそれほど持っていないので、まけてください」とお願い。以後、夏休みなどを利用してアルプのガイド山行に見習いで荷物を担がせてもらったりしていた。高校生になると宮下さんが立ち上げた「ノマド」のツアーに荷物担ぎ見習いとして参加し、登山の基礎を身につける。

1994年(17歳)
家族でネパールを旅行し、大輔は現地ガイドと共にアイランドピーク(6,189m)登頂。

1994年(18歳)
高校を卒業し、アルパインガイド「ノマド」に入社。見習いガイド時代が始まる。冬は代表の宮下さんの指示により、テイネハイランド(現サッポロテイネ)にある三浦雄一郎&スノードルフィンスキースクールで2シーズン、スキー修業を兼ねてインストラクターを勤める。「北海道のガイドはスキーができないと仕事にならない」という宮下さんの考えと、宮下さん自身が元スノードルフィンの中心的メンバーだったことにもよる。スノードルフィンで2歳年上の児玉毅と出会い、ハードなライディングトレーニングに日々を費やす。

1996年(19歳)
宮下隊長と共にネパールヒマラヤ・マナスル峰(8,163m)に遠征。7,400m地点からスキー滑降。大雪山旭岳で開催された第一回ジャパンエクストリームスキー大会(JESC)には直前のケガで出場を断念。ライディングパートナーの児玉毅が出場するも大会予選で大ケガを負って入院。

1997年(20歳)
翌年、大雪山旭岳の第二回JESCに出場し、リベンジを果たして優勝。その結果、アラスカ・ヴァルディーズで開かれていた伝説のビッグマウンテン大会「ワールドエクストリームスキー・チャンピオンシップ(WESC)」にインビテーションされ、初出場ながら8位という好成績を挙げて一躍脚光を浴びる。

1998年(21歳)
第三回JESC優勝で連覇。同年、2度目のWESC出場は、テレビ朝日「ニュースステーション」で報道される。夏は中学からの同級生で信州大学山岳会の麦谷水郷さんと共にヨセミテへクライミングトリップ。フリークライミングとビッグウォールクライミングを半々ずつ。エルキャピタン・ノーズ完登など。

1999年(22歳)
夏前にノマドを退社し、以後、夏は山岳ガイド、冬はプロスキーヤーとして活動を始める。春にはノースアメリカ・エクストリームスキー大会7位。その後、夏前にノマドを退社し、再び麦谷さんとヨセミテに渡ってクライミング、エルキャピタン・シールド完登など。

2000年(23歳)
児玉毅、山木匡浩、奈良亘らとマッキンリー(現デナリ)山頂よりスキー滑降に成功。この頃からチーム名、あるいは遠征隊名として「なまら癖ーX」を大々的に名乗るようになる。このときの模様を中心に、佐々木と児玉をフィーチャーした記事が「2001 Bravoski 」の巻頭を飾る。

2001年(24歳)
チーム「なまら癖ーX」のメンバーを中心に千島列島パラムシル島スキー遠征。同年秋にリリースされたEBISフィルムスの処女作『icon of what they are -』にそのときの模様を含めて中心的スキーヤーとして出演。以後、iconシリーズに欠かせない中心的滑り手として、ほぼすべての作品に参加するようになる。

2002年(25歳)
「レッドブル・スノースリル・オブ・アラスカ」で3位入賞を果たす。これがビックマウンテンスキーの世界大会で日本人として初めての表彰台である。

2003年グリーンランド遠征メンバー

2003年(26歳)
グリーンランド・シーカヤック&スキー遠征。装備や食料を満載したシーカヤックで約40日間かけてグリーンランド西海岸のフィヨルドを遡り、海から立ち上がる急峻な雪山を滑るというユニークなエクスペディションを実施。児玉毅、山木匡浩、立本明広、奈良亘、辻井隆行、関口雅樹の総勢7名。

そのときの様子は撮影で参加したエビスフィルムスの関口により『icon 3 presence』に収録。また、グリーンランド遠征パートのみを特別編集した『presence: 40 days in Greenland』はBanff Mountain Film Festival、Mountainfilm in Tellurideをはじめとする数々の山岳映画祭で入選や入賞を果たしている。

2004年(27歳)
中国新疆ウイグル自治区ムスターグアタ(7546m)に栃内譲、石橋仁、狩野恭一、小山真らとスキー遠征。6,900mより滑降。

2005年(28歳)
「ビックマウンテンスキー・ワールドツアー・フランス大会」2位。@レザルク

2006年(29歳)
フランス・クーシュベルで開かれた「ライドウィーク」で、スノーボーダーの太田宜孝、フィルマーの森治人、山田博行と組んで優勝。1本の短編動画作品を3日間で製作して競うこのフィルムイベントにおいて「勝因は大輔のナビゲーションスキルと無駄のない行動力」とは撮影を担当した山田の言葉。このときの山田との出会いが、2009年の佐々木大輔シグネチャー映画『END OF THE LINE』につながる。
2月には厳冬期利尻岳西壁初滑降。奈良亘、石橋仁、狩野恭一との4人パーティで、終始佐々木がリード。

2007年(30歳)
利尻岳南陵〜東壁を初滑降。

「パタゴニア・ダーウィン山脈シーカヤック&スキー遠征」。チリとアルゼンチンにまたがるパタゴニア地方に6人の仲間(山木匡浩、奈良亘、辻井隆行、石橋仁、新井場隆雄、狩野恭一)と遠征し、シーカヤックで海峡を渡り、フエゴ島の2,286m峰を初登頂&初滑降。

