【関谷和茂×河野克幸】パウダーガイド、競技コーチ、実業家……。好きなスキーを生業にした北信アスリートの半生 |後編

欧米のスキーシーンに触れた関谷和茂と河野克幸は、故郷の北信州に帰って、それぞれインバウンド向けのスノービジネスをはじめた。これまでのスキー人生と、これからの人生の展望を聞く。

ピークを目指して歩みを進める二人、自然と会話はウエアのフィードバックに

■現在のライフスタイルになるまで

関谷:それから外国人のお客さんが少しずつ増えてきて、もしかしたら商売できるかも?ってはじめたのが「SKINAGANO」だった。アメリカのプライベートスキースクールのインストラクターみたいなイメージを持って。日本のスキースクールって、おもにテクニックを教える場だけど北米は違った。お金に余裕のある人がインストラクターを雇って、自分で地図見てアクセスするんじゃなくて、インストラクターにいいところ、自分のレベルにあったところに連れていってもらう。それに1日10万円という対価を払う。日本でそういうことをやっている人はいなかったし、需要はあると思ってはじめたんだよね。インストラクターというより、ゲレンデガイドだよね。

河野:外国のお客さんは、細かい技術うんぬんよりも、楽しく滑れればいいという考えの人が多い。スキー場の管轄内からロープをくぐって起きる事故も増えてきているから、関谷さんのようなゲレンデガイドの需要って、だいぶあると思います。

関谷:「SKINAGANO」をはじめようと思った大きなきっかけは、外国のお客さんが日本に来たとき、外国人が経営する宿や外国人ガイドにお金落として、日本語を喋らずに日本の文化に触れることなく帰っていくのが、もったいないというか面白くないと思った。なるべくローカルの宿を紹介したり、地元の人が営む食事処に連れていったり、地元の経済に還元するようにしたいと。そして、日本の文化や風習、食文化を知ってもらって、リピーターになってもらいたい。また来てもらえるように。1回来て、もういいやじゃなくて。

河野:「SKINAGANO」は何年目? 立ち上げたのは、震災のあとだっけ? 

関谷:そう、今シーズンで8シーズン目。野沢温泉や飯山に関していうと、北陸新幹線ができてから一気に外国人観光客が増えたよね。いろんな意見があると思うけど、外国人旅行者が来てくれなかったら、野沢温泉だって大変だったよね? おれがアメリカから帰ってきたときなんて、平日のスキー場なんて誰もいなかったもん。

河野:大変大変。おれ、相当老けてたかも知んないよ(笑)。

関谷:「SKINAGANO」を立ち上げたとき、多くの人に言われた。外国人スキーヤーなんて一過性のブームだから、そのうち来なくなるよって。おれは流行り廃りとは関係なくて、雪降って山があるっていう自分の故郷をさ、文化や歴史を含めて、世界にないオリジナルがあるんだから、ちゃんと紹介しないとダメだと思った。ちゃんと地元の魅力を自信を持って紹介すれば、絶対リピートできてくれる。本人が来なくても、口コミで長野のスキー場すげー楽しかったよって言ってもらえたらいい。おれのパイなんて小さいけど、外国のお客さんをひとりひとりちゃんとアテンドすることで、北信の魅力が世界へ少しずつ伝わっていくと思ってやっているよ。

ドロップイン直前の関谷、ガイド業の傍らFWQなどの大会に参戦している

河野:一昨年かな、ヨーロッパへ行ったときゴンドラの中でずっと現地の人が日本の話をしていた。そのとき雪がしんしんと降っていて「日本はこんなもんじゃねーぞ」ってジャパウ体験者が言っていたけど「いや、これ結構すごい降りですよ」って言えなかったけど、日本のいい話がどんどん大きくなって広がっていた(笑)。一生に一度は行ってみたいってみんな口を揃えて言う。ヨーロッパの人が言うくらいだから、世界でのジャパウ認知度はいまやすごいよ。