2008年(31歳)
フランス・シャモニー「氷河ガイド研修」受講。国際山岳ガイド資格取得に向けての活動が始まる。

2009年(32歳)
ヨーロッパアルプス「氷河スキー研修」受講。「プロスキーヤー活動にいったんピリオドを打つ」と公表。
3シーズンをかけた主演ドキュメンタリーフィルム『END OF THE LINE』発表。制作と監督は山田博行。

2009年(32歳)
11月から翌年3月まで「第51次南極観測隊フィールドアシスタント」として、南極セール・ロンダーネ山地へ赴任。2ヶ月間のキャンプ生活と野外調査をサポートする。

2010年(33歳)
この年の11月から本格的にバックカントリーガイド業をスタート。
ヨーロッパアルプス「氷河スキーガイド」検定。モンブランスキー滑降。

2012年(34歳)
ヨーロッパアルプス「氷河ガイド」検定。

2013年(35歳)
利尻岳東北稜〜オチウシナイ沢厳冬期滑降。NHKスペシャル『厳冬・利尻 究極のスキー大滑降』放映。

2013年グリーンランド再び  Photo : Akihiro Tachimoto

5月には2003年のグリーンランド遠征10周年を記念して、ほぼ同じメンバーで「グリーンランド・シーカヤック&スキー遠征」。『10 years after: revisiting Greenland』(エビスフィルムス)リリース。

2014年(36歳)
利尻岳西壁中央ルンゼ〜ローソク岩〜アフトロマナイ沢滑降。
国際山岳ガイド協会(IFMGA)より国際山岳ガイド認定。

2017年(40歳)
6月デナリカシンリッジ登攀~南西壁滑降。新井場隆雄、狩野恭一をパートナーに、困難なバリエーションルートのカシンリッジを登攀し、南西壁の滑降を果たす。NHKスペシャルにて『極北の冒険 デナリ大滑降』放映。

Photo : Takao Araiba
Photo : Takao Araiba
デナリカシンリッジ登攀~南西壁滑降トリップより  Photo : Takao Araiba

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早くも高校時代にヒマラヤ登山!
スキーだけではなかった佐々木大輔の活動

──山関係を見てみると、早くも高校時代にネパールのアイランドピーク(※9)に登っている。これが最初の海外登山?

そうですね。たしか、ガイドの先輩に「おぉ、大輔でも登れるぞ!」って酔った拍子に言われて、盛り上がった結果だったと思います。それに合わせてウチの親もトレッキングに行こうということになり、家族4人でネパールに行き、途中で別れて、僕は現地ガイドと一緒にアイランドピークに登ったんです。あとから聞いたら、そのガイドの人は「そんなテキトウなこと言うんじゃない!」って宮下さんに叱られたらしいです(笑)。

──19歳で宮下さんのマナスル隊に参加して、23歳では自分たちだけでマッキンリー(現デナリ)に登頂して、山頂からスキーで滑り降りる。なぜ、そのときマッキンリーを滑ろうと思ったの?

たぶん、奈良さん(※10)がその話を持ってきたんだと思います。「行こうぜ!」って。僕も植村さんに憧れていたこともあるし、それで行きたいと思ってタケさんを誘ったんでしょうね。

──で、山木は現地で合流してから参加を決めた。

そうですね。ヤマキックスは完全にその話を聞きつけて、なにかピンときたんでしょうね。「これはオレも行かなきゃ」って。

──従来のプロスキーヤーという概念では捉えられない存在だと感じ始めたのはこの頃だね。山とスキーと遠征が密接に結びついた活動がここから始まっている。

そうですね。もっと言えば、取材を受けたときによく話すのですが、自分には3つの大きな出会いがありました。最初が植村直巳さんの本で、次がノマドの宮下さん、それからタケさん(児玉毅)……みたいな。そんな感じです。

──植村さんの本で世界に目が開かれ、宮下さんに登山を鍛えられ、児玉毅と出会ってスキーを高め合った。いずれも欠かせないポイントかもしれないね。

Photo : Key Sato

※9 [ネパールのアイランドピーク]

エベレスト方面に位置し、主峰の標高は6,189m。ヒマラヤ高峰に比べて簡略なトレッキングパーミッション(許可証)で登れることもあり、必ずしも高峰を目指さない登山者や、ヒマラヤ登山を目指す人にとって最初の目標とされることの多い山。エベレスト遠征時の高度順応に使われることも多い

※10 [奈良さん]

山岳ガイドの奈良亘。大輔と同じくアルパインガイドノマドに長く勤務し、世界の山に詳しい。チームなまら癖ーXの主要メンバーのひとりであり、2度のグリーンランドやパタゴニア遠征に同行している。現在、札幌市内でゲストハウス&レストランバーの「サッポロッジ」を経営しつつガイドを続けている

「後編」に続く


【編集者+ライター】
寺倉 力 Chikara Terakura
三浦雄一郎が主宰するミウラ・ドルフィンズに10年間勤めた後、BRAVOSKI編集部員としてモーグル、フリースキーに30年近く携わる。現在、編集長として「Fall Line」を手がけつつ、フリーランスとして各メディアで活動中。登山誌「PEAKS」で10年以上インタビュー連載を続けている。

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