関谷:アメリカ人もオーストラリア人も、みんな言っているよね、一生に一回は行きたいって。こんなコンスタントに雪が降る国ってほかにない。だからみんなやってくる。1週間いれば、どっかで当たるというね。北米やヨーロッパなんか1週間スキーリゾートに滞在しても一回も雪が降らないことってざらにある。ドカンと降っても1週間、2週間降らなくて、どんどん雪が硬くなって。あと北信エリアは、降って晴れることが多い。みんなパウダーパウダーって浴びるような新雪を期待してやってくるけど、パウダーだけじゃない。シーズンを通して、基本的に雪が柔らかい。ドパウじゃなくても圧雪バーンでも雪が柔らかいから晴れれば、とりあえず楽しい。パウダーばっかりを煽る昨今の風潮は、よくないよね。

河野:継続的にたくさん雪が降れば、稜線から樹林帯までいろんなシーンを滑れるってことだよね。

関谷:カツは、実家の宿「白樺」を手伝いながら「七良兵衛珈琲」をオープンさせたけど、きっかけって何かあったの?

河野:七良兵衛珈琲を作って6年になるけど、当時はまだインバウンドが絶頂じゃない頃でした。これからまだ伸びるなと確信していて、滑ったあとにビール飲めるところがあったらいいなーってスキーヤー目線ではじめたのがきかっけ。海外のスキーリゾートでふらっと立ち寄れるバーがあるのは、当たり前だったから。

関谷:ヨーロッパのスキーリゾートを転戦して、見てきた経験がここで生きてきたと。ほとんど授業には出ていなかったけど、オーストリアの商業高校で学んだことがいま生きている(笑)。

河野:じつは、コロナ禍の前に店を畳もうと思った時期があった。ありがたいことにインバウンドが来すぎちゃって、手が回らなくなってしまった。スピードが早すぎて、受け入れ体勢を準備する時間がなかったんですね。七良兵衛珈琲の看板を外して、隣の「白樺」に泊まるお客さんだけが使えるワーキングスペースにして、宿の付加価値をあげようと思いました。そしたらコロナになっちゃった。でも、ようやく整える時間ができてきました。これからどうしようか? って言うところですね。

関谷:おれもインバウンド絶頂期は、2か月くらいずっと仕事で、自分の滑りができない時期があった。たしかに忙しすぎたよね。コロナが自分の立ち位置を見つめ直すいい機会になったのかもしれないね。
あと、カツは野沢温泉ジュニアスキークラブのコーチもやっているから、忙しいでしょ? いつからはじめたの?

河野:4年くらい前からですね。毎日、朝練やって、昼過ぎに滑って、夜に滑って、自分も学生のころに戻ったみたい。

関谷:野沢はすごいよね。カツでしょ、雄大(上野雄大)でしょ、しゅうちゃんでしょ。みんな世界を知っているアスリートだもん、そりゃ、次の世代は育つよね。教え子の笹岡蒼空が、全国中学校スキー大会で優勝したのは、2019年だっけ? 

河野:そう、ふたつ下の河野大峨と一緒に国内強化選手に選ばれて、今年はヨーロッパ遠征へ行けそうです。国内ヘッドコーチには野沢温泉村出身の河野恭介もいて、資金面のサポートをしてくれる佐々木明の「Akira’s Project」にありがとうございますって感じです(笑)。
笹岡蒼空は、いま高校3年生なんだけど週末ここ七良兵衛珈琲で料理を勉強しています。ちょうど来週、3日間にわたってドネーション・ディナー(助成晩餐会)というのをやって売り上げの半分を彼の遠征費に当てるという試みをやるんですよ。アスリートをやりながら目に見えるお金を稼いで、ちゃんと選手終わってからも、自立して生きていける人材を育てたいという願いがあります。競技だけじゃなくて、社会全体を見渡せるように、いろいろ繋げていくようなスキーを教えていきたい。競技にかかる費用を誰かが払ってくれるんじゃなくて独立してやってくださいって。そうしないと、親の言いなりになったり、自分で判断ができなくなったりするから。そういうことを常日頃伝えていたら、自分で決めるようになってきた。ヨーロッパに行って欲しかったけど、日本の大学に行きたいと言い出して、残念。ヨーロッパへ行くっていえば、ドネーションの額は全額あげたのに(笑)。

関谷:それは自分が経験して良かったと思えるから、早い時期にヨーロッパに行って欲しいってこと?

河野:幼い頃から周りにヨーロッパに行っている先輩たちがいて、彼らからいろいろ聞いていて、スキーを本気でやるなら日本じゃなくてヨーロッパだとずっと思っていた。そして15歳のとき、ヨーロッパに行くって自分で決断して行った。15歳で渡欧したことは自分のなかで大きな財産になっている。だから、若いうちに世界を見てもらいたいという気持ちがあります。20歳過ぎてから行ったんじゃ、遅くないけど、吸収するものが全然違う。最近、海外へ渡る若者が少なくなったから、もうちょっとインターナショナルな人材を育てていかないとという責務は感じています。野沢は、受け入れはできているけど、外から内を見る人が少なくなっている。

関谷:そう、外から自分の国、自然、文化、歴史を見ることって大事だよ。

河野:関谷さんも外から日本という国を見ているから、おれと同じ感覚を持っていて、インバウンドでビジネスを成功させている。海外へ行くことは、なにも世界のトップアスリートになることだけが目的なわけじゃなくて、外から内を見ることで見識を広める大人になることでもある。
お互いスキーが好きでやっていたら、海外に出て、戻ってきて、スキーを生業にしている。好きなものを突き詰めると結構大丈夫なんだと40を目前にして思いますよ(笑)。関谷さんは、5年後、10年後のビジョンってありますか?

映像撮影の経験も豊富な河野は理想的なタイミングと場所でターンを刻む

関谷:インバウンド向けのプライベートガイドをこれからもずっと続けていきたいね。故郷の自然や文化を伝えることは、やっていて楽しいし、やりがいがある仕事だと思うから。さらにいえば、自分で旅行代理店的なことをしたいと思っている。宿の手配からブッキングまで全部まとめてやりたいと思っているけど、コロナで状況が一変したので、いまは足踏みしている感じ。ともあれ、目指しているところはさっき話した、地元のビジネスに還元していくってこと。

自分も子を持つ親になって、日本の子供たちにもスキーを楽しむ機会を作りたいと思うようになってきた。いまフリーライド・クリニックって、大人向けにレッスンをやっているんだけど、そのジュニア版としてフリーライディングの楽しみを伝えるような場所を提供していきたい。スキーって競技や基礎だけじゃない。これからスキーを担っていく世代に、自由に滑っていいんだよっていうフリースキースキーの楽しみを伝えられたらいいな。
自分自身のことをいえば、スキーは全然飽きないから、体が動かなくなるまでスキーは続けるだろうね。道具もどんどんよくなっていくしね。そういえば、カツ最近スノーボードばっかりやってるよね?相当上手くなってるし。

河野:プライベートで滑るときは、スノーボードの方が圧倒的に多いです。大きい声ではいえないけど、あわよくばスノーボーダーになりたい(笑)。周りにスノーボーダーの友達がいっぱいいるというのもあるけど、ハマってますね。スノーボードに乗ることで、はじめてスキーを外から見ることができた。15でオーストリアに行ったように、外から見ることって大事なんだなと。


河野:スキーは難しくて楽しいなってこと。30年以上やっているけど、全然、うまくならない。

関谷:スキーうまくなりたいっていう願望は、死ぬまで消えることはないんだろうな。新雪だろうが圧雪だろうが、スキーの本質はブレることなく奥が深い。だから辞められないんだよ、おれたち。


Profile|プロフィール

共に愛用するGoldwinウエアを前に談笑する二人

関谷 和茂-せきや かずしげ-(左)

1980年長野県小布施市に生まれる。高校生まで競技スキーに打ち込み、卒業後、フリースキームーブメントに惹かれて米国のコロラドへ留学しフリースキーの世界へ。現在は、北信州の木島平村を拠点にインバウンドを対象にしたプライベートガイドサービス「SKINAGANO」を主宰する。 https://www.goskinagano.com

河野克幸-こうの かつゆき-(右)

1981年長野県野沢温泉村に生まれる。幼少期からアルペンスキーをはじめ、中学卒業後、単身オーストリアへ渡る。21歳で帰国し、スキークロスW杯に参戦。現在は野沢温泉村に戻り、レンタルショップ白樺、七良兵衛珈琲を経営する傍ら、野沢温泉ジュニアスキークラブコーチとして毎日雪面に立つ。 https://shirakaba8.com/cafe/

Photo / Takanori Ota, Takeshi Wakabayashi(YUKIMI STUDIO)
Interviewer / Shinya Moriyama
2021.11月 収録

前編はコチラ

